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先日、東京ディズニーシーのレストラン櫻で9月1日に提供開始した新しいスペシャル膳をご紹介しました。
ところで、レストラン櫻のあるアメリカンウォーターフロントのニューヨークエリアは、1910年代初頭のニューヨークの街をテーマとしています。
東京ディズニーリゾート公式ブログによると、レストランのオーナー、チャーリー・タナカは1880年に大阪からニューヨークに移住した元漁師という設定です。
レストランの建物の外壁には"EST. 1905"との記載があることから、レストラン櫻はチャーリー氏がニューヨークに移住してから25年後の1905年に旧魚市場を改装してオープンしたレストラン、ということになりそうです。
そこで疑問が湧くのが、果たして当時の現実世界のニューヨークに日本食のレストランは存在したのか
という点。
この点について、1890年から1924年のニューヨークにおける駐在日本人や日本移民の暮らしぶりを描いた書籍に興味深い記載があります。
Sawada, M. (1996) Tokyo Life, New York Dreams: Urban Japanese Visions of America, 1890-1924. University of California Press, Berkeley-Los Angeles-Oxford.
この本の中に「桑山仙蔵(Senzo Kuwayama)という人物がレストランと共に1914年に西58番街(West 58th Street)に労働者向けのボーディングハウス(boardinghouse)を開業した」と書いてあります。
「ボーディングハウス(boardinghouse)」というのは19世紀から20世紀前半の米国の都市で非常にポピュラーだった下宿タイプの住居です。
ディズニーランドパリのメインストリートUSAに、ボーディングハウスをテーマとしたレストランがあり、過去記事で紹介しています。興味のある方は合わせてお読みいただけると嬉しいです![]()
さて、今回のお題に即して言うと、興味があるのはボーディングハウスよりもレストランの方です。
なんと、Digital Museum of the History of Japanese in NYというサイトに桑山仙蔵氏のご子息 Yeiichi Kelly Kuwayama氏へのインタビュー動画が掲載されており、Kelly氏が桑山仙蔵氏についての話をされています。
Kelly氏の話では、日本から直接ニューヨークに渡った桑山仙蔵氏は、アイルランド人のメイドの女性が働く家でコックとしての仕事を見つけ、キャリアをスタートしたようです。
最初から日本食のレストランを開業したわけではなく、初めに開業したのはアメリカン・レストランだったようです。
Kelly氏の話によると、日本食レストラン”Miyako”の開業は1910年頃とのことで、まさにTDSのアメリカンウォーターフロントがテーマとする時代。
彼はこれを"the first Japanese restaurant"と言っているので、やはりここがニューヨークで最初の日本食レストランという位置付けになりそうです。
(米国全土となると、西海岸には19世紀後半以降多くの日本移民が生活していたので、日本食レストランも相当数あった様子です。したがって、「米国初」ということではないと思います)
Sawada (1996)に記載のあるレストランとボーディングハウスは西58番街とのことですが、Kelly氏の話によると、桑山仙蔵氏はこの頃までに59番街で売りに出されていた商店を買い取り、雑貨屋の経営にも着手したようで、レストランには手が回らなくなり、スコット(Scott)という人物に事業を譲渡したようです。
"Miyako"で腕を奮っていたのは、必ずしも桑山仙蔵氏ではなかったのかも知れません。
いずれにせよ、Kelly氏の話に出てくる58番街や59番街は、マンハッタンのセントラルパークのすぐ近く、以下の地図の赤線で示した部分です。
Kelly氏の話によると、1910年頃のニューヨークでは、三井財閥がエンパイアステートビル内の5つのフロアに事務所を構え、他にも三菱財閥や東京銀行など主要な日本企業やほとんどの貿易会社が進出していたそうです。
これら企業には3年程度の任期で駐在員が入れ代わり立ち代わりやってくるため、これら日本人を相手にビジネスを行うことで常に5,000人程度の顧客を相手に安定的な事業を継続できたようです。
現実世界で1910年代に日本食レストランを開いた実業家も、レストラン櫻のチャーリー・タナカに負けず劣らず、優れた商才の持ち主だったのかも知れませんね![]()



