マリア様だけを撮影している

 

フォトグラファーさんが

 

ハワイの協会で

 

出会ったというマリア様です。

 

bloomingと命名されたこの写真が

 

気になっていたら、

 

昨年の写真展で再会しました。

 

これはDMサイズですが、

 

A4版になったものが我が家にやってきました。

 

 

 

部屋に

 

気に入ったものを置くのは楽しいものです。

 

もちろん、

 

どこに置くかとか、

 

周囲とのバランスも大事です。

 

 

今までなかったものを

 

新たに入れるので、

 

その前にスペースを片付けたりもします。

 

 

ごちゃごちゃと

 

モノがひしめいているところに

 

素敵な写真置いたら

 

写真がかわいそうだし、

 

ちっとも映えません。

 

 

とっても当たり前のことだけど

 

まず先に片付けて

 

スペースを作ることが先決。

 

 

それを思うと

 

心のスペースにも

 

本当に必要なものが

 

入れる余地があるかどうか。

 

いらないものが

 

場所を占めていないか。

 

よく見た方がいいですね。

 

 

前は必要だったかもしれないけど

 

今はいらないもの、

 

たくさんあると思います。

 

人は、そのときそのときで

 

必要、不要が変わってくる。

 

 

これも

 

当たり前のことです。

 

年を重ねて

 

成長しているし、

 

やりたいことも変わっているのだから。

 

 

前からあるので、

 

必要と思い込んでいた。

 

あんまりになじみすぎていて

 

あって当然と思っていた。

 

そういうものや、こと、

 

結構あります。

 

 

不要なものって

 

なかなか見つけにくいから。

 

 

 

 

純粋な動機から来る

 

必要なものと

 

純粋な動機ではなくて

 

エゴや他者目線の視点で必要だと

 

思っていたもの。

 

対極にあるこの2つ。

 

 

 

実は、

 

神様は、

 

それをお見通しなので

 

後者の場合は

 

「いらないでしょ」って

 

合図を出してくれます。

 

 

なかなか物事が進まないことや

 

行こうと思ったのに

 

行けなかったこと

 

あったとしたら。

 

 

これは合図です。

 

それ、本当にいる?

 

それ、本当に行くの?

 

いらないでしょうって。

 

想い返すと

 

そんな記憶あるんじゃないでしょうか。

 

 

 

わかりやすい例。

 

以前こんなことがおきました。

 

実話です。

 

 

 

何かをインプットしたいとか

 

学びたいとか

 

癒されたいとか、

 

「受」のモードになっていて

 

講座やワークなどに申し込むとします。

 

この「受」のモードにも

 

純粋な動機かそうでないか

 

ありますけど、それはまた別の機会に。

 

 

 

 

あるエピソード。

 

 

「ドアに鍵事件」

 

ワークショップがありました。

 

勘違いして時間に遅れてしまい、

 

はじめての会場にやっとたどり着いた。

 

でも鍵がかかっていて入れない。

 

おかしいなあ。

 

電話をしても通じない。

 

結局、参加できなかった。

 

あーあ、わざわざ来たのに〜

 

 

あとで聴いたら

 

スタッフの人が

 

間違えて鍵をかけてしまったそうです。

 

電話に出なかったのは

 

瞑想が始まったので

 

電源を切っていたそうです。

 

 

 

もう一つは

 

「スマホ電池切れ事件」。

 

 

こちらは行ったことがある会場。

 

でも住宅街の中で

 

ちょっとわかりにくい。

 

google mapを頼りに行くけれど

 

どうも、住所を間違えているらしい。

 

行けども行けどもぐるぐるまわる。

 

そのうちに日が暮れて暗くなり

 

なんと、

 

スマホの電池がなくなってしまいました。

 

充電するような場所はどこにもありません。

 

電話もつながりません。

 

結局たどりつけずに

 

結局ドタキャンしてしまいました。

 

 

この出来事の意味は

 




行く必要がない!





ところだった

 

ーーーのです。

 

 

なぜならば、

 

行く(参加したい)動機が

 

「鍵かけ」の方は、

 

それをしている方に

 

会っておくといいかなと

 

ちらっと思った。

 

ワークの内容にも

 

もちろん興味がありましたが、

 

何かメリットがあるかなという

 

エゴから発した動機です。

 

 

「スマホ電池切れ事件」の方は、

 

講師の方にお世話になっていたので

 

たまには顔出さなきゃという気持ちでした。

 

これは、決して悪いことではないけれど

 

結局誰かのためという

 

軸が自分以外に向いていた結果でした。

 

もう一つは

 

その会場になっていたサロンの

 

波動が合わなかったのだと思います。

 

感じるものがありましたから。

 

 

この2つのこと、

 

もっと小さなことを

 

あげればたくさんあるけれど。

 

 

わずかに思った

 

「会っておこう」と

 

「行かなきゃ」という、

 

気持ちが

 

純粋に

 

魂から発した行為ではなかったことを

 

神様は承知していて

 

行かせなかったのです。

 

 

あなたにも、もし

 

これから

 

そういう機会があったら

 

それをしようとする理由が

 

純粋な動機がどうか。

 

本当に必要かどうか


確かめてみてはいかがでしょうか。



不要なものを除いたら


新しいスペースができます。