石ころ | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)


石ころ (春風の花慈しみ愛で心) / 収集日時:703日3時間17分54秒前
小学校一年か二年の頃。 私の住んでいた所は開発されたばかりの新興住宅地で、真新しい家々が続々と建ち並ぶ場所。 区画整理されたばかりで、砂利道がまだ多かった。 冬雪が積もり、春雪溶けの季節に、靴底から伝わる踏み慣れた雪の感触から砂利道の感触に変わるのが春の知らせだった。 学校の国語の授業で詩を描く宿題があり、国語が一番好きだった私は、まだ一年二年の幼い私ながらわくわくしてあれこれ想った。 しばらく考えて「石ころ」と題し綴った。 石ころは何も悪いことをしていないのに、毎日毎日人間や車に踏みつけられている。痛くて悲しくて。それでも踏ん張っている。凄いなと思う。 そんな内容。 先生が選んで下さり発表された。 私は怖くなったのだけ覚えている。 内気過ぎて、発表とか有り得ない出来事だったから。嫌で仕方なかった。描かなければ良かったとさえ思った。 後に父が偉かったなと頭を撫でてくれてようやく落ち着いて。 そしてやはり小学生の頃、お小遣いも少なくて、母の日に何もプレゼントを買えない。 色々考えて母に詩をプレゼントすることにした。 画用紙に下手くそ花の絵を描き、「月見草」と題して。 お母ちゃんは月見草のようだ。誰も知らない夜にそっと咲く月見草のようだ。美味しい卵焼きのにおい、綺麗なお化粧のにおい。静かで優しくて月見草のようだ。 と描いて渡した。 母は凄いねありがとうと涙を浮かべて喜んでくれて。 でも私は漢字を間違えたから 「これは臭いにおいの『臭い』正しいのは『匂い』よ」と(笑)。 一番大切なところを失敗したとずっと後悔して。 でも母はずっとそれを大切にとっていてくれて。 最後に確認したのは中学終わりか高校の時。 私はそれを確認する度にずっと恥ずかしさと後悔に苛まれた。 高校三年の夏休みの宿題の読書感想文。題材は芥川の「羅生門」難しかった。私は何を考えていたか何故か三島由紀夫を重ねて出して綴った。それが面白いと担任に呼ばれて全校生徒の前で発表することになった。 また後悔した。ステージで膝を震わせて読んだ記憶。バレエとは違い、読まなければならない恐怖に何日も怯えた。 続く デコテンプレで記事を書く
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