・同調する際は、拡がっていくような感覚が空間またはオーラ全体にも相手と接触しそうな手の感覚にもあるのが良く、相手の空間・オーラ全体にぶつからずに浸透しつつ拡がりながらフィットしていく感じが望ましい。

・相手に合気技をかける際、風船を思い切り潰そうとしながらも潰さない場合のように、全身は同調して緩みながらもお腹か背骨か仙骨といった深部のどこかの箇所のみをアイソメトリック的に絞るように捻ったり内向きの力みを生じさせる事で、相手に作用が起こる。この時、例えば、相手の空間全体・霧のようなオーラ全体を意念上で思い切り横に運ぼうとしながらも、腕や脚や肩や体幹の表面は同調している状態を崩さずに継続させ、尚且つ、意念によって生じる深部の力みからの力が相手と接している腕等から相手に伝わらないようにする事が大事。深部だけを絞る感覚は、肩甲骨と上腕を反対方向に捻じる際と似ている。

・前に述べた、相手が押してきている方向、つまり自分方向に相手の腕を押し付ける事で相手を無力化させる場合は、相手の力を接触面から吸い取ったりせず、相手が押し易く感じるような腕の芯にしっかりと押し返して接触面にアソビを無くし、もう片方の空いた手でフワッと柔らかく接して軽く誘導する位にして相手の腕を自分に押し付けている状態を大事にすることを優先し、そこに意識を集中させる事が大事。


・同調する感覚について、拡がっていきながら同調する感覚はずっとある方が好ましく、今まで「気を出す」と「吸い取る」の共存を述べてきたが、空間全体的な空っぽに対して外側に拡がりながら浸透し一体化していく同調感と同質の同調を自身の内側に向かっても拡がっていく感じがあるのが良い。上腕と肩甲骨を互いに反対方向に回旋させたり、「気を出す」と「吸い取る」や引きながら押す等、反対方向への意念と流れまたは力が内在している事が合気や相手とつながったりぶるからない力の上では大事。内側にも外側にも均質な柔らかい同調感が拡がり続けている事。

・自分や自分の身体を動かすという意識ではなく、空間全体、地球の拡がり全体あるいは大気が動くという意念によって身体の動きが誘導されるようにするのが良い。

・相手とつながるには同調した上で、相手の中心が引っかかるかのように相手側へ流れを入れる。


・作為の無い空っぽと同調する感覚は護道の脳波を使った感覚と近い所がある。この際、自分が何かをするのはさっぱり止めて、同調する空っぽは空や地平線を超えた遥か向こうまで拡がっているというように広い意念が望ましく、また、眼の前の同調した世界の諸々と漠然と「何となく自分と思える」「自分と区別のない自分と感じる」ような心情、気分、意識状態になっていると良い。

・骨を揃える事に関して、肩甲骨や腕はナマケモノや猿のように元々木の枝にぶら下がって楽にしている時が構造的に本来の自然な状態になる。また、腰に関してはこのぶら下がった時の胸と浮踞で姿勢を楽にしている時に所謂腰が入った状態となり、背骨や仙骨が整う。浮踞に関しては、両踵を付け左右に45度ずつ開き、つま先を立てて踵に骨盤を乗せて、股関節を左右に広げる。そして、更に股関節を外旋させるように大腿に軽く前腕か手首を当てると良い。


・「気を出す」という感覚は同調のように霧が漠然と拡がりながら霧散していくような意念ではなく、輪郭はないがきちんと身体に沿った自分のオーラの形と流れの方向を意識するようにした方が効果がある。

・例えば、手で物を取る際に普段やりがちの手に意識の焦点を集中させて手から者に向かっていく意識で動くと、体幹の重心が手に寄り、腕としては体幹に引き寄せて梃子の原理的に作用点を胴体に近づけて力を加える在り方になってしまい、「気を出す」感覚が崩れる。「気を出す」感覚では根本から発している事が大事で作用がかかる手等の末端に意識が持っていかれないようにする方が望ましい。つまり、意識の重心は軸や丹田等の体幹の中心にありながらその場を動かず、手の動きに引きずられる事なく手などが言わば遠ざかっていって腕が伸びていくかのような感じが良い。端的に表現すると「手から取りにいくのではなく肩から取る」という感じ。但し、その場合でも接触している相手の腕などのオーラと同調して相手の反射や反応を素直に受け入れて吸い取り、抵抗なくくっついていられるような状態でいる事が大事。

