その手に触れて心に触れて | 能動的三分間

能動的三分間

わんわん

注ぐもの、という捉え方。

見返りなど求めてはいけない
その時点でバランスは崩れて
形も崩れ本質を見失う。



例えば普段のありがとう
ありがとうと言われるために
何かをしてあげるというのは
不純と言われれば否めないけれど
褒められたい、認められたい、喜んで欲しい
誰しもが抱く感情だが
抑もが『あげる』というのが
自分本位になってしまっているんだなあ
わたしはこんなにしてあげてるのに
とか
俺がこんなにしてあげたのに
とかは
もはや愛ではなく自己満足の押し付けなんだなあ



疲れて疲れて疲れきった身体で
洗濯物を干すの手伝ってくれたり
ゴミ捨てに行ってあげるの一言だったり
そういうのがたった少しの心の変化で
できるようになる。

変わらなきゃ、変えなきゃ、っていうのは
限りなく不自然なことであると。
何故ならば、
変わっていくものだからである

季節は変わろうと思って色を変える訳ではないし
時の流れやタイミングで
変わっていくものである
人もまた然りで
変わらなきゃって思うと変われないし
変えなきゃって奮起することは苦痛を伴う。
だから、変わっていくためには
まず心の変化が必要
なぜ変わらなきゃいけないとその心が思うのか
その部分の芯が掴めたとき
本質を視れたとき
心がまず変わっていき、自身が、行動が、波長が、全てが変わっていく。
それが自然な変化である。


ここまで深く内に入り込むと
新しい思想や思考が生まれる
その度にきっとあんりみたいな人間は
強くなれるんだろうな

長かった。



大丈夫だ。


落ち込みや入り込みでしか
見ることの出来ないせかい
結果とその結果までの過程が
死にたくなるくらいつらくても
何かひとつのきっかけで開けてしまえば
ちゃんとゼロまで戻ることができる。



導いてくれたあなたには
国民栄誉賞をあげたいくらいだね

繊細な心と繊細な心が共存するためには
繊細な心遣いが必要不可欠
それをお互いが理解していれば
なんてことなく生きてゆける


朝淹れるコーヒーの香りと
夜眠るときのプルメリアの香り

ありふれたどこにでもある小さな幸せをたくさん集めるのを始めてみようと思う。



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