フェデリコ・フェリーニ1) 監督

 

1930年代後半,イタリアの小さな港町の春夏秋冬1年間のとりとめのないできごとを描いた物語です。

 

道(1954)とはフェリーニ監督つながりです。

 

 

風の音が聞こえる町に綿毛が飛び交います。

綿毛来たらば寒き冬のじき去りゆく

綿毛と春は一緒に来ると言っていました。

 

この綿毛の正体は?

イタリアなのでpioppo(白ポプラ)でしょうか。でもこの綿毛,春の訪れというより春爛漫の季節に飛び交うようですが……

風もいわゆる春一番かと思っていましたが,どうなんでしょう。

 

夜になると町中の人々が広場に集まります。

爆竹を鳴らし,お祭り騒ぎ。積み上げた薪,魔女の人形を燃やします。

春のお祭りなんでしょうね。

San Giuseppe(サン・ジュゼッペのかがり火)という3/18,聖ヨゼフ祭の夜に行われる焚き火のことでしょうか。春分の日の風習に由来し,焚き火は冬の後に太陽を暖めるためのものだと言われています。

 

登場人物はみんな特徴的なキャラクターです。

主人公のチッタは15歳。

学校での記念写真から始まり,授業風景。

 

  

いろいろな個性的教師が出演していますが,相当デフォルメされていますが実際にこんな感じの教師がいたのでしょうね。

もし自分がこんな映画を作るならアレとアレは登場させようというキャラの先生はきっと誰もがひとりふたりは思いつくでしょう

 

チッタの家族もまた個性的

いろいろ悪さ(というか いたずら)をするチッタ,一家を支える父親は怒鳴り散らし,それに負けじと大声で対抗する母。家族全員の前で始まる両親の大げんか。

どこふく風の母方の叔父

じいさんはスッととなりの部屋に行き,何をするかと思いきや1,2,3,Booと放屁。

この家族の食事のシーンは相当印象的でした。

 

ほかにも町の人々が紹介されていきます。

 

  

美女でチッタのあこがれのグラディスカ,盲目のアコーディオン奏者,ムッチムチのタバコ屋のおばさん,そのほか何の脈絡もなく走り回るバイク

 

そしていろいろなエピソードが綴られていきます

神父への懺悔のシーン

ダイヤグリーン神父

不純な行為をしていませんか?自分の体を触りませんか?

そんなことをしたら聖ルイスが泣きます。

丸ブルーチッタ(心の声)

泣かしときゃいいんだ。

何か言ったらオヤジに通じるだろ。だから話す気はない。

タバコ屋のムチムチおばさんを見たら触らないわけにはいかないだろ。

 

自分の体を触るというのは自慰行為と言うことでしょう。

自分自身を触ると表現しているところが可笑しい

チッタの心の声がイイですね。

 

 

映画館でグラディスカの大腿を触るシーン

見ていた映画はゲイリー・クーパー主演のボー・ジェスト(1939)のようですが,「アマルコルド」の舞台はもう少し早い1935年頃のようなのでちょっと一致しない気がしますがどうでしょう。

 

「アマルコルド」の舞台となったイタリアはムッソリーニ率いるファシスト党による一党独裁が敷かれていました。

チッタの父ちゃんは「ムッソリーニが前進しようが知ったこっちゃない」と言ったとしてひまし油2)  をむりやり飲まされる拷問を受けます。

夜中にようやく帰され,心配していたチッタの母ちゃんに風呂に入れてもらいます。あんなに激しいけんかをしたのにやっぱり夫婦なんですね。

それにしても父ちゃんの背中の毛はすごかった。禿げている分,ここの毛があるといった感じ。

 

グランドホテルにアラブの王様が側室を30人率いて泊まった話もおもしろかったです。

この当時のアラブ地方にどの国があったかは知りませんが,王様以外はトルコ帽をかぶっていましたね。

現在,アラブの国の人たちがトルコ帽をかぶっているのは見かけない気がしますがどこの国の王様だったのでしょうか。

 

ビシェーンというほら吹きが一晩で側室28人を相手したそうです。

この男見るからに可笑しげな顔,スタイルです。

 

 

 