・物理的な力の作用を相手に与えようとはしなければしない程、ただ意念の流れまたは気・エネルギーだけを相手のオーラ的なものに浸透させようとするようになる程に合気の作用が効果的に働くようになる。


・同調においては、接触している手等は相手の一部であるかのように相手の動きに合わせてピタッとくっついたまま且つ全く妨げや抵抗とならない状態である事が大事で、この時、相手の気配ややる気や反射・反応や気のようなものを自分がただの通り道であるかのようにそのまま素直に吸い取っていく状態であると相手との繋がりができてくる。「吸い取る」感覚は漠然としたり抽象的なものよりも、接触している手から肘、肩、背中、そして腰へとその経路が順に具体的に感じられるようになるとより効果が出てくる。この「吸い取る」感覚の中でも上で述べた「意識の重心は中心のままその場を動かない」感じでいると尚良い。接触している手や腕は相手のやる気の妨げとならないで寧ろ相手の一部として感じ、目一杯相手の気配を尽く受け入れ切るつもりが良く、それ故に手や腕から相手に作用させようというような相手を押したくなる感じが出たらすぐにそれはぶつかる力となってしまう。これらの感覚の状態に上手く入っているとあたかも自分が透明になって相手の存在感がよりはっきりとクリアに感じられるような状態になる。あと前提として、事前に自分が霧のようになって遠くまで霧散しているかのようなつもりになって予め空間全体に浸透しているかのような感じでいる事。

・以前、肩甲骨と上腕を互い違いの方向に捻る事について書いたが、ここに更に前腕を上腕とは互い違いの方向に回旋させる動きを加えると良い。つまりは、腕全体の回旋に対して、上腕骨だけ反対方向に回旋させるという事である。ここで重要なのは、この動きであると広背筋が腕の動作に参加するようになり繋がりがでてくるという事であり、ボディイメージ上でこの繋がりがあるつもりで動くと自ずとこのような腕の回旋が誘導される。この動きは護道構えにも見ることができ、おそらく空手の型でもあるのではないかと思う。また、ぶら下がったり、できるだけ遠くの物に触ろうとしたりと腕を目一杯伸ばす際にもこのような腕の回旋が自然と起こる。

・吸い取る回路はおなか側よりも背中側の方が良い。自分の場合は特に左側が通るようにした方が良い。そして、吸い取る事で自分の軸が立つような感じ。

・相手全体のオーラのような空間を意識する事で相手の身体全体に作用をし易くなるが、この際、四肢よりも体幹の霧様のオーラで相手と同調しているような意念で行う。

・肩甲骨の内旋と上腕骨の外旋を同時の行うのは「気を出す」方向、肩甲骨の外旋と上腕の内旋ならば「吸い取る」方向が自然である。

・站椿は、両手で持った紙風船を思い切り潰そうとするのとフワッと潰さないように持とうとするの同時に行うような感じに、「吸い取る」と「気を出す」の両方を一緒に大きくかつバランスよく生じさせるようにすると良い。反対に、スワイショウでは「吸い取る」と「気を出す」を交互に行うと良い稽古になるだろう。


・護道の廣木先生の脳波について、すでにある空間全体的な空っぽとつながる感じ。自他共に既にもうつながっている感じによって安心している感じ。空っぽまたはすでにある何もないという感じはなるべく具体性がない方がよいだろう。

・相手の気配を探ったり気になったりするのは既に相手と敵対的に意識してしまっているから。

・本当の集中というのは忘れるという事。何をするかでなく何をしないかが大事。また、つながっているから安心して忘れる事ができる。

・つながる際は自分の身体の形を捨てる、あるいは忘れる方が良い感じになる。意念によって自分の身体を軸のように感じられるように、霧のようになる感じにもできるので、その延長で自分の形を捨てる感じや既にある空っぽの感じになる事も可能。


・つながっている感覚というのは、例えば寄りかからないけど壁に手を置いて楽に立っている時の肩や腕の状態の事でもあるが、木の幹に耳を当てているような感じでもある。

・上で述べた「空間全体的な空っぽ」について、純粋で透明な作為のない宇宙の意思というような表現に近いかもしれない。つまり、愛とか光とかも作為としてノイズになるような純粋な透明さ。


