思春期以降、死というものが人並み以上に気になっている。
死にたい、殺したいという当事者意識ではなく、死という究極のエクストリームが気になる、という観察者意識。
とりわけ殺人者というのは
「汝殺すなかれ」
という最大のタブーを踏み越えた者なわけで、どうやって踏み越えてしまったのかが気になって仕方ない。
ので、シリアルキラーの本など読み漁っては
「ふーん」
(状況は把握したが殺意には共感できないので)
と思ったりしていた。
死刑というのも殺人のひとつだけれど、そこには殺意はなくて、手を下す職員はそんなボタン(日本の場合)を押したくはないのだが仕事だからやらざるを得ない、という不思議な殺人だ。
死刑をどう思うか、と聞かれると、以前は処罰感情から死刑制度存置派だったのだけれど、
今現在はもうすこし廃止派に寄ってきているかもしれない。
というのも、最近
「死刑になりたいから」
という理由で凶行におよぶ輩がたびたび現れている。
自分が死刑になりたい(=逃げたい)からと、こどもを巻き添えにする(未遂に終わって本当に良かった)奴の願いを叶えてどうするの?
念願どおり死刑になったとしても、やっぱり死にたくないって取り乱す可能性もあるけれど。
アナキストとしては、殺人犯の刑は被害者遺族にゆだねてもいいんじゃない?って思ってしまう。
明治6年に禁止されました(復讐禁止令)