夏の風物詩の花火。私の大好きなものの中の一つ。


近年は、地元の花火大会と、広島の海で開催されるどこかの花火大会に欠かさず出かけています。

尾道の花火大会に友人と行った事、宇品港の広島みなと夢花火大会に友人達家族といった事を思い出す。

水中花火の美しさは言葉に言い表せない。


今年は、息子の東京の友人がお母さんと弟さんと連れだって来岡された日に、おかやま桃太郎まつり納涼花火大会が催されたので、一緒に花火見物に行きました。

岡山城と後楽園を見物しているうちに、大勢の人が園内の芝生に集まってきた状況を見て、この場所で見学することを決定。折りしも、後楽園は幻想庭園を開催中。


夕暮れが近づき、辺りが茜色から濃い青色に染まり始め、しだいに暗くなり、幻想庭園の明かりが灯り始める。

後楽園の滅多に観られない風景の変化に感動しながら、真夏の夜が更けゆく様をゆっくりと感じた。情感深いものがあった。


そして、真夏の夜を彩る花火、岡山城の真後ろに見事に打ち上げれれ、天守閣とのシチュエーションは絶景。

図らずしてなる絶景なのか、意図して苦心しての結果の絶景なのか・・・?

どちらにしても、感動もの。


また、広々とした海上と海空に描かれる大きな海上花火、水中花火を初めて見た時の、この世のものとは思えないほどの美しさに感動したことの記憶が蘇った。綺麗という言葉で言い尽くしていまうのが、もったいない美しさは心に残っていて、水中花火のとりこになり、夏には水中花火を一度は見に出かけています。


夜空に美しく色とりどりに描かれる花火。人を感動させる華やかさを一瞬で表現する花火。

いつ見ても、幾度見ても感動。


人に感動を与えるものは、何度でも見聞きしたくなり、いつ見聞きしても心が豊かになるものなのでしょう。

そして、真に感動するものは表現法が瞬発力に富んでいる。


くどい、しつこい、長い、うるさい、押し付ける、etc・・・と、人に感じさせるものは、人を感動させるものではない。

人を育てる立場の人達が指導という大義名分で説教をすることに似ている。


優雅な美しい輝きを鮮やかに煌びやかに表現して、人に感動を与えて、潔く終える、花火。

私が、目指している生き方であり、価値観の表現のやり方。

くどくしつこく語らず押し付けないで、生きがいのある人生を輝いて生きている様で見せている人。

そういう生き様は、人を惹きつける魅力があり興味関心を集めるのでしょう。

それは幸せを広げる行為となり、おのずと社会貢献している行為になる。

そういう人になれるよう、一歩ずつ、人生を感動しながら歩んでいこう、と思う。


広島の宇品港でも、岡山の後楽園でも、花火見物の帰りの人混みは凄かった。大渋滞。

感動のあとには苦労が待っていることもある。

帰宅するまでに大変な苦労をすると分かっていても、人はまた、美しいものの感動を求めて集まる。

美しい花火に感動する人の心と、感動するための苦労を厭わない人の行為に、感激をした花火大会。


そして・・・

花火が美しいのは暗闇があるから。

花火の美しさを引き立てる大役を暗闇は果たしている。


人が人生を生き抜く姿が、真に美しいのは艱難辛苦があるから。

幸せは苦しみがあるから味わえるもの。

優しさは悲しみを感じてこそ深くなるもの。

温かさは寂しさの中でより感じられるもの。

人は、悲しみや苦しみや寂しさを乗り越えて、幸せや優しさや温かさに深みを増していき、人生を美しく輝かせていけるものなのでしょう。

人生を美しく輝かせるために、艱難辛苦は大役を果たしてくれる。


花火の美しさは、人が感動することの成り立ちの本質と、感動する心を持っている人間の素晴らしさ、真の幸せを感じるために必要なもの、を教えてくれる。


人々が感動する心を持ち続けて、社会に愛と幸せが広がりますように・・・と、花火大会の宴の終わった夜空に祈りました。

江崎英子


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