・「もう既につながっている」と「骨が揃っている」という状態があるから、よりよく自分の身体、形を忘れる事、空っぽになる事ができる。


・合気上げにおいて横に崩す際は社交ダンスのように進行方向の手の筋膜から横外側に相手の重心を誘導して、吸い取りながら押す反対の手が後方から付いていく感じ。前に書いた、相手の手首の頭骨側の筋膜を軽く張らせて微妙に相手の重心を誘導してから相手の肘や腕の筋膜を軽く誘導するように引っ張る崩し方と似たような原理。この際もふんわりした体幹の同調によって相手の空間全体を運ぶ感じであるが、重心を誘導する進行側の腕は、掴まれている手首はより緩めて相手にピッタリとさせながら上腕骨の外旋と肩甲骨の内旋を併せて行う感じで、掴まれている箇所に力を掛けようとはしない。

・相手の周りの空間にフワッと触れるようなやわらかい接触の仕方で、掌底の母指球や小指球を赤ちゃんの手のように柔らかいままの状態で相手の筋膜を相手の重心をやさしく誘導するように引っ張る。この際、筋膜に対しては押し付けて引っ張るのではなく、例えば千円札が掌に吸い付いている時のような感じに、フワッと同調して緩める事で吸い寄ってきてもらうような感じ。

・腕の根本が腰や臍下にあるような感覚かつ骨が揃っている状態だとより良く肩に気が通っている感じになる。

・これまでの自分の同調という感覚は、自分の霧のようなオーラに相手のオーラをぶつからないような浸透させるようなイメージで行っていて、相手の体幹に自分を体幹を寄せていく事で「吸い取る」ような感覚で行っていたが、自分のオーラを霧のようにして自分の身体から抜け出させて相手のオーラとぶつからないように浸透させるような「気を出す」感覚で行う事がこれからの課題になると思う。


・合気上げにおいて、胸を上に向けず暖簾をくぐるかのように、相手との力がぶつからないまま緩く動ける状態を維持しつつ身体の位置を少し相手の下に潜り込むかのようにズラし、その際、相手を誘導する方向に応じて肩甲骨と上腕の左右交互の捻じれを若干入れて、釣りで竿を腕で動かさずに背中で引っ張るかのように体幹を回転させる事で相手を崩す。

・同調は「吸い取る」感覚でも「気を出す」ように自分の霧のようなオーラを相手のオーラに浸透させるような意念によってでも可能であるが、「吸い取る」「気を出す」という意識自体が作為を生み出し働きを限定化させてしまうので、もっと全方位の空間的に広がっているものとして同調をすると良い。この場合、点のような仙骨だけを意識して動力とし、他は忘れるというか漠然とした感じにすると身体に均質な感じが出て相手とぶつからなくなってくる。

・基本的に手掌側での相手との接触では、母指球や小指球といった掌底だけが柔らかく接しているようにするのが良い。掌や指を使わざるを得ない場合も掌底から順に柔らかく触れていくのが望ましい。

・相手が腕で押してきている場合は、その腕に触れて相手の押す力を増長させつつ相手の重心が腕に誘導されるように自分方向に押し付けると無自覚的に一度相手は力をそれ以上入れにくくなり上体は硬直状態になる。その上で相手の腕を自分に押し付けたまま押されている所から押し返すと相手は崩れ易い。

・お腹や腰を緩める場合は、腕側からよりも脚側からのつながりから緩める方が効果がある。

・気の武術とアストラル体の武術は別のものと解釈した方が良い。

・「吸い取る感覚」は「気を出す」状態の肩においても素直に肩を通って体幹に浸透し入ってくるように共存している事が望ましい。

・アストラル体の武術におけるアストラル体というのは宇宙体と表現した方が適しているような感じがする。作為を抜くという意識では身体から流れが絞り出されていくようなイメージになり、それが結果として身体の緊張・硬直を微妙に生じさせてしまっているように思える。そうではなく、夜空のような柔らかい無作為の空洞のようなものが自分の身体の中から広がって作為が追いやられていくような感じで、宇宙空間みたいな印象を覚えるので、その人その人の宇宙体として捉えてその領域で同じ宇宙同士で一体となっているようなイメージ。


