星に願いを | 慣れないハリネズミ棗の終活

慣れないハリネズミ棗の終活

生き物をまともに飼ったことがない超・ど素人がハリネズミとマルチーズに切磋琢磨。金魚・ハリネズミは虹の橋へ。男女双子の妊娠・出産・育児記録。ハリネズミの緩和ケア記録。インスタ→tippy_white(マルチーズのティッピー)

棗の死、葬儀、遺品(フードや生き餌など)譲渡・整理、関係者の方々へのご報告など…何かとバタバタした日々が続いていましたが…少しずつ、落ち着いてきたので、中途半端になっていた闘病記録を再開したいと思います。


まさか、こんなに早く逝ってしまうとは思わず…振り返る形で書き綴っていくことになるなんて、思わなかったけれど。


それでも


棗の生きた証と最期を伝えたい、遺したいから…辛くても苦しくても悲しくても悔しくても寂しくても、私は最後まで書きます。


今日の記事は、棗の〝しこり〟を見つけた時の私の行動や感情を赤裸々に書いた元アメンバー限定のエントリーを改稿したものです。


まだ、棗が生きていた…7月初旬の記事の再掲載です。



クローバークローバークローバー



はるたろうさん、たみちゃおさん、貴重なコメントありがとうございますえーんお二人が背中を押してくださったので、あえて、〝しこり〟を見つけた時の〝山田うさ子という人間〟の言動・気持ちを洗いざらい記録しておこうと思います。(※皆が皆、同じような気持ちになったり、行動したりする、といった話ではありません。あくまでも〝私〟の話です)また、以前、アメンバー限定エントリーで吐露した際に励ましてくださったTomokoさん、ぐってぃ〜さん、本当にありがとうございました。




クローバークローバークローバー




あれほど、棗の負担になるから麻酔は止めようとカメ吉と決めていたのに。
気がついたら『麻酔の予約をしたい』電話をしていた。かかりつけのエキゾチックアニマル動物病院に。


エキゾチックアニマルを飼う人が増えている一方で、エキゾチックアニマルを診れる病院は極端に少ない。


既に土日は予約が埋まっていて予約ができず、主治医に担当して欲しいのなら、早い方が良いなら平日しか空いていないということだった。


棗は電車が嫌いだ。

小さい頃は電車で通院していた時期もあったけれど、いつも嘔吐してしまうから、車に変えた。


特に、麻酔による全身の検査を行う際は、午前中に診察を受け、同意書にサインし、棗を預け、お迎えは夕方である。まさに一日がかり山田家の場合、カメ吉の協力無くして受診は不可能だった。


〝しこり〟を確実に見つけたのは7月4日。

カメ吉の仕事は月初めは休めない。勿論、分かっていた。


だけど


なりふり構わず、カメ吉に相談もせずに衝動的に病院に電話をかけていた。


そして…もし、本当に今回が〝最後〟の麻酔を使った全身の検査になるのなら、小さい時から棗を担当し続けて下さった主治医でないと嫌だった。


くしくも、予約可能な日は最短で77だった…ああ、七夕じゃないか。


流石に、一旦、電話を切って、カメ吉にLINEで、棗の〝しこり〟を発見したことや病院(主治医)の予約に関しての現状を伝えた。


仕事中にも関わらず、LINEを送信してから、すぐに電話がかかってきた。


7日は、どうしても休めない仕事があると。

(うん…ごめんね、知ってるよ)


カメ吉も〝最後の麻酔〟なら主治医でなければ嫌だと言った。そして、7日以外に診て貰える日はないのか、と。


ねぇ、カメ吉。


77は…


私たちの5回目の結婚記念日だよ?

5回目の七夕だよ?


どうしても?

どうしても休めないの?


