◎Yahooブログ終了につき
「第弐章」「第参章」「第肆章」
の記事を再掲載しています。
(記事の内容・画像は掲載当時のモノです)
●2016年1月25日の記事から
当家一族には沖縄戦に参加した者が
3名おり、2名が戦死。
その方と沖縄戦で亡くなられた方全ての御霊を
慰霊すべく、帰還した次席叔父主導のもと
毎年4月沖縄にて一族挙げての
慰霊祭を行ってきました。
一昨年で38回を数えましたが、参加者の高齢化と
数年前から私の代に主導が移行したものの、
体調不良者続出により、
昨年から中止となってしまいました。
もう沖縄に渡るのも難しいようです。
慰霊の旅は毎回1泊2日で行われましたが
あくまで目的は慰霊であって観光ではないので
毎年決められた日程で消化されてました。
ゆえに沖縄を旅して歩くと言うことはなく、
たまには観光目的で行ってみたいと思ってました。
息子が通った高校の修学旅行が沖縄でしたが
台風直撃のためホテルに缶詰状態で
終始観光できずじまいやったことが悔しい
と感じてたらしく、
また、子供達が慰霊の旅に参加したのは
小学校に上がる前の幼き頃だったので
一度家族で沖縄に行くことが決まりました。
その時のお話です。
一族の中に沖縄戦で亡くなられた
京都の遠縁の方がおられます。
第62旅団独歩第13大隊に所属され
嘉数の戦闘で奮戦されたそうです。
嘉数戦は1945年4月8日~24日に
遅滞戦闘を実施し敵に出血を強要、
かなりの間敵の侵攻を食い止めました。
しかし友軍の損害も大きく
戦死傷者は合わせて64000人に上っています。
第62師団の敢闘と慰霊を表すべく
嘉数高台公園に『京都の塔』が建立されています。
第62師団の兵力は
戦闘開始前の1/3にまで減少し
この戦いで生き残った将兵は一旦
前田・仲間・安里・真嘉比等へ後退します。
ゆいレールおもろまち駅周辺は、日米双方で
約5000名が死傷するほどの激戦地でした。
戦後は米軍が牧港住宅地区として
長らく占有していましたが、
1987年全面返還され、
以来大型ショッピングモールや
高層住宅等が建設され、
再開発が進んでいます。
しかし開発の速度が早過ぎて、
未だこの土地の地下には
多くの遺骨が眠っています。
もはや収集することも叶いません。
この地での戦いは1945年5月12日~18日
にかけて行われ、
「シュガーローフの戦い」と呼ばれています。
シュガーローフとは米軍呼称で、
我軍は「安里52高地」と呼んでいます。
現在の「安里配水池公園」になります。
嘉数での激戦を終え、
徐々に南下してきた敵は第32軍司令部のある
首里を目指していました。
首里を落とすために東・北・西の
3方向から攻略する予定で。
5月12日、戦車を押し立てて
現おもろまち付近に進撃してきます。
黄線で囲った所が、おおよそですが
当時のシュガーローフとハーフムーン。
敵はシュガーローフの西側を攻めてきました。
この小高い丘を日米が取ったり取られたりして
双方に犠牲者が増えていきます。
しかし敵は艦砲・航空支援等の強力な火力によって
我軍の消耗が致命的になるのです。
18日にはこの52高地がついに敵の手に落ちます。
主を失った一式機動四十七砲。
右の丘が安里52高地。
最頂部あたりに現在貯水タンクが乗っかってます。
左端に見える切り立った丘は、
現在のガスト那覇新都心店付近。
ここから推測すると、
ザ・ナハテラス付近からの撮影と思われます。
擱座した敵戦車があちこちに転がってるよ。
おもろまち駅を今度は東側に出てみましょう。
徒歩5分ほどの所に真嘉比南公園があります。
公園内にあるちっちゃな丘の上に
「大道森戦争遺跡碑」が
2014年3月に完成しました。
戦時中この辺りから南にかけて
大道森(米軍呼称、ハーフムーン)
と呼ばれる丘があり、
昔から墓地として使用されていました。
我軍はその墓地を地下連絡通路で結び、
敵の攻勢に備えました。
敵の攻撃は52高地に集中してたので、
大道森の守備隊は
無傷と言って良いほどの体制で、
52高地を攻める敵に対し
集中攻撃を浴びせるのです。
(実際はここから少し北にある
大名高地を攻めた敵の部隊が手こずり、
大道森まで下がって来るのが遅れたようです)
大道森(ハーフムーン)の我軍陣地は、
反斜面陣地であり、
敵はほとんど確認が取れず、
また防御も優れてたので
敵の艦砲・空爆等に耐えることができました。
首里・大道森からの砲射撃は実に正確で、
敵をバッタバッタと倒していきます。
しかし敵はあくまで力づくで
ねじ伏せようと連隊規模を
投入し、大道森の一部を占領しました。
我軍はすでに中隊以下の戦力まで消耗し、
補給路も経たれついに52高地東側に
敵は到達してしまいます。
敵は首里西方を目指していました。
ここ大道森が敵の前に大きく立ちはだかり、
首里の司令部が南部に撤退するまで、
頑強に抵抗するのでした。
おもろまち付近が米軍から返還されたのち、
大道森の開発は一番遅れました。
2008年にここの遺骨収集作業が実施され、
日本兵と思われる遺骨や遺品が見つかりました。
今では日米双方の血で染まってこの丘や
激戦の面影を見ることはできなくなり、
代わりに真嘉比南公園の大道森戦争遺跡碑に
ここで発掘された遺品や銃痕の残る
壁の一部が碑に埋め込まれ、
当時の絶望的な状況を物語っています。
碑はこの小さな丘の上の木の下にあります
ここで不思議な体験をしました。
この碑の前でしばらく目を閉じ合掌してた時です。
後ろから声をかけられました。
振り返るとそこにヨボヨボの爺さんが立ってました。
「あんたそれに手を合わせて珍しいお方じゃのぉ」
と言われたので、
「実はここの戦闘で身内をなくしてるかもしれない」
と説明すると、
「ここの遺骨収集の時はわんさか出てきたんよ」
「お若いのに奇特なお方じゃ」
などと笑っておられました。
爺さんに頼んでも大丈夫かなぁと思ったけど、
を一枚撮っていただきました。お礼を言って
を受け取り、
を受け取り、バッグにしまうのに
数秒爺さんから目を離したすきに、
爺さんは忽然と消えてしもたんです。
この丘から降りるには、
爺さんが撮影してくれたところから
後ろにある階段を下りるか、
その横のスロープを伝うしかないのですが、
わずか数秒でどこにもおらんようになってもたんです。
パッと見80歳は十分越してるような老人が、
あの階段を一気に駆け下りることなど不可能や。
ほないったいどこへ行ってしもたんやろ

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