・上腕の内旋と肩甲骨の外旋、または肩甲骨の内旋と上腕の外旋を合わせた動きをする際、肘が向かう方向は真っ直ぐ決めて動く方が良い。

・自分のエネルギー体で相手のエネルギー体を既に触れているという感覚を大事にする。

・相手の腕に自分の腕をダランと乗せてそのフォームが崩れないようにお辞儀する事で相手を崩す際の「フォームが崩れない」とは上腕と体幹の角度が変わらない事、肩には気のアースと吸い取るが共存している状態がある事、例えば、指先で切手を摘んでそれを見ながら礼をした時に腕の形が変わらず目と切手の距離も変わらずに腰を折る動きになる場合の腕の感覚の事。

・上腕骨と肩甲骨の互い違いに捻じる動きにおいては、肩の根本、もっと言うと体幹の軸が変わらないままに動く流れに意識を置くのが良い。真っ直ぐ向かう力の方向も根本からの意識で。

・合気上げで鳩尾辺りだけを回転させる事で相手に響かせる場合、上腕と肩甲骨の捻りの意識を左右逆の形でお腹の回転に合わせるように軽く行うと良い。

・肩に気を通す、あるいは気を出す感覚というのは、一つはホースから水を勢いよく出すとホースが固くなるのに似て、気がよく通っていると強い状態になる。そして、この気が通っている感覚は「オー」と声を出しながら息を吐く時の喉や咽頭、口腔、響きの感覚にもよく似ており、これを丹田から頭頂方向に「オー」と息を吐き続けるようなつもりでいると言わば体軸の感覚に近いものが感じられる。また、上腕と肩甲骨の捻りは気が通り易い動きでもある。更に、ケトルベルを振る時に上腕が肩甲骨から引っ張られて間隙ができるような感覚も気が通っている状態である。つまりは肩甲骨によって垂れ下がっている上腕が遠心力で振られるのに似た動きが望ましい。

・今現在自分が合気において成立する条件として意識している事
 ①体幹の軸を変えず肩甲骨などの根本で動く意識と、肩や体幹、股関節などから気を出す感覚
 ②ケトルベルを振っている時の肩の感覚
 ③相手と接触する手や前腕は特別同調のみに働くようにし、相手に力を掛けようとは決してしてはいけない


・相手に気を通す場合、左右両腕から相手の中心へ気を出すようにした方が良さそう。但し、気を出すと言っても相手に気をぶつけては駄目で、気は強さや大きさではなく"柔らかさ"を大切にする。

・相手の腕の筋膜を軽く引っ張り相手が気付かない程度に僅かに相手の重心を引き出し、その上で同程度に軽くもう片方の腕で相手の重心を誘導するように引っ張られている筋膜に作用すると崩し易い。

・音が音源から全方向へ広がっていくように、気を出す感覚や同調の意念及び感覚は球のような空間的な広がりとして生じさせるのが良いだろう。

・空間のマス的な軸に沿う感じと作為を抜く緩んだ感覚の両立が大事。

・今日思い付いたかなり効果を感じたものがあったのでメモ。昨日の護道の稽古会で母指球と小指球を寄せる掌の形の説明があったので思い付いたのだが、掌の人差し指と中指を軽くくっつけ、中指と薬指は逆にくっつかないように意識し、薬指と小指は軽くくっつけて親指と薬指と小指の指紋を軽く合わせるというだけの状態を保って、後は手も全身もタランとリラックスさせたまた散歩なり左右に体重移動をして体幹を捻って横回転させるスワイショウなりをするだけで、身体は自然とまとまっていく方に誘導され、合気や護道の脳波写しの際に感じる気の流れと表現したくなるようなザワザワ感が全身に通り易く(生じ易く?)なり、手術痕の違和感等も今まで経験した事がない位緩むのを実感した。中医学の考え方で手の親指を頭、人差し指と中指を腕、薬指と小指を脚に対応させて捉えると昔聴いたことがあり、且つ、合気で人差し指と中指でペンを持つ時よりも薬指と隣の指でペンを持った方が上半身と下半身が繋がって腰が強くなる体験をした事があったのでこれらがヒントになった。このペンの持ち方については、誰かがそれぞれの持ち方で書いた文字を見つめるだけでも、自分の身体が書いた人の身体の何らかの情報を共感的に読み取るのか判らないが、なぜか自分の身体の状態にも反映される。この事については三体合気さんの動画にもある。また、かなり以前に母指と小指の中手骨で卓球の球を軽く持ってただ落とさないようにしているだけのつもりでいると肩口にチューブの歪みがほどけて通り易くなるような感覚が生じ腕全体が強い構造になる事を書いた事があったが、これも関係しているように思う。

