なるようになる この世で始まった事は、この世で終わる

だって。しょうがないじゃない?
すべて、自分で選んだ事だから


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執着」とは、何かにしがみついて離さない
状態です。例えば、別れた人に執着する、
お金に執着する、自分のやり方に執着する、仕事に執着する、会社に執着する、駄目と感じる自分の価値を取り戻す事に執着するなど、私達は様々なものに執着します。

では、私達はどうして執着をするのでしょうか?

全ての執着は、怖れから生じます。
例えば、人に執着するのは、もう2度とあんな素敵な人には出会う事がない、あんな楽しく素晴らしい時間を過ごす事はないという怖れや、まるであなたは駄目な人だという烙印を押された様に感じて、それを認めると自分が本当に駄目だという事を認めなければならない怖れなどです。

前者の例では、もっとよい人がすぐに見つかり、楽しい時間が過ごせる事が分かっていれば、彼に執着する必要は全く無いわけですね。
あるいは後者例では、自分は駄目だと言われた訳ではなく、たまたま相性が悪かったのだと理解できていれば、彼に執着する必要はありませんね。

では、私達はどうして怖れを抱くのでしょうか?

執着に関する怖れは、過去に起こった嫌な出来事が未来にもまた起こるのではないかという気持ちや、自分には価値がないという「無価値感」、自分は罪深い人間だという「罪悪感」をベースとした自己攻撃からやってきます。自己攻撃もとても嫌な気持ちを感じますね。いずれも嫌な気持ちを感じたくないという事が怖れの原因となっているのですね。

では、執着があるとどのような事が起こるのでしょうか?

実は、執着しているものが手に入らないという結果を招いてしまう事がとても多くなります。
なぜならば、それを手に入れたいという「特別な意識」が働いて、適切な選択や言動ができなくなってしまうからです。適切でない選択は、得てして望ましくない選択となり状況を悪化させます。また適切でない言動は人に違和感を与え、執着の対象が人であった場合にはその人を遠ざける結果になったり、人以外の場合には協力者や援助者を遠ざけたりしてしまいます。

では、執着ではない願いや思いとは何が違うのでしょうか?

執着は先に述べましたように、怖れをベースとしていますのでその動機は自分の心の痛みを感じないように自分ばかりを見ている状態です。心に余裕が無く、ネガティブな動機なのですね。
一方、思いや願いには、怖れは存在しません。そうなったらいいなぁとか、そうなりたいなぁという心に余裕のある状態で、周りの状況もよく見えている、ポジティブな動機なのですね。この心の余裕度は選択や言動に大きな差をもたらします。そして、その結果も大きく異なってくるのですね。

では、執着を手放すにはどうすればいいのでしょうか?

大切なポイントは、自分の価値に対する評価を向上させる事です。私達は、とかく自分に厳しく、人には優しいものです。

例えば、友達が何か失敗をした時には、友達を責める事をしませんが、その友達と同じ失敗を自分がした時には、自分を厳しく責めますね。人によっては自分を責めるのが苦し過ぎて友達も自分も同じように責める方もいらっしゃるかも知れませんが、それでは友達はいなくなってしまうかも知れません。

自分の価値に対する評価を向上させるには、自分の良い所を見るように習慣づける事です。例えば、今日一日の私の言動の中から、褒めるポイントを探してそれを自分で褒める事を毎日続けるなどです。どんな些細な事でも構わないのです。

「幸せへの執着」についてですが、幸せな気分を思い出す事は執着ではないと思います。そしてそれで幸せな気分になれるとしたら1つの癒しの方法ではないかと思います。

ただ、幸せになりたいとの願いをお持ちであれば、何があればではなく、どうなれば幸せなのかの今の目標を立てる事(何があればの「何が」は、幸せになる道具でしかありません)、そしてそこに向かって歩む決意をする事が大切かと思います。


 

 

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