精神病院に入っている父方のテオ叔父(42歳)をつれて馬車でピクニック。

ズボンはいたまま排尿するわ,目を離したすきに高い木に登り,「女がほしい」とずっと叫ぶわ。

一緒にいる家族は相当恥ずかしいですね。

ハシゴであがろうとするとポケットにため込んでいた石で攻撃されます。

病院から呼び寄せた小さい看護師(修道女?)が「降りてこないと遊んであげない」の一言で言うことを聞くところも笑いを誘いました。

 

秋になって町中の人々がこぞって海に出て行くシーンも印象的でした。

何を待っているのかと思えば大きな船でした。

これはレックス(SS Rex)という豪華客船です。タイタニックのようなものでしょう。

当時のイタリアの技術の粋を集めて作られたもので大西洋最速横断記録を持っていました。

 

町中の公道を使った自動車レースが行なわれました。

Mille Miglia(ミッレミリア)と呼ばれるレースでMille Miglia とはイタリア語で1000マイルという意味です。

現在でもクラシックカーレースとして開催されているようです。

 

チッタがタバコ屋の巨乳おばさんの胸に顔をうずめたのが原因だったのかどうか,チッタが発熱し(?),母が看護します。

その母も春を待たずになくなってしまいます。悲しみにくれる一家。

 

この年は大雪の年だったと言っていましたが,イタリアは地中海性気候で温暖なイメージです。

本当だったら,楽しいでしょうね。 雪合戦も始まるでしょう。

チッタのあこがれのグランディスか結婚して,また綿毛が飛びかう季節がやってきました。

 

 

 

この映画がフェリーニの自伝的な作品だと紹介されている文章も見受けられますが,本人は否定しています。

ただし,子供の頃との類似性は認めています。自分の記憶や経験を投入しているんでしょうね。

 

同じ年に公開されたジョージ・ルーカス監督のアメリカン・グラフィティ(1973)は一晩のできごとのGraffiti(落書き)でしたが,「アマルコルド」で描かれている内容もある町の1年を綴ったGraffiti(落書き)だと思います。

ムッソリーニ率いるファシスト党に拷問された父親や亡くなった母親のことは「落書き」ではすまされないかもしれませんが,案外さらりと描写していたんじゃないでしょうか。

 

叙情的でノスタルジックな映画です。

家族や学校,友人,町の人々との懐かしい想い出がいっぱいつまっていました。

 

 

 

音楽はフェリーニの映画にはお馴染みのニーノ・ロータが担当です。

 

道(1954)のような切ない映画の音楽とはまた違った曲調です。

音楽もそうですし,ほのかなロマンがただよったこの映画,大好きです。

 

 

 

1)   フェデリコ・フェリーニ

「アマルコルド」の舞台と思われるイタリア東海岸,アドリア海に面したリミニ生まれです。子供時代,寄宿舎を逃亡してサーカス団で過ごしたそうです。この時の印象が後のフェリーニ映画に色濃く反映されているといわれています。

ロベルト・ロッセリーニ監督の無防備都市(1945),戦場のかなた(1946)の脚本を担当し,アカデミー賞脚色賞,脚本賞にノミネートされています。そして道(1954),カビリアの夜(1957),8 1/2(1963),フェリーニのアマルコルド(1973)で4度,アカデミー賞外国語映画賞を受賞しています

1992年アカデミー賞名誉賞も受賞しています。

 

 

2) ヒマシ油   リチネ

「ひま(蓖麻) 」というアフリカ原産の植物の種子を「ひまし」と言いますが,これを搾って得られる油がひまし油です。

脂肪油としては粘度が高く,流動性も高いため,工業用の原料として重宝されました。エンジンオイルに使用されることもあり,大手のエンジンオイルメーカー「カストロール」はここから来ています。

 

トウゴマ 

 

医療用としては小腸刺激性の下剤として古くから使用されてきました。

夏目漱石の「明暗」にもたびたび登場しています。小説の中ではひまし油のことを「リチネ」と表現していました。「リチネ」の語源を調べましたが,はっきり記載してものが見つかりませんでしたが,ひまし油の材料となるトウゴマの学名がRicinus communisですのでここから来ているのでしょう。

ひまし油の副作用として嘔吐がありますが,スタンド・バイ・ミー(1986)の中で,デブの少年がパイの早食い競争で事前にひまし油を飲んで吐きまくったことを思い出します。

下剤として使われますが,抗炎症作用,抗酸化作用,抗菌作用もあると言われ,顔のシミ,肝斑,目に下のクマをきれいにするといったマユツバものの使われ方もしています。でも調べてみるといくつかの論文もあるようです。