・自分の骨で相手の骨を軽くコツンとする方法は、できるだけ音が小さく優しい感じにする方が良いかもしれない。


・身体を芯から緩ませてお風呂に入ってリラックスする時のように引き寄せる力みを諦めて関節などのネジが緩んだような放散させる感覚は丁寧に体幹から四肢末端、更には外の空間に均質に広がっていくようにすると、意識による屈筋系を使う感じが無くなり、伸びていくような感覚で動くようになる。この状態だと相手にこちらの作為が伝わりにくくなり、反射的な緊張が起こりにくくなる。この緩みの感覚・作為が抜けていく感覚を全身に満たしながら、例えば顔や胴体からなるべく遠くで風船を割ったり、スーパーのカートを押したりする時のように、身体を相手に寄りかからせたり近づけたりせず、背骨より前方はそこに置かれているだけの人形のようにもう使おうとはしないで緩みの感覚を流し続けるだけにし、背骨あるいは軸で相手からの反作用を吸い取るか、ぶつからないように迂回するか、または相手から伝わる力で自分の軸を運んでもらうような感覚(馬跳びに若干近い感じ)にすると合気がかかり易くなると感じた。

・合気についての個人的な解釈であるが、言わば、自分のオーラ・雰囲気・気のような空間的な何かをより同調する性質に相応しく、柔らかく捕らえ処のなく精妙な質に精錬していく事。身体を緩める感覚はその精錬した同調感覚に置き換える場となる感じ。

・相手の身体や軸を動かそうとするのではなく、自分の自己領域で相手の自己領域空間をフォークリフトやスプーンで掬うように添えて身体としては同調のみに徹して、仙骨等で優しく運んでいく感じ。


・上腕を内旋させる際は肩甲骨は後方へ、上腕を外旋させる際は肩甲骨を前方へ突き出すように肩関節で雑巾絞りをするように反対方向に動かすと強い構造となり力が出る。恐らく空手の三戦や突きの型がそういった身体操作をしているのではなかろうか。この動きの際は肩関節のみならず背中や体幹と繋がっている感覚が活きてくるようにすると良い。

・"back to"という感じ。動きが背中から発し、四肢は波紋のようにただ後を付いていっている感じ。前方へ力を出したり、動きの目的・目標とするのではなく、例えるなら前方とは鯉幟の尾ひれ側のようにただ流されて現れている結果のようなもの。 

・ 例えば壁に楽に手を当てるだけで寄りかかったりせずに立っている時の肩の状態というのはとても合気や同調と関わっていると感じる。この時、何か自身の中の作為のようなものがアースするかのように安心感と共に自然と対象に抜けていくような感覚が微妙にあり、「気を出す・気が出る」と一般に言われているものと関連しているのではないかと個人的に解釈している。これはこれまで書いてきた「緩みの感覚」と密接に関わっており、更に以前書いていた「吸い取る感覚」または上に書いた「体幹で相手からの作用・反作用をぶつからないように吸い取る感覚」が共存している時に相手との同調は生じる。力伝える事よりもこの同調をこそ合気では優先するべき。

・上の同調状態にある腕で相手に触れるか触れないかいる場合、自分の背中から相手の背中を通ってまた自分の背中へと帯を一周させたかのように背中の作用が相手に伝わるかのように感じる状態になる。

・以前、「霧の赤ちゃんをやさしく運ぶつもりになる」という事について書いたが、これはこの地球自体、空間自体を大きな霧の赤ちゃんであるようにイメージするとより効果的な感じがする。そして、「運ぶ」ではなく、「触れている・手を当てているつもり」という意念・感覚イメージによって一種の安心感と空間と繋がっている感じ・空間にとろみがあるかのよう感じが生じる。意念について以前は「感覚と密接に関係し身体の状態を誘導可能な身体感覚的・当事者的イメージ」と捉えていたが「実際の空間と繋がっている感覚を伴う空間イメージ」とも捉えられるように思った。

