皆さんおはようございます
先日、ディズニーランドパリの公式本 The Art of Disneyland Paris から、開拓時代の米国西部をテーマとしたディズニーホテル・シャイアンについての記事を書きました。
今日はこの本の中から、同じ西部開拓時代をテーマとしたフロンティアランドについての記事を書きます。
各国のディズニーランド・タイプのパークにあるフロンティアランド(東京ディズニーランドではウエスタンランド)では、必ずと言って良いほど取り上げられている人物がいます。
それは、西部開拓時代の実在のガンマン、バッファロー・ビル・コーディ(Buffalo Bill Cody、1846-1917)。
彼はガンマンとして名を馳せた後、本物のカウボーイや保安官、ネイティブ・アメリカンが出演する迫力満点のショーを米国各地、ひいては海外でも公演し、興行師として有名になった人物です。
ディズニーランドパリのフロンティアランドには、興行師としての彼にスポットライトを当てた展示があることを以下のリブログ記事でご紹介しています。
また、カリフォルニアのディズニーランドのフロンティアランドのグッズショップにもバッファロー・ビルのワイルド・ウエストのショーのポスターを見ることができます。
東京ディズニーランドのウエスタンランドでも同様です。
ここで疑問が生じるのは、西部開拓時代には他にも有名なガンマンがたくさんいるのに、なぜバッファロー・ビルが一際重要な人物として扱われているのかという点。
これには、ディズニーランドの創設者ウォルト・ディズニーの人生が関わっていそうです。
先述の The Art of Disneyland Paris にこんな記載があります。
これによると、全米で大人気を博したバッファロー・ビルのワイルド・ウエストのショーは、幼少期のウォルトが住んでいたミズーリ州マーセリンの町にもやって来たようです。
逸話によれば、この時ワイルド・ウエストの劇団のパレードを見物しに来たウォルト少年は、なんとバッファロー・ビル本人に招かれてパレードに参加したのだとか
当時は、ショーの一座が町を訪れると、それを知らせるためにメインストリートでパレードを行うことがよく行われたそうです。
ディズニーパークで豪華なショーが上演されたり、メインストリートでパレードが行われるのは、ディズニーランドの創設者であるウォルト・ディズニーの幼少期の思い出に起源を持つようですね