日々暮らしていて、「認知症のお年寄りが目につくようになったな」と思う今日この頃だ。
年末年始、デイサービスもお休みになるからか、近所の商店街でも、「あれっ?」と思う光景がちょくちょくあった。
郵便局へ行くと、ご老人が受付の列に並んでいるのかと思えば、さにあらず。傍らのカタログを見ているのかと思うと、視点はずれている…
みんなこんなことは見慣れていて慣れているからかもしれない。
互いに視線を避け、急ぎ通り過ぎてる。
老人は、自分でも何をしようとしているのかわからない様子だった。
誰かから『どうすべきか』を教えてくれるのを待っている
というふうにもとれた。
年明けの路上で、別の老人が前を歩いていた。
おぼつかない足取りだ。でも、酔っぱらっているわけでもなさそうで
『認知症かな?』と、後ろを歩きながら思った。
認知症の人って、どういうふうにたいへんだろう?
うちのハルさんの場合。
たとえば郵送物
福祉用具の会社や、いくつか通っているデイサービスからのもの。N区からO区へ転入したので、区役所からの手紙も多かった。そして、医療保険や、介護保険、その他の手続き関係の書類が加わり、さらには前にいた施設からも、ぞくぞくと送られてきた。
そうでなくても、お年寄りへ送られてくる郵送物はけっこう多い。
こうした書類の整理や管理をするのは、認知症の人にとってたいてい難しいだろうなと思う。(ハルさんの場合はもちろん私が代行)
さて、ハルさん自分で歩け、食事も出してあげると、自分で食べられる。
そこで、『せっけんで手を洗ってもらう』という行動をしてもらうとする……
それにはまず、洗面所まで案内して(ハルさん場所がわからない。たまに自分で行けることもある)、
と、そばで言ってあげないとうまくゆかない。
でないと、コップを洗いだしたり、
歯ブラシでせっけんゴシゴシし(ハルさんこのケースけっこう多いです)、歯をみがきだしたり、
こんなふうに、認知症の人の動きは無秩序で、とんちんかんなことになってしまう。
ハルさんの頭の中では、『せっけん』、『手』、『洗う』といったなにげない言葉の意味があいまいなようで、けっこうあてずっぽうに行動しているようなのだ。
結局、日常のひとつひとつの動作を誰かが見守って、誘導しないと、家の中ではなりたってゆかない。
おかげでたまに…、
『歯磨き粉、顔にべたぬり』なんて光景も見せてもらえる。
認知症305万人……いったいどのくらいの数なのだろう?
しろうとながら、計算してみた。
日本人全体からみると、約42人にひとりあたりが認知症ということになる。
次に、要介護認定でみてみると、
あれれ?
介護って、体のどこかに麻痺があったりとか、無理をしすぎて寝たきりになったりした人とかが、主流の対象だと私は思っていてたから、これってどこか計算間違いか、勘違いとかあるのかな?
どなたか間違い見つけられたら、お知らせください
いずれにせよ、危機的状況であることに変わりはなく
すでになってしまった人はしょうがない。
でもこれからの人は、ひとりひとりがぼけないための取り組みをして最小限におさえないと、
やがて介護保険は破綻して、
『認知症村』なんて場所が出現し、
なんて世の中にもなりかねない。
きっとこんな時って社会の大変革が必要なのだろうな、と思うのです。