・身体や自己意識を独立した単体としての個体と見なすのでなく、実際の空間との共依存として成り立っているように感じられる。所謂、「宇宙の構造は周波数とかエネルギーである」という表現は自分は嫌がっていたが、プールの中のように空間自体を水のような実体と感じ、身体に血が巡るように空間と自分に精妙な流れのやり取りが呼吸のように断絶なく続いているようなイメージが今は自分にはしっくりくる。

・相手の中心軸と自分の中心軸をぶつかり合わないように微妙にズラしてすれ違うようにすると力もぶつからなくなる。

・尾てい骨近辺の筋肉も緩ませるようにすると流れが通り安くなる。仙骨は立たせるが腰を反るように入れて押し込むように力を出すことは止める。

・所謂、朝顔の手の形は前腕を緊張させずに手掌腱膜、掌の腱だけでやる感じ。少なくとも指は使わず、バットやラケットに意識を通す時のように意識が通っていく感覚イメージだけに注目すると掌の腱だけでやっているような状態に近くなる。

・「気を出す」と「吸い取る」の共存状態の時に同調が生じると述べたが、まず五本の指先から身体内部へとその精妙な感覚を丁寧に見ていく事が大事に思う。指先から通る事によって自分では緊張する癖になっていたような偏った所にも緩みを誘導し易くなると感じる。「気を出す」感覚については、例えばエスカレーターの手すりに手を楽に置いている時の作為が肩や腕からアースするように抜けていく感覚が近く、「吸い取る」感覚はイメージとして、まるで自分の手や腕が霧のようなものでできていると想像した時に、もし眼の前の空間に漂う霧にその手を差し入れたとしたら自分の手に空間の霧がぶつからないでそのままの状態で浸透してくるような気がするが、こういったイメージから誘導されてくる感覚に近いと思う。

・全身は同調を優先し、動きを発する仙骨または鳩尾辺りについてはまさにそこだけの小さい範囲を動かすつもりでいると合気が伝わり易くなる。

・合気において作為の抜けていく感覚が大事であると感じるが、別の言い方をすると軸や体幹へ求心的に引き寄せようとしたり、繋ごうとしてしまう癖を諦めて、お風呂に入ってリラックスする時のように放散的に関節の隙間が緩んでいくような感覚に近い。この感覚においては特に胸鎖関節の所から緩んで隙間が開いていくようなイメージで誘導する位が良く、屈筋を使う事を一切諦める意識が大事である。

・合気ではいつもの自分の肉体ではなく、もう一つの霧様のような漠とした身体にフォーカスする。これは例えば、自分の心臓の鼓動に耳を傾けるように注意を向けたり、自分の体温の空間的な広がりを感じようとするときのように、いわば意識の焦点としての事柄に感じる。

・上記のような作為の抜けの感覚が全身へと広がり身体を満たして更に空間へと広がっていく感じが良いが、合気の技においては相手の身体に対して作用しようと思ってはならず、寧ろ空間自体にに自分の作為の抜けていく感覚を丁寧に伝えていく感じが良い。

・「腰を回す、軸を回転させる」という意識だと身体の動きに均質性が欠けて部分的な力に偏り力がぶつかり易くなる。「軸の向き、身体の向きを変える」という意識にした方が身体全体が均質に動くように感じる。

・上で屈筋側を使わない意識という事について書いたが、向きを変える動き等においても背中側の方の意識が8割位のつもりが良い。相手を引く場合であっても肩甲骨と上腕骨頭は離れて隙間が空いている感覚の(あるいは作為の抜けの感覚が浸透した)まま、接触している掌は無視し全身の均質な動きの方を優先する。


