本作は、中村梅雀の演じる、徳川光圀が、劇中の解説を行っている。
水戸徳川家の二代藩主、徳川光圀は、時代劇で有名な、水戸黄門である。
「黄門」とは、日本の官位の中納言の唐名で、水戸藩主であり、中納言であるため、水戸黄門と呼ばれる。
徳川光圀は、1628年(寛永五年)の生まれで、水戸徳川家の初代藩主、水戸頼房の三男として、本作の終盤、劇中において、誕生している。
光圀には、松平頼重、亀丸などの異母兄がいるが、三男でありながら、嫡子になったのは、本作内では、家康の十一男の頼房が、兄の尾張徳川家の義直及び、紀州徳川家の頼宣に息子がいなかったのを憚ったためとしている。
義直及び、頼宣に息子が生まれた後、光圀が、誕生したため、頼房は、光圀を嫡子とし、死後、光圀が、水戸徳川家の二代藩主となる。
なお、徳川頼房の次男の亀丸は、早世したと思われるが、長男の松平頼重は、幕府直轄の讃岐国高松に十二万石で、入封している。
頼重は、徳川姓を許されず、家督を継げなかったが、長男に相応しい待遇を受けていた。
そして、光圀は、長男の頼重を差し置いて、藩主となったことを遺憾としたため、自身の息子の松平頼常を頼重の養子とし、頼重の息子の綱方、綱條を自身の養子とした。
そして、綱方が、死去したため、頼重の次男の綱條に家督を譲って、隠居し、綱條が、水戸徳川家の三代藩主となった。
光圀は、十八歳の年に、『史記』の伯夷伝を読んで感銘を受けたため、それまでの素行を改めて、学問に精を出すようになった。
この経験によって、紀伝体の日本の史書を編纂したいと考えるようになったと言われている。
そして、1657年(明暦三年)、二十三歳の年、駒込邸に史局を設置し、紀伝体の歴史書である、『大日本史』の編纂作業に着手する。
『大日本史』の序文には、「善は以て、法と為すべく、悪は以て、戒と為すべし、而して、乱賊の徒をして、懼るる所を知らしめ、将に以、て世教に裨益し、綱常を維持せんとす」とあり、紀伝体の史書を編み、歴史を振り返ることにより、物事の善悪、行動の指針としようの考えであった。
『大日本史』は、基本的に、水戸学=大義名分を論とする、尊王論によって、書かれているため、幕末の思想に大きな影響を与えた。
『大日本史』の思想は、「皇国史観」であり、幕末の水戸藩が、徳川御三家でありながら、尊王攘夷に走ったのは、徳川光圀の影響と言える。
本作では、基本的に各話の冒頭において、徳川光圀が、側近の佐々木介三郎、安積覚兵衛と、コメディタッチで、解説を行っている。
なお、佐々木介三郎は、時代劇の『水戸黄門』の「助さん」、安積覚兵衛が、「格さん」のモデルであるが、無論、史実ではない。
本作では、何故か、介三郎を、浅利香津代、覚兵衛を鷲尾真知子の女優が演じているが、男性の設定である。
水戸光圀は、徳川家康の孫であるが、決して、祖父の家康を完全に賛美しているわけではなく、大義名分を振りかざして、豊臣家を追い詰めて、滅亡に追い込む点等については、家康の陰謀と断じている。
介三郎と覚兵衛が、神君家康公の行為を正義と見做すことに対して、徳川光圀は、歴史の客観性を重視しているため、本作の解説に相応しい。
大阪の陣によって、豊臣家が、滅亡した、第三十話以降は、泰平の世が、訪れるため、物語は、完全に政治劇となっている。
特に、徳川幕府の確立及び、朝廷との確執等が、物語の中心となる。
本作は、当時の大名を総出演と言えるほど、登場させているが、誰が、何年何月に亡くなった等の訃報を簡潔に取り上げるなど、歴史書並の解説をしている。
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