うちの坊ちゃまについてのご報告です。
(ご報告の必要があるからログインできるようになったのかしら…)
先日、4/24、長太郎さんが旅立たれました。
約10日の介護の末のことでした。
2歳ともうすぐ7ヶ月、大往生といっていいでしょう。
だから、言い換えれば、具合が悪くなっていると分かった時には「もうどうにもできない状態」でした。
にもかかわらず、どこかで
(苦しい思いをさせずに天寿を全うさせることができたのでは)
(あの時こうしたけど、ああした方がよかったのでは)
という気持ちが消えずにいます。
もちろん、その時ベストな選択をしたつもりです。
私も夫も、先生も。
だから長太郎さんは
先生に「今日帰った直後に何かあってもおかしくはない」と言われながら
4日もがんばってくれたんだと思いたい。
だから旅立ちのタイミングを
私と夫が揃って家にいる時に
でも目の前では旅立たなかったんだと思いたいし
すぐにお弔いしなくて済むよう、十分お別れできるように
土砂降りの日を選んで旅立ったんだと思いたい。
たくさんのおやつを持って旅立ちました。
お歳のわりに立派な骨が残りました。
このお骨は、めしつかいであった私の自慢です。
(ご報告の必要があるからログインできるようになったのかしら…)
先日、4/24、長太郎さんが旅立たれました。
約10日の介護の末のことでした。
2歳ともうすぐ7ヶ月、大往生といっていいでしょう。
だから、言い換えれば、具合が悪くなっていると分かった時には「もうどうにもできない状態」でした。
にもかかわらず、どこかで
(苦しい思いをさせずに天寿を全うさせることができたのでは)
(あの時こうしたけど、ああした方がよかったのでは)
という気持ちが消えずにいます。
もちろん、その時ベストな選択をしたつもりです。
私も夫も、先生も。
だから長太郎さんは
先生に「今日帰った直後に何かあってもおかしくはない」と言われながら
4日もがんばってくれたんだと思いたい。
だから旅立ちのタイミングを
私と夫が揃って家にいる時に
でも目の前では旅立たなかったんだと思いたいし
すぐにお弔いしなくて済むよう、十分お別れできるように
土砂降りの日を選んで旅立ったんだと思いたい。
たくさんのおやつを持って旅立ちました。
お歳のわりに立派な骨が残りました。
このお骨は、めしつかいであった私の自慢です。