・護道における「骨を掴む」という感覚について、これは自分の骨で相手の骨を音叉を軽く叩いて響かせるように軽くコツンとノックし、相手から押し返す反射が起こってかつ自分の接触面が相手に引っ付いている(但し、相手を押したり作用を与えたりはしていない)状態になった時の事を言い、この時は相手に対して先を取りながら繋がりが生じている状態にもなっている。この状態の上で接触面から相手の各関節に意念・意識を通していくと「筋を通す」状態となり相手との一体化が生じ不覚筋動が誘導される。この一体化は出来るだけ自分の作為が無い方が効果的である。作為が無いというのは言い換えれば屈筋を使う癖を諦める事でもあり、相手や作用点や接触面に自分の重心を寄せようともしないのが望ましい。

・廣木先生の脳波によって相手の力を受ける際にも、脳波だけではなくきちんと上記のように骨で繋がるようにし先を取って相手の肩に微妙なズレを起こす事は最低限必要であるとの事らしい。

・今日は廣木先生から色々話を聴き、初めて護道の稽古に参加してから2年以上経って今更ながらようやく錬成法と各軸に対して関心を強く持てた。護道の身体観や軸の考え方の深い所がやっと少し解ったように感じた。言葉にすると極端な言い方になってしまうが、まず自分というものを、世界として概念でなくリアリティとして実感する謂わば空間感覚の広がり全体として捉え、今まで非我として対象化していた世界の諸々の事物はある意味、自分で意図的に動かせず勝手に生じている血液の流れや神経の活動電位のように自分の中で勝手に生起しているものと見なしてしまう。これは、自分の身体と世界を分離したものと捉えてしまうと、自分という中心から世界へ発しようとする作為と時間的、空間的スタート地点が作られてしまう事を避けるのに効果的な側面がある。ただ、単にそう捉えるイメージだけしても身体の状態や動きの誘導には繋がらないので、ここで軸というものが実際的な意味を持ってくる。軸というのは実際は存在せず仮想的なもので正解もないが、しかし、運動や武術に取り組んでいる人達にとっては身体感覚に近いリアリティのあるイメージ(自分はこういった類のもので実際に自分の身体に影響をもたらし動きや状態を誘導できるイメージを意念と呼んでいる。アスリートがやるイメージトレーニングや想像上で自分が自転車を漕いでいるイメージする等もこれに含む。)でもある。軸はそれぞれ各人にとってのしっくりくるもので良いが、空間と身体とがリアリティをもって繋がるには軸のようなイメージが適しており、前後左右上下に方眼紙のマスの枠ように認識空間・空間感覚の中に軸が既にあって、壁に手を触れているように地平線のような遠く、あるいは立体的に実感する空間感覚の端・際に既に触れて落ち着いているような感覚イメージが、身体を貫いてつっかえ棒のように既にそこにある軸の端っこにある事によって空間とのリアリティのある繋がりが生じるのではなかろうかと僕は解釈した。つまり、この観点においては軸は自分から出ていたりするものではなく、空間感覚全体という自己において軸という方眼紙が骨子のようにあり、ただ身体と呼んでいる自己の一部がそのマスに沿っているという捉え方がポイントだと思う。なので、錬成法においてより深い所で目指されているというものは何か物理的な構造を鍛えるのではなく、身体を空間のマスに合わせるという体験・体感を通して、その時の感覚に慣れ親しみつつアンカリングし無意識でトリガー可能な状態にする事なのだろうと個人的に推察した。因みに、ただ壁を手で触っているだけで身体の方は適度に緩みながら落ち着いて自然と腕が強い構造に勝手になる。その為、相手からの力に対して自分の身体から出す力や寄りかかりや地面からの力、平衡感覚に頼ろうとするのではなく、軸のマスが空間の端に触れている感覚に頼ってそこに安住して落ち着いたままでいるような感じで応じられるようになるのが多分望ましいのではないかと思う。これらは骨で繋がるとは別の意味で先を取っている状態でもある。

・意念によって「先を取る」という場合にも、骨を掴むという「先」と、空間の広がり・場と繋がるという「先」の少なくとも2種類の「先」が異なる要素としてある。

 

・護道において、相手と相対して護道構えで相手の横を通り抜けながら相手の腕に手を添える際、所謂格闘技や武道のように半身になって相手の攻撃を受けようと待ってしまうと相手から攻撃できる状況が継続してしまうので、相手の横を素通りして向こうまで進み続けてしまうつもりで護道的な対処をするようにした方が相手に追われ続ける状況から逃れ易くなる。