日光街道歩けば浄泉寺、瀧尾神社、朝鮮通信使今市客館跡、高龗神社 | はろはろはうすの<何を食べようか>

はろはろはうすの<何を食べようか>

夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

4月30日

連休が始まったものの、
今日は何して過ごそうかと
行き当たりばったり。

毎年そうだけどね。

今日は今市宿から
日光街道を歩く。

ここまで来たら、
日光まではもうすぐさ。

「浄泉寺」







目の病にご利益があることから、
多くの「め」の字の絵馬が
奉納された薬師堂。







境内には「沢蔵司稲荷神社」

「たくぞうすいなり」と読む。



この神社で特記されるのが
「神社修復料永久増益仕法」

稲荷を維持するための永久計画が
大正時代まで継続されていたとあるが、
経済に疎い私にはその仕組みが
さっぱり理解できない。



別名「そば喰い稲荷」



二宮尊徳の子・弥太郎が
奉納した稲荷神社。

弥太郎の次女「たか」の
夜泣きがひどいため、
この稲荷にそばを供えたら
夜泣きが直ちに治ったという。

つまりこのお稲荷さんは
子供の夜泣きに霊験あらたか。



良く見ると祠の中に祠がある。
マトリョーシカみたいだ。


こちらは太子堂。

ここでは大工や左官などの職人が
集まり聖徳太子を祀る
「太子講」が盛んだったそうな。



また徳川家光が亡くなって
遺体を日光へ移葬する際は、
この寺で小休止し
棺が置かれたという。


今市総鎮守「瀧尾神社」へ。

この神社の前に今市宿の
北木戸があった。



天応二年(782年)勝道上人が
日光二荒山上男体山に
二荒山大神を祀ると同時に
当社にもこれを祀るに始まる。
(栃木県神社庁HPより)



「叶願橋」

商売繁盛・恋愛成就・子授けに
ご利益あり。



この橋には渡りの作法がある。

橋を渡る前に願い事を5回。

神前にて参拝後、
橋の手前で願い事を再度5回。

 

つまり往復で計10回

願い事を唱えるべし。

 

かなりくどい気がするが、

それだけ真剣に神様に

お願いしなさいということか。



良いことがありますようにと

5回唱えて参道を進む。





 

ここに奉納されている

絵馬が面白い。



風車は日光連山の風を受けて
運気を回すの意味。

黄色は金運。
桃色は方位除け。
赤は厄除け。

丸く抜かれた部分は、
持ち帰ってお守りにするらしい。



神社の森と境内を巡って
深呼吸。







気持ちが落ち着くなあ。




 



そして日光街道を進む。





「朝鮮通信使今市客館跡」





今は水車などか設置されていて、
公園になっている。



朝鮮通信使は江戸時代に
12回来日して
3回程日光を訪れている。



通信使の一行は
正使・副使・従事官の三使を
中心におよそ200人。

警護を含めると
1000人以上という、
大行列だったという。

 

 

江戸幕府は1万両をかけて
ここに豪華な館舎を建て、
朝鮮通信使をもてなした。

 





鎖国を行っていた日本の
庶民や文化人にとって、
朝鮮通信使は異国文化や知識と
直接触れることのできる
貴重な機会でもあった。

 


通信使の中には
文化人や医師のほか、
楽隊も含まれていた。

耳を澄ませる。

日光街道で奏でられていた
朝鮮通信使の音楽を想像する。



駐車場の向こうは
東武日光線「上今市駅」



再び日光街道へ。



どこまでも続く杉並木。



その脇には日光の
清らかな川が流れる。





「高龗神社」
(たかおじんじゃ)



本殿に施された朱の色と、
その彫刻が素晴らしい。



昔の旅人が足を休める気分で

しばし佇む。



さて、そろそろ行くか。




さらに進む。
今日の目指すゴールは日光駅だ。