タロア島の元山空搭乗員救助のため、呂39が向かったけど敵艦に見つかりやられてしもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

呂39は、呂35型の5番艦。
 
1943年9月12日に就役し、
 
第一艦隊第11潜水戦隊に編入されました。
 
 
 
 
 
 
独海軍のVII型クラスと同等のサイズですね。
 
 
 
 
 
 
1944年1月6日、トラックに到着。

補給を受けた後トラックを出港し、
 
ウォレアイ環礁周辺海域に進出。
 
 
 
 
 
 
ギルバート諸島のマキンとタラワは

1943年11月23日には敵に占領され、
 
次の目標は
 
マーシャルであることは容易に推測されます。
 
 
 
 
 
 
1944年1月末、
 
敵はマーシャル諸島一帯を激しく空襲。
 
 
 
 
 
 
 
この空襲で基地航空部隊は壊滅。
 
 
 
 
 
 
 
30日、敵機動部隊はマロエラップ北東200浬にあり
 
との電文を受信した呂39は急きょその海域に向かいます。
 

2月1日、ウオッゼ環礁、マロエラップ環礁に展開してた
 
元山空搭乗員の救助を命ぜられ同海域に向かいました。
 
 
同日日没後、充電と空気清浄のため
 
夜間浮上航行中、ウオッゼ付近で
 
駆逐艦ウォーカーのレーダーに捕捉されます。
 
 
 
 
 
 
ウォーカーは照明弾を発射。
 
不意を突かれた呂39は慌てて急速潜航。
 
しかし潜航位置を特定され呂39の直上で
 
ソナー探知し、爆雷攻撃を行い呂39は撃沈。
 
 
 
 
 
 
艦長以下乗員70名全員戦死。
 
それと共に元山空搭乗員の救助も
 
叶いませんでした。
 
 
 
 
 
 
敵は飛び石作戦でウオッゼ、マロエラップを
 
飛ばし、クェゼリンを攻略目標にしたため、

ウオッゼ、マロエラップでは兵糧攻めに合い、
 
同島守備隊は戦闘に参加することなく
 
病死・餓死していくことになります。
 
 
 
 
 
 
 
しかしマーシャル諸島各地の残存航空要員は、
 
802空・753空の献身的救出作戦で救助され、
 
取り残された守備隊からは恨み節が聞こえたとか。
 
 
戦後ここタロア島で零戦が発見され、
 
1機はロンドンの帝国戦争博物館に展示してあります。
 
 
 
 
 
 
この機はもともと稼働機で、零戦の技術調査のために
 
英国に運ばれたのですが、輸送途中で各部品を亡失。
 
現在この姿で展示されています。
 
 
もう1機は、1978年に滑走路脇のジャングル内で発見。
 
この機は252空所属機で館山~ラバウル~マキンと転戦し、
 
マキンが戦場となった際タロア島に避難した機です。
 
 
 
 
 

32型Y2-128で、21型の翼端を切断し
 
発動機を栄12型から栄21型の換装した
 
唯一現存する32型です。
 
現在は福岡県の

筑前町立大刀洗平和記念館開館に
 
復元展示してあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰投した各艦長から夜間浮上航行中に
 
いきなり砲撃を受けたとか、
 
敵の爆雷攻撃が執拗で
 
こちらの位置を探知されてるとかの意見が、
 
数多く出されてるのに
 
海軍は何ら打開策を講じることなく、
 
やみくもに出撃を命じています。
 
そんな中で呂39もまた犠牲になりました。
 
 
潜水艦作戦をなんと心得ているのでしょうか?
 
単なる消耗品としか捉えてなかったのでしょうか?
 
 
潜水艦の建造も乗員の技術習得も
 
一朝一夕では成しえないのに…。
 
 
 

 
 
 
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