ミニドラマ④ー1
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先生を好きになった。
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小さい頃から、いつも尚ちゃんが傍にいた。
尚ちゃんのご両親はとても忙しい人で、家族ぐるみの付き合いをしていた私が尚ちゃんの夕食を作るのは自然な流れだった。
本当に小さい頃からの習慣だったから、私達は一緒にいることが自然なことだった。
だけど、私達にとっては当たり前の事でも周りからみるとそうではなくて。
成績が良くて顔も良い。更に華道の家元の跡取りという事で周りから注目されていた尚ちゃんの傍にいつもいる私は、彼に想いを寄せる女の子達にとって目障りな存在だった。
すれ違い際に悪口を言われたり、人目のつかない所に呼び出されては「彼に近付くな」と詰め寄られた。
うんざりした私が尚ちゃんと距離を置くようになると、今度は「何様!?」という理由でやっぱり嫌がらせは続いた。
結局嫌がらせを受けるなら、いつも通りにしようと開き直った私は、相変わらず尚ちゃんと一緒にいる。
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入学式の職員紹介で始めて見たあの人は、他の先生方と並ぶと群を抜いて背が高く、その長身に見合った長い手脚にダブルのスーツを纏っていた。小さな顔とさらさらの黒髪。シルバーフレームの眼鏡をかけても隠しきれない整った顔立ちは、女子生徒だけでなく父兄席のお母様方までも釘付けにしていた。
入学式で話題になった『敦賀先生』は、私のクラスの数学を受け持つ事になった。
当初、毎日のようにその整った顔を拝めると女子生徒たちは浮足立ったけど、敦賀先生の授業はとても厳しくて、日々出される大量の課題と、その長い指が扱う数式の羅列。形の良い唇から発せられるのは解法のみ。
ニコリともしないどころか、授業に関係ない話をしようものなら、その切れ長な瞳で睨み付けられる。
そんな先生に生徒達の浮かれた心は見事に粉砕された。
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私は高校に入っても相変わらず尚ちゃんと一緒にいることが多かった。
でも、一つだけ変わった事がある。
親友と呼べる存在が出来たこと。
入学式の日、教室で偶然隣の席になった彼女とは何故だか始めて会った気がしないくらいすぐに打ち解けた。
始めて出来た親友という存在に浮かれて油断していたその日、久しぶりに尚ちゃんのファンに呼び出された。
女子生徒たちの心ない言葉に対して俯き、スカートを握りしめて終わるのをじっと待つ。
「ちょっと!聞いてるの!?」
一人の生徒が彼女の肩を突いた。
「……こんな所で何をしている?」
敦賀先生だった。
「いえ……別に…」
そう言うと彼女たちは慌てて走り去って行った。
彼女たちがいなくなっても俯いたままの私を見兼ねて、先生は数学準備室に連れて行ってくれた。
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「ありがとうございます」
手渡されたカップにはブラックコーヒー。
砂糖もミルクも入っていないコーヒーは、とても苦かった。
「よく…あるのか?」
資料の整理をしながら、先生は私に問いかけた。
「高校に入ってからは、初めてです」
「そうか」
「……先生。また、ここに来てもいいですか?」
「いいよ」
その時の先生の瞳が優しくて……。
私はこの瞬間に先生に恋をした。
***
それ以来、私は質問を口実に数学準備室に通った。
冷徹な筈の先生の違う一面を私だけが知っているのだと思うと、嬉しくて仕方がなかった。
口実とは言え、先生に教えてもらっているうちに数字に興味を持つようになった。
「パズルを解くように、数字がピタッと当てはまった時は最高に気分がいい」
そう言って、珍しく微笑んだ敦賀先生の顔におもわず見惚れてしまったのは先生には秘密。
中学までは尚ちゃんに教えてもらってなんとか及第点だった数学も、今では私が尚ちゃんに教える程になった。
数学準備室に私用の砂糖とミルクが常備されるようになった頃、先生への気持ちが溢れてどうしようもなくなった私は、遂に告白を決心した。
***
その日の放課後、いつものように質問があると準備室を訪れた。
緊張で汗ばむ身体に、お気に入りのローズの香りのデオドラントウォーターをつける。
いつもと違うのは、鞄の中にしのばせた手作りのお菓子と告白のメッセージが書かれたカード。
質問が終わり、いよいよ本題に入ろうとしたその時、敦賀先生が先に口を開いた。
「相変わらず不破と仲がいいな」
「え……?」
「これだけいつも一緒にいるなら、彼と付き合ったらどうだ?君と不破ならお似合いだと思う」
目の前が真っ暗になった。
「……………」
重い沈黙を破ったのは、先生の携帯の着信音。
「はい。……あぁ、……わかった。迎えに行くよ」
いつもの学校での先生とは全く違う柔らかい笑顔。
その電話の相手はだれ?
「先生…彼女から?」
「ノーコメント」
きっと恋人だ。
あんな笑顔、学校では見せないもの。
「もうここへは…」
「先生、これ…受け取ってください。
いつも数学を教えてもらってるから、そのお礼です。
それにしても、先生彼女いたんですね。
先生のこと好きな子たちはショックだろうなぁ。
大丈夫!私、秘密にしておきますねっ」
***
なんとか笑顔を保ったまま、準備室を後にした。
(しまった!カードも一緒に渡しちゃった……)
先生はきっとカードも読んだだろう。
せっかく取り繕った笑顔も台無しになってしまった。
「ははっ……もう私、馬鹿だ………。…うっ、うぇっ……」
夢中で走って辿り着いたのは、あの日先生が助けてくれた校舎裏。
人目につきにくいその場所で、私は誰にも気づかれないように少しだけ泣いた。