詩売りのオバチャンの周りには、様々な人々がいた。女子高生からオジサンまで、とりどりの色合いだった。
 僕が仲良くなったのは、美大に行っている女子大生と、広告代理店に勤めているボス格のオジサンだった。女子大生は、その頃まだ珍しかった東南アジアテイストの娘で、服装からメイクまで更に、考え方まで変わっていたように思う。二十数年前のことなので、上手く思い出せないのだけれど。女子美か武蔵野美大に通っていたせいかは不明だけれど、とにかく反権威主義で弱者との共存をモットーとしていた。
広告代理店のオジサンは、『あなたにもチェルシーあげたい』というコピーを作ったことが自慢だったので、僕がつけたアダ名『チェル』だった。勿論本人の前では言わない。女子大生のアダ名は、普通にアジアンだったと思う。
 当の詩売りのオバチャンは、かなり重度の身体障害を持っているらしかった。あまりロレツも回らずヨダレを流し、いたいけだった。風貌といっても描写に困るのだが、小さな顔はカラムーチョの宣伝のお婆さんのように皺くちゃだった。その他にも、昔の3チャンネル(教育テレビ)で作品が紹介された青年(アダ名は3チャン)、チェルの会社の部下で熊みたいに大きな優しいオジサン(アダ名はクマちゃん)などなどいた。
 ある時、詩売りが終わった後のいつも催されているらしい宴会に、若くて可愛い女の子が居た。

その可愛い女の子の首が、いきなり痙攣というか左後ろにひきつった。その娘は、生まれつき脳性麻痺だったのだ