90年代のはじめ、

ヨージヤマモトさんや

コムデギャルソンの川久保令さんは、

ファッション感度が高い人たちの間では、

神様みたいな存在でした。

 

ファッション関係者でも、

このブランドを着こなせるのは、

ちょっとステイタス

みたいなところもありました。

 

 

当時、私は、アパレル業界の

雑誌社で働いていましたが、

1年に1回だけ奮発して

ヨージヤマモトを買ってるという同僚も

いたくらいです。

 

 

たしか、

「青山通りのカラスたち」みたいな言い方で、

黒ばかりを着る女性たちが

マスコミで取り上げられたりもしていました。

 

ヨージさんの妹ブランドの「Y’s」だったら

私にも手が出るものでした。

 

 

ボタンの掛け方が

3つずつ左右交互になってるデザインの

黒いシンプルなコートが気に入って、

さんざん着て母にお下がりであげて、

少し前に、母の遺品を整理していたら、

そのコートが出てきたので

懐かしく思っていたところでした。

 

 

その、ヨージさんの写真が、

ある日の日経新聞の日曜版に

大きく出ていました。

 

 

旅やグルメやファッション、

文化・芸術などの

カルチャーを紹介しているカラーページで、

楽しくておきに入りの紙面です。

 

 

タイトルは

「権威への反逆 自由への讃歌」

 

副題「戦死した父 無念背負い戦う

   女性のために意地のある服を」

 

ヨージさんが生まれてすぐに、

お父様がフィリピンで戦死し、

お母様が洋裁をしながら

一人っ子のヨージさんを育てたこと。

 

当時はまだ売春の法律がなく

生まれ育った新宿歌舞伎町では、

そういう女性が下着姿で、

公衆電話から男性客を誘うのを

日常的に目にしていたこと。

 

 

それら

幼い頃の原風景が、

あの、

黒くて、

ボディラインが出ない、

アンシンメトリーなカットの、

既成の概念をこわすような

服を生んだのでした。

 

 

あの服は、

ヨージさんの自身の歴史から生まれていた。

生まれた場所、

ご両親への思い、

見聞きした女性の生き方からでした。

 

それまでの女性の服は、

着心地よりも

男性に好まれるデザインが一般的。

 

お母さんが営んでいた

歌舞伎町の洋裁店に

オーダーしに来るのは、

主婦か愛人ばかりだったそうです。

 

ヨージさんは慶應の法学部を出て、

専門学校で洋裁を学んで

ファッションデザイナーになったときに

気づいたそうです。

 

 

自立した自由な女性のために服をつくろう。

 

男性に買ってもらうんじゃなくて、

 

自分で真面目に働いたお金で服を選んでほしい。

 

 

 

大きな力に翻弄された普通の庶民が、

 

戦争へ行って死んだり、

 

残された女性が子どもを抱えて苦労したり、

 

貧しさから売春みたいなことを

 

せざるをえない境遇に陥ったり、

 

生きて行くために

 

男性の庇護のもとに暮らしたり。

 

などなど、

 

どこにも自由はなかった世界から、

 

みんなを解放したい。

 

自由の世界に羽ばたいてほしい。

 

それを服で表現したのです。

 

 

初めて知った「ヨージヤマモト」本人と

 

服の生い立ち。

 

 

なんだか、

 

勇気と希望をもらえます。

 

そうだね。

 

誰もがそうやって

 

自分の原体験にあるものを

 

人生で表現しようとしてるんだ。

 

それがうまく表現できない人の方が

 

多いかもしれないけれど。

 

 

わたしたちは

 

世に問いかけることをする

 

そういうお役目を

 

誰しも担っているんだと思う。

 

 

そして

 

そのお母様は

 

どうしたかというと、

 

101歳になった今も、

 

時々ヨージさんの会社に行って、

 

宛名書きなどの雑務をしているそうです。

 

 

あっぱれ、お母さん!