名古屋の老舗百貨店閉店に思う | ご縁を頂いたすべての心やさしい人へ♪

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先日30日、名古屋の老舗百貨店「丸栄」が閉店した。

75年の歴史に幕を下ろした事になる。

このニュースは随分前から聞いていたが、いざその日を迎えると妙に寂しさが込み上げてきた…。

しかし、私には正直思い出は少ない。

何故かと云えば、子供の頃から両親は共働きで働きずめ、いわゆる「鍵っ子」。

デパートなどは数年に一回連れて行ってもらえたら良い方で、そんな時に食べさせてもらえた「お子様ランチ」は格別な味だった事を覚えているぐらいだ。

旗の付いたこんなヤツだと記憶している。

 

 

売り場へも連れてってもらえはしたが、もっぱら見るだけ…(笑)だったように思う。

羨望の眼差しを向けながら、色んな品物を見て回るのは愉しかった。

もはや、そのセピア色の思い出は50年近く前のモノだった事になる。

 

話は変わり、最後の日の先月30日。

沢山の人が訪れ、丸栄との別れを惜しんだようだ。

中には涙ぐむ人も…。

時間にして75年。

決して短くは無いその時間に、沢山の人の丸栄との思い出が共にあったのは紛れも無い事実なのだ。

 

 

翌日の7月1日。

中日新聞の朝刊に掲載された記事が印象深かった。

その記事は丸栄の地下一階のテナントで精肉店を営む奥さんの記事である。

タイトルは、

「夫と歩んだ人生の全て」

である。

抜粋してみたい。

 

「最後の日に行ってきます」

Sサン(77)は30日の朝、自宅で仏壇に手を合わせた。

丸栄に入ったテナント店の責任者、「おかみさん」としてこの50年。

ほぼ毎日立ち続けた店は13年前に病死した夫との思い出の場所。

高校卒業後、丸栄に入社。

紳士雑貨売り場に配属され、販売員をしていた頃、常連客だった夫と知り合い恋仲に…。

「わしがやる」

夫は1962年、精肉店を営む実父に直談判し、丸栄に支店を出した。

「主人は丸栄が大好きだった。元気なら閉店には断固反対していた」と微笑む。

景気が良かった頃には、一枚5,000円するステーキがよく売れた。

お中元やお歳暮の時期は配送準備で未明まで働いた。

従業員たちと夜食を食べ、近くにあった銭湯に通ったのも良い思い出だ。

「忙しかったけど、働く事が楽しくて仕方なかった。良い事も悪い事も丸栄が人生の全てだった」

最終日の丸栄は、かつてのような賑わいを見せた。

「最後だから顔を見に来た」

「久しぶり!これからも元気でね」

何十人もの常連客が来てくれた。

いつもの接客以上に笑顔の絶えなかった1日。

商品は飛ぶように売れ、14時には完売した。

夫が亡くなってから、帰宅して仏壇に手を合わせるのを日課にしてきた。

忙しい朝にも手を合わせたこの日は格別。

「大事にしてきたお店が今日、無事に終わりましたよ」

帰宅後、老舗百貨店を愛した主人に、賑わった最後の姿を伝えた。

 

 

ステキなご夫婦です。

そして、実に幸せな奥さんなのと違いますか。

中でもこの言葉が特に好きだ。

 

「忙しかったけど、働く事が楽しくて仕方なかった。良い事も悪い事も丸栄が人生の全てだった」

 

50年…半世紀。

色んな人に愛され、助けられ、頑張って、必死に駆け抜けた時間だった事でしょう。

途中でのご主人の他界。

実にツラかったに決まっている。

しかしながら、頑張るしかない。やるしかない。

写真を拝見したが、こういった事全てを乗り越えられたこの奥さんは実に良い顔をしておられた。

思い出がふんだんに詰まった丸栄がすべてだったのだろう。

この顔から、「人生やはり努力である」と云った事を教えられた気がする。

 

しかしながら、名古屋の愛された老舗百貨店が閉店した事だけは変わらない…。

またひとつ昭和が遠ざかった。

寂しいが、前を向かなくてはならない…。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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