一二三神示 鎮守会

2024(6)2/10

第26巻23帖~26帖

273号

 

ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻) (昭和25年1月22日 - 10月18日)(全39帖)

 

第二十三帖(六四一)

何事も体験結構。今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。正信と思ふものの中に迷信多いぞ。理解は正信。神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ。自分の自由にならんことは大き自分が自由にしてゐるのであるぞ。神となれば、神人となれば何事も心のまま。神とは神、大神とは⦿(かみ)一十(ひと)のこと。(一月二十二日)

 

第二十四帖(六四二)

悪とはカゲのことであるぞ。斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。影は主人でないぞ。絶対は何と申しても絶対ぞ。相対から神を求めると、相対の神が顕はれるぞ。相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。必ず後戻り、判りはせんぞ。この神示、肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。早う肚に入れて下されよ。間に合はん。天の声は内から聞こえて来る。人間の言葉は外から聞こえて来る。霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。(一月二十二日)

 

第二十五帖(六四三)

心は草にも木にも石にもあるぞ。天にまたたく星にもあるぞ。ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。﹅の中の﹅に悪は入れんのであるぞ。外の﹅の中に、外の智の中に悪が入るのぢゃ。人間の智の中には悪も善も入るぞ。入るからこそ、これは善ぢゃ、これは悪ぢゃと判るのぢゃ。人間の自由は其処にあるのぢゃ。自由なければ発展ないぞ。弥栄ないぞ。霊を信ずる者は霊と語り、肉を信ずる者は肉と語り得るのぢゃ。人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。よく心得なされよ。(一月二十二日)

 

第二十六帖(六四四)

神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより他に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。総てを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。理屈の信仰に囚はれると邪道。赤児心の理解は第一ぞ。(一月二十二日)

 

 

解説

・・・何事も体験結構・・・

 

・・・大神とは ⦿(かみ)一十(ひと)のこと・・・

 

・・・悪とはカゲのことであるぞ・・・

 

斜めに光を頂くから影出来る・・・

 

・・・心は草にも木にも石にもあるぞ。天にまたたく星にもあるぞ・・・

 

・・・自由なければ発展ないぞ・・・

 

・・・人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ・・・