今日は清々しい秋晴れですね。
雨続きからの晴れ間は、より一層嬉しく感じます。

先日、9月末に山で肩を脱臼しその後もままならない日常を送っていた身としては

当たり前だと思っている事が
当たり前ではなく、奇跡的な状況で
日々の営みは行われていたのだ

生まれてきた事はなんと
それだけで幸せな事なんだな〜と、

足を止めてみる事で
人様のお世話になる事で
全く出来ない自分でいる事で

有難い機会を頂戴いたしました。


そうは言っても、
患者さん方には大変なご迷惑をおかけしまして、
誠に申し訳ありませんでした。


ぼちぼちと
再開致しておりますので、

万が一、メールをしたのに、電話をしたのに返事がないという場合は、
お手数おかけし大変申し訳ございません。
確認出来ていない場合もございますので、再度ご連絡頂きましたら、折り返し致します。


それでは、今後よろしくお願い致します。




このみや治療院
山口


10月30日はママとベビーのタッチケアの日




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自分の考えや価値観を

あたかも当たり前に自分の考えだと思い込んでしまいますが、

実はそれは、親やご先祖、社会や教育の刷り込みで
ほとんど自分本来の考えではありません。

自分の考えや価値観は、自分の人生経験や出会いによって自分で培っていって良いものですが、
大抵の場合はそれを放棄し
与えられた価値観で生きています。

それが、本来自分自身が持つべき価値観と異なると

自分自身で非常に生きにくさを作ってしまいます。

与えられている価値観は
道徳や、常識、普通、などという形を持つので、
本当に当たり前になってしまい、
自分自身の考えなのかどうなのかさえ
わからなくなってしまいます。


その価値観は無数にありますが、
私にも

「病気になってはいけない」

という、親から伝授された強固な価値観がありました。


治療家ですので、この価値観はある段階までは非常に有利です(なんせ医学に対しての勉強が捗ります、病気をなんとかしようと努力を惜しみません)

しかし、
生きていれば多くの場合は病むことがある

という事実を否定して

なんとかそうならないように、病気になったらすぐに取り除かなくては
と冷静さを欠いた状態になります。

病気に対しての否定感は
実は
病気に対しての恐怖心になり

冷静な判断を失います。(逆も然り)

そこには許しがなく大らかさがありません。
なんとも窮屈で厳しい世界に、私には見えます。

疲れたら休む事すらままならなくなります。


私の祖父は27年間リウマチで寝込み、それを祖母が看病しておりました。父は幼い時から病床にある祖父の姿を見て育ち、「病気は絶対になってはいけない、人に迷惑をかけてはいけない」と思ったそうです。
(考察するに祖母からそう言われていたかも知れません)
なので、父は身体には大変に気を使い、病気一つせず、私達姉妹も病気にならないように躾けられました。
でも厄介な事に、父の実家はお金な困らない事業家だったので祖父が働かなくても十分に食べていけた。なので父には勤勉でなくても食べていける、という別の刷り込みがあり、働くよりも健康になる事に重きをおき、今で言うトレーニングオタクになっていました。



私の病気に関するインチャは
*病気になったら父から愛されない
*自己管理が出来ない人間はダメな奴
*病気になると世間から見放される 
*惨めな思いをする
*働けなくなり生きていけない
*人よりも劣ってはいけない

そうなる事への恐れと、
病気になる自分への怒り
病気を許さない、つまりダメな私を許さない、愛さない父への怒り

そういった価値観を持っていました。

辛いっすね〜〜、それは怖いよね。
これでは風邪もひけない(笑笑


病気になっても大丈夫
休んでも大丈夫
人に迷惑をかけない生き方なんてないんだよ

って自然な事が
強固な価値観でわからなかったんですね。

だから、病気になったりすると
すごく落ち込んだり、悲しくなったり怖くなったり、不安になったