きていただいてありがとうございます
3月に入りましたね。
今週は暖かい日が続いていて、春を感じます。
のどかな晴れた日には空は青く、普段なら「ああ 今日はいい天気」って思うだけなのですが、
がんを宣告され、残された時間があとわずかである入院しているおかあさんも、
老人ホームで退屈な時間を過ごしているおとうさんも、
今は 自分の家ではない部屋の中で、外の風景も、天気や気温も、見たり感じることができません。
そう思えば「今日の天気は~。今日は寒い」とか、空を見上げ、肌で感じ、誰かとそんな会話ができることさえ、生きている証のように感じられます。
おかあさんにも、おとうさんにも、外の空気に触れさせてあげたいです。
2月26日に、おかあさんは 内科から泌尿器科に移りました。
私が病院を訪れた時に、ちょうど泌尿器科の病室に引っ越しをされているところでした。
おかあさんは、車いすに座っていました。
新しい点滴の薬に変わった効果で、前日よりは体調がよさそうでした。
お腹が痛いと看護師さんに訴え、トイレに連れて行ってくださいました。
ずっと管を通して おしっこはしているのですが、便のほうは部屋のポータブルトイレは嫌だと、トイレに行っているようです。
私はいつも自然に涙がでてくる状態だったので、おかあさんが下痢をされていたので、それだけで胸がいたみました。
後日も、
「おしっこがもれてるねん。いつも下がぬれてるねん。管いれてるとこ痛いねん」
「看護士さんに言ってきましょうか?」
「ええ、かまへん」
洗濯物を持って帰ってわかりました。
おしっこではなく、下痢をされているんです。
もう便の方だともわからないのかな…。
帰る時、おかあさんの手を握りました。
「あんたの手もカサカサやな」
と言われました。
空気は乾燥しているし、洗い場の仕事なので、年中手は荒れています。
別れの挨拶に、手を握る。
父親の時もそうでした。
亡くなる10日前に集中治療室に入り、駆け付けたことがありました。
無事落ち着いたのですが、普段は恥ずかしがり屋の父が、この日は 私や孫たちに、帰る時に自分から手を差し伸べてきたのです。
その週末、母から電話があり、
「おとうさんが、子供や孫や主人に会いたがってるから来てやって」
父は、もうすぐ自分の死が近いことを感じているんだな、と思いました。
必ず手を握って帰ろう。
おとうちゃんの温もりや手の感触を覚えておけるように。
肺炎になっていたのですが、とても苦しそうで、私たちをろくに見れませんでした。
それでも帰る時、私と子供たちが「握手」と言って手を握ると、笑いました。
そして、それが最後になり、翌週の火曜日に亡くなりました。
おかあさんの手の温もりや感触も、想い出の中に刻み込みたいです。
わたしが おかあさんにしてあげられること。
生きている今 もっと想い出をつくりたい。
それは、いっぱいあります。
いつもは2時に仕事が終わって、そのまま病院に寄り、買い物をして帰り、家に着くとコーヒーを飲んで、お菓子を食べます。
そうや、お菓子と缶コーヒーを持って行って、おかあさんの横で食べたらええんや、と思いつきました。
そしたら、もっと一緒に時間が過ごせます。
27日。レミの高校合格を知ってから、病院に向かいました。
セブンイレブンで、温かい缶コーヒーと私が大好きなスイートポテトを買っていきました。
病室に行くと、おかあさんは、テレビを見ていたんです!!
おかあさんの好きな、推理サスペンスの再放送です。
若き頃の、泉ピン子と少年隊のかっちゃんが出ていました。
顔色もよく、前日より声も出ていました。
「ごちそうさん、久しぶりに見たで」とも言いました。
「お菓子 一緒に食べようと思って買ってきたんですよ」
「うちも ちょうど甘いもんが食べたかってん」
と言うんです!!
「ここで食べたら、おかあさんと、もっとゆっくりできますからね」
「そうやな」
スイートポテトをほんの一口だけでしたが、
「ああ、おいしかった、ごちそうさん」
って。
「先生がな、うどんでもラーメンでも、なんでも食べれるもん、嫁さんに持ってきてもらい、言ってた」
って。
ほかにも
「すこし 歩けるようになった」
「前にここで入院した時、手術のあとですぐに先生が、今からリハビリするかって言うねんで。うち、せえへん!言うた。おもしろいやろ」って、
目を輝かせて、笑って喋るんです!!
おかあさんは熱が下がり、からだが楽になり、食べる気持ちが出てきて、前向きになっています。
「家に帰ったら、おとうさんの世話してくれる人いてるんやろか」
前の日に、
「おとうさんがいると、私しんどい。安心でけへん」と言っていたのです。
「今はいろいろしてくれるみたいですから、ケアマネさんに聞いたらいいと思いますよ」
「そやなぁ、しんどいのにしようとしたからあかんかってんなぁ。頼んで任せればよかってんなぁ」
「家にいる時もしんどかったわ。
もう限界のピークは過ぎたな。
あとは少しずつようなっていくんやな。
そう思わな生きてられへんな」
そんな言葉を、私は
「そうですよ、そうですよ」
と笑って答えました。
今は 新しい薬が効いていて、楽になっているとわかっています。
よくなる人がいる、とは先生が言っていました。
よくはなっても、がんが治るわけではありません。
でも、おかあさんが明るく、生きる希望を持ってくれることが、
残された日々を 1日1日延ばしていき、1週間のところを2週間、1か月、そ
れ以上に長く生きられるにちがいないのです。
おかあさんに嘘をついている気はしません。
かくしごとをしている後ろめたい気持ちもありません。
私は いつも、
相手のことを思いやる気持ちからの 嘘やかくしごとは許されるもの、
いいえ、むしろ その方が大切だと思っています。
おかあさんにしてあげられるもの。
洗濯。
着替え。
手を握る。
一緒にお菓子を食べる。
おかあさんの食べたいものを買ってきてあげる。
そして、おかあさんに、私が作ったものを食べてもらいたい。
28日。
夕方、ハルカと一緒に病院に行きました。
この日は、しんどい時は食べたくなると言っていたチョコレートを持って行きました。
ちょうど主治医の先生が、病室を訪れてきてくださり、
「チョコレートがあるね。いいね。あとは ゼリーとかプリン、うどんや茶わん蒸しとか、歯がなくても食べれる柔らかいものをね」
いっぱい作るものがあります!
読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また