泣けてきた。

否、泣いていた。

ボロボロボロボロ…と良い大人が泣いていた。


その頃、ちょうど山田家では笹の葉に(※山田家は季節行事を重んじている)家族みんなの短冊を書いて、飾っていたのだが…七夕


今なら、短冊に書くよ。

〝7日に棗を病院に連れて行けますように〟って。


棗の〝しこり〟を見つける前のことだ。

ただの偶然にしては不吉な出来事があった。

それは、部屋の換気をしていた時、風に吹かれて笹の葉から誰かの短冊が落ちた。


ーーー 棗の短冊だった。





一瞬、落ちた棗の短冊にザワッとしたけれど…その日の夜、カメ吉に報告して「もう、シャレにならんよね!不吉すぎてヤだ〜(苦笑)」なんて、二人で苦笑いしていた。



苦笑いする余裕なんて、4歳を過ぎた棗に対して無いのに。



再度、動物病院に電話し、7日以外に予約ができる日はないか確認し、何とか7月10日に予約することができた。


当初、予約していた日曜日の受診はキャンセルした。


棗が嫌な思い・痛い思いをするのは、たった一度で良い。



だって…

これは、私たちの人間のエゴだから。


ただの脂肪の塊であってほしい。

命に関わらないようなものであって欲しい。


いつもの私の過度な心配性と杞憂であって欲しい。



それでも



もしも、本当にその時が来たのなら。

もう四歳の棗の来るべき時が来たのだったら。


きちんと棗の体の中で起こっていることを知りたい。


棗の体の状態を究明し、明確にしたい。


明確にしなければ…正しい治療も看護も介護もできないのだから。



ごめん、棗。

棗は嫌だよね…だって、病院が一番大嫌いだもんね。心と体に負担がかかるのは私たちじゃなくて、棗だもんね。

棗の気持ちを理解していながら、私たちの気持ちを押し付けて、ごめん…だけど、もう一度、頑張ってほしい。



ふと、ある日のカメ吉との会話を思い出す。

どんな話の流れで、そんな話になったのかすら覚えていないけれど。


『ナッツがさ、死んじゃった時って、どんな気持ちになるのか想像できないよね』


って。


棗にとって、触られることが一番のストレスになっていると気づき、〝目指せ!ベタ慣れハリネズミ!〟から〝個性尊重〟〝程よい距離を保つ〟というスタンスに変えてからは…棗は山田家の一員だけれど、どこか同居人とか、自宅警備員(引きこもり・ニート)の次男というポジションだった。山田家は二階建ての一軒家なのだが、棗には【棗部屋】という棗の為だけの一室が二階にあり(温度・湿度管理や環境の管理の為)いかにも、というアレなヤツだ。


だから


棗がいない世界って想像できないよね、と。

棗がこの世にいないということが実感できるのかな、って。


涙は出るのかな?泣けちゃうのかな?なんて、割と言葉や文章にすると冷淡なことを。


金魚は…自分の力不足で、たった二ヶ月で死なせてしまった上に、目の前で目から光が消える瞬間を見たインパクトが強く、四年経った今も思い出すと辛い。


でも、渚と違って。


ナッツはさ、何だか猫みたいな死に方を選ぶ子なんじゃないか…って。「猫は己の死期を悟ると、そっと飼い主の前から姿を消す」と…遠い昔、まだ私が幼かった頃、母が教えてくれました。


何よりも、棗は4歳半です。

ペットのハリネズミで4歳半は珍しく、人間に例えれば、かなり高齢です。


だから…こう〝100歳を超えたお年寄りを送り出す時〟みたいな気持ちになるんじゃないかって。


よくやったな!がんばったな!


みたいな…まるで、夏の甲子園で優勝した高校の監督のように。


まあ…、それをカメ吉に言ったら100歳を超えたお年寄りでも亡くなったら悲しいし、泣くよ』と、淡々と返されましたが…。


そんな、縁起でもない話…しなきゃ良かった。


だってさ…


まだ何の検査もしてないのに、こんなに体が冷たくて。指先が震えて。泣いてんの…ここ、ベランダなのに…洗濯物、まだ干し終わってないのに…良い大人がボロボロボロボロ泣いてて。


その後は…よく覚えていない。


私が


【棗の個性を大切に】


だとか


【棗にストレスを与えないように】


だとか


【慣れないハリネズミに対して考えて、行動してきたことの全てが】


それって『逃げ』だったんじゃないの?


それって『棗と真っ正面から向き合ってなかった』んじゃないの?


だから、〝しこり〟に気づかなかったんじゃないの?


わたしが、もっと…もっと早く私が気づいていたら…ずっとずっと赤ちゃんの時から誰よりも先に、どんな小さなことだって気づいて育ててきたのに。


気づいてあげられるのは、この家の中では、私だけだったのに。


…ああ、頭が痛い。胸が張り裂けそう。不安と心配で。こんな時でも、ティッピーや双子の前で、無理にでも笑顔貼り付けてでも頑張らなきゃ【母親】じゃないって思うのに。頭では理解しているのに…理解、しているのに…


ーーー 私には、できない。



何もかも中途半端で

何もかも現実逃避したくて

何もかも放り出したい



これだから


どんなに繕っても

いつまで経っても

〝母親〟になれない




2016年

生きることに絶望していた頃

渚と棗だけが生きる理由だった


そんな大切なことを

いつから忘れていたのだろうか


〝失うかもしれない〟


気付いた時に思い出したって


もう


遅いのに




※このエントリーは以前、棗の〝しこり〟を見つけた時にアメンバー限定で自分の気持ちを吐露したものです。7月に入ったばかりの頃の記事を全体公開用に書き直したものです。



棗の最期まで振り返りながら書きます。

応援よろしくお願い致します下矢印


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