for my dear 54 | もしも君が迷ったなら

もしも君が迷ったなら

思いついた言葉を詩に。思いついたストーリーを小説に。

明子の遺体は昼前には桐谷家に運ばれた。莉緒はまだ微かに温もりが残る母の傍に座っていた。全員が莉緒を気遣い、二人だけを残し部屋を出た。
莉緒はただ母の傍にいた。現実が受け入れられない。だが涙は自然に溢れ出てくる。
「おか……さん。」
呼びかけても返事をしてくれないと分かっている。だけどまだ変わらぬ笑顔で微笑みかけてくれそうな気がして、母の傍から離れられなかった。


どれくらいの時間が経ったのか分からないが、爽一郎が入ってきた。お盆の上におにぎりとお茶が乗せられている。
「莉緒、何か食べたら?」
勧められるが、莉緒は首を振った。
「じゃあ、せめてお茶だけでも。」
爽一郎はまだ熱いお茶を莉緒に勧めた。莉緒はお茶を受け取ると、それを飲んだ。空っぽの胃の中がポカポカする。それだけで少し落ち着いた。
「お母さん、これで楽になったんだよね。」
莉緒はポツリと呟いた。もう苦しむことはない。
「ああ。」
「お母さん、がんばったね。」
莉緒は大粒の涙を流しながら、そう話しかけた。爽一郎は何も慰めの言葉が浮かんでこなかった。


その日の昼間、明子の父と母がやって来た。時々見舞いに来ていたので、爽一郎たちが会うのは初めてではなかった。祖父たちは、早速葬儀の準備に取り掛かった。
「まったく。親不孝な子だ。」
祖父が溜息をつく。
「親より先に逝くなんてね。」
祖母も呟く。
「でもこれで……苦しまなくていいんだよね。」
莉緒が言うと、そうだね、と二人は寂しく微笑んだ。



そして莉緒は祖父たちと共に明子が眠る部屋で一晩を過ごした。