質問に答えてみます。

先日、「黄泉」についてあなたはどう解釈するのか?という質問をいただきました。

この場合の「黄泉」は、「死後の世界」…つまり「あの世」を指す言葉と解釈します。

世の中には幽霊や、それに伴う心霊現象が沢山ありますが、

クロイの所は「霊」に関してはかなり一般とは違う解釈をしています。

これをなかなか公表しなかったのは、『薺』たちが

「あの世の人との交流を願う人にとって、水を差す事態になりはしないか?」と

思って、発言を控えていたからです。

ですが、世の中には霊感商法と言う、幽霊や祟りに見せかけた現象を逆手に取って、

悪い金儲けをしている人もいることはまた事実であります。

なので、あの世の話は夢が無くなる…少なからずショックであると思う人もいると思いますが、

クロイの方ではこれを自己責任として、ブログで語らせていただこうと思います。

そのあたり、覚悟の上でこれを読み進めて下さい。


人は死んだらどこへ行く?

きっとこれが、どの人にも結構大きな問題であることは同じだと思います。

実は地球と言う星は、娯楽場であり実験場であると言う話を、何度かしてきました。

しかし元々は、地球は娯楽の為の施設ではなく、「学びの場」で在ったのです。

人として生きた一生を裁かれる場所がえんま様のいる場所であるとか、

天国と地獄、どちらに行くかを決めてくれる審判員がいる場所があるとかが、

あの世の世界の入り口として描かれるのが一番多い設定です。

実は人間が長い歴史をかけて知り得たこの構造は、ある意味当たっています。

人間に限らず、あまたの命はその一生を終えるとき、

その一生で何を学んだかを精査されるのです。

この時に「アカシックコード」が利用されます。


クロイはアカシックコードを見たことがあります。

それはファイリングされた映像の羅列で出来ており、ページをめくるように読めるものでした。

もしくは、本人専用のインデックスが出来ていて、特定の語句を検索することで、

それにちなんだエピソードが瞬時にやって来て、色々質問されることになります。

アカシックコードは『魂の記録』であり、

魂がこの器をもらっている時に与えられた課題があります。

その課題をどのようにして解いていくのか?というのが、

この器に与えられた、一生の課題になるわけです。

これがクロイが『薺』達から教わった、「黄泉」についての見解です。


催眠治療、前世療法について

よく、催眠療法などで前世の記憶をさかのぼっている時に、読めない記録があることがあります。

その記憶が読めないのは、地球上ではまだ公表出来ない世界を生きた証拠なのだよと、

クロイは教わっています。

例えば、自分が虫や動物だった時の記憶とか、地球ではない場所で生きた記憶とか、

ものすごく早くに亡くなってしまった場合などに、記憶が空白になるそうです。

「魂の学び」の形態は色んな方法があります。

それをどう解釈し、どんな答えを選ぶのかは、すごく重要でもあるのです。

私達一人一人は、必ずしも性格が優れていて温厚であるわけではありません。

一所懸命に世の為、人の為に生きていても、

「課題の解消された良い一生だった」と判断されるかはまた別問題です。

すべては心地いいバランスで成り立ち、生きています。

たとえば、清廉すぎるほどに生きる人がいます。

しかしそれを突き詰め過ぎて、人に心配や迷惑をかけるほどのものになることは、

けしていいことではありません。

かといって逆に、悪事の限りをつくし、課題を解消しないまま生きていては、

いつまでもその課題が続くことになり、魂は何度も同じ運命をループしてしまいます。

これをどう思うかは、みなさん次第です。


命をいただくということ

あの世で清算されるものの一つが、「いくつの命を奪ったか」ということです。

これも色んな宗教で取り沙汰されていますが、『薺』が申し上げたいのは

「必要である命をいただくことは決して悪ではない」ということです。

その命をもらうことで、自分の生命を維持する殺生は生きる上で仕方のないことです。

それを否定してしまい、他者を殺さないようにしてしまうと、

最後には自分が死んでしまいます。

もちろん、水や光だけで生きられるようになればいいのでしょうが、

現時点では人間はそのように出来てはいません。

そして、当たり前のことですが、我欲の為に命を殺すことはあってはなりません。

殺して奪うことを快楽にすることは、尚のこと罪が重いです。

さて果たして、これを正しく理解出来る人がどの位いるのでしょうか?

クロイも含めて、地球上の全ての命に与えられた課題の一つでもあります。


クロイは別に聖人ではありません

よく、「菜食についてどう思っていますか?」と聞かれます。

現在のクロイは普通に肉食します。

一時期、元の性格のクロイはオボ・ベジタリアンまでなったこともありました。

確かに菜食は身体が楽ですが、クロイの中の人がそれを許しませんでした。

それはクロイの中の人達に肉食種も存在したからです。

もちろん、補食される側の生物の代表者も一緒に存在していますが、

彼らは自分の眷属が食べたり、食べられたりすることに関して恨みを抱いたりしていません。

それは命として当たり前の営みであり、それらを否定することは命を否定することだからです。

もちろん補食する側もされる側の命に対し、感謝と責任を背負います。

それが自然のサイクルだからです。


美を追求することは学びである

これは、クロイがよく言われることの一つです。

美しく在ろうとすることは、全てにおいて命を輝かせる課題です。

それは外見の美もあるでしょう。内面の美ももちろんあります。

その人の生き方や、作るもの、愛でるものなどに備わる、本人を形作る「美」は、

とても大事なものであります。

それはその人個人の生き方にも大きく作用します。

自分のことを極端によく見せようとすることも、極端に卑下することも、よくないことです。

自分をよく見せる為に他者をけなすようなことはもっといけないことです。

その姿に「美」があるかどうか?というものの意味が、少しおわかりいただけたでしょうか。

この学びを持ってして、美を磨くことは己の人生を磨くことと同じになります。


幽霊や祟りはありません

それは宇宙人が作成したものであり、彼らは守護し、管理し、監視するものとして、

いろんな「着ぐるみ」を着て、活動しています。

場合によっては神様の着ぐるみを着て、神様の性格をインストールして、

神様のようにその人に愛を注いだり、叱咤激励したりします。

時には警告を受けることもあれば、命を刈り取られることもあるのです。

なんにせよ、「神様は全てお見通し」ということ…いかがわしい誘いであこぎな商売をする輩も、

乗っ取りを企てて書く略を巡らせるのも、ちゃんと見ていてカウントしています。

それらの罪が清算されるのは、命が尽きてからです。

どんなに自分の人生の終焉にどこかの教会に寄付しても、悪いことをした人はきちんと裁かれます。

それを身にしみて感じてもらい、過ちを繰り返さないようになるまで徹底的に学ぶのです。


クロイは「死後の世界はある」と言います。

けれどそれを知ることが出来るのは、死んでからになるでしょう。

生きていた方が出来る自由もいっぱいあり、死んでから後悔する人も中にはいます。

そんな死に方をしないようにするために、やはり毎日少しずつでも、

人は良い方向へ変わっていくことが一番いい方法だと思います。


さて、何か意地を張っていることはありませんか?

素直になる努力をしていますか?

他者にばかり愛を求めて、自分から愛を渡す努力を怠っていませんか?

そして、美を追求することを照れたり、めんどくさがったりしていませんか?

こうして『薺』は毎日、クロイや皆さんに課題を出しているのです。

それの取り組みの答え合わせがされるのは、「あの世」ということ。

この話を知った皆さんは、どんな風にこれから過ごしますか?