昔、異人さんに売られて行っちゃった九五式軽戦車!現在里帰り計画が進行中!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

◎Yahooブログ終了につき
 
「第弐章」「第参章」「第肆章」
 
の記事を再掲載しています。
 
(記事の内容・画像は掲載当時のモノです)
 
 
 
●2019年2月5日の記事から
 
 
 
京都嵐山美術館は、
 
武家美術史料と太平洋戦史資料の
 
展示としていましたが、
 
京都市の区画整理に敷地建物が
 
引っかかったのが
 
主な理由となり閉鎖となりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
その後、太平洋戦史資料は、
 
新しく南紀白浜ゼロパークを
 
開館して移動しましたが、
 
 
 
 
 
 
 
ここも数年で閉鎖し戦車・大砲類は
 
英国のダックスフォード帝国戦争博物館
 
の買取となっています。
 
又、軍服、コックピットの一部等は、
 
ヤフオク等を経由して、
 
その多くがマニアの所蔵となりました。
 
 
 
 
 
 
 
この車両は、
 
カロリン諸島ミクロネシア連邦の
 
ポナペ島(現ポンペイ島)から、
 
昭和56年に帰還した2輌の内の1輌で、
 
重複しますが
 
京都嵐山美術館→白浜ゼロパークと
 
渡り歩いたがともに閉館。
 
展示品はそれぞれ
 
世界中に切り売りされ、
 
本車両は先ほども述べたとおり、
 
英国のダックスフォード
 
帝国戦争博物館に移りました。
 
 
 
ポナペ島は第一次世界大戦後、
 
国際連盟によって日本の
 
委任統治領として認められ、
 
以後終戦まで日本領でした。
 
 
陸・海軍ともにポナペ島の
 
軍備増強を行いましたが、
 
同島は戦場にならず終戦を迎えました。
 
 
戦車第2連隊の一部から
 
抽出された中隊9輌は、
 
戦火を交えることなく
 
ジャングルの中に
 
ひっそりとたたずみ、
 
やがてその内2輌が
 
日本に帰還を果たすわけですが、
 
残念なことに再び海を
 
渡ることになりました。
 
 
 
 
 
 
 
戦後、欧米では
 
戦勝国・敗戦国にかかわらず
 
兵器は「人間が生み出した機械遺産」であり、
 
貴重な産業遺産の考え方が定着し、
 
国や自治体、民間の有志によって貴重な
 
各国の兵器が動態保存されています。
 
 
ところが日本では
 
兵器は戦争を連想するもので
 
拒否反応が定着しています。
 
そのような国民性もあって

九五式軽戦車は海を
 
渡ったのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
しかし我が国においても「機械技術遺産」として
 
日本の生み出した各種防衛装備品を収集、
 
展示する博物館設立を目指すNPO法人があります。
 

防衛技術博物館を創る会がそうです。
 
現在英国の九五式軽戦車所有者と
 
交渉し、里帰り計画を実行中です。
 
 
この九五式の英国への
 
売却価格は不明ですが、
 
約10年の歳月をかけて
 
稼働状態に復元中で
 
買い取り価格は
 
約1億円だそうです。
 
 
白浜展示時(上)と、現在(下)の
 
三菱A6120VDe
 
空冷直列6気筒ディーゼルエンジン
 
 
 
 
 
 
 
法人では金額の半分を

クラウドファンディングで
 
調達したい意向。
 

募集期間は、
 
2019年1月30日の16時~
 
2019年4月30日の23時。
 

支援コースは
 
5000円、1万円、10万円、100万円
 
の4種類。
 

リターン品はお礼メールや
 
修復状況のメール報告のほか、
 
プロジェクト完了後に作成する
 
修復から完成までを記録した小冊子、
 
九五式軽戦車が装着していた
 
オリジナルの履帯1枚が
 
コースに応じて提供されます。
 

期限内に目標金額が集まらなければ
 
全額返金されます。
 
 
 
その昔、時代が江戸から明治になると、
 
文明開化・廃仏毀釈のもとに
 
浮世絵をはじめとする絵画や、
 
仏像などの仏教美術品の多くが海外へ
 
流出しました。
 
今や浮世絵の鑑定士は
 
日本人より欧米人の方が
 
その数が多いほどです。
 
 

鈴木春信作、アメリカ議会図書所蔵
 
 
 
第二次大戦後も華族や
 
有資産家の生活苦から
 
資産の分売が起こり、
 
この時も色々な文化財が
 
流出しました。
 
 
日本人の戦争アレルギーは
 
特に沖縄で顕著に表れています。
 
 
 
 
 
 
西原町中央公民館裏手に
 
ひっそりと設置してある
 
九六式十五糎加農砲。
 
2005年に

同町陣地壕跡から発見された

野戦重砲兵第1連隊の1門。

以前は、西原町立図書館に
 
展示されていましたが、

町を戦場とし多くの犠牲を
 
生んだ日本軍の武器を飾るとは
 
何事か!と、

大砲が自分を狙っているようで、
 
怖くて図書館に行けない
 
などの反対意見が出され

西原町中央公民館に移設しました。
 
 
 
 
 
 
南城市大里の
 
大里農村環境改善センターには、

独立重砲兵第100大隊の

八九式十五糎加農砲が
 
設置してありました。
 
 
 
 
 
 
2017年3月、南城市玉城糸数の
 
糸数アブチラガマ近くの
 
南部観光総合案内センター前広場に移設。
 
 
 
 
 
 
糸数アブチラガマは住民避難壕で、

平和ガイドは
 
「慰霊の場に兵器の展示はおかしい」
 
と指摘。
 
有識者からも
 
「本来、発見現場での展示が望ましい」
 
とのコメントも寄せられています。
 
このようにたらい回しされてるのが
 
現状のようです。
 
 
負の遺産はいらない!!
 
または無関心層が大半を占め
 
日本軍の兵器展示には
 
消極的です。
 
 
ただ、今回取り上げたこの戦車は
 
戦火を交えることなく残りましたが、
 
各地の戦場にて多くの将兵が
 
この戦車にまつわる任務に従事され、
 
艱難辛苦を乗り越えてこられたはずです。
 
彼らの思いに心を馳せ、
 
戦争について今一度見つめなおす
 
貴重な資料になり得ると
 
私は確信しております。
 
 
 
 
 
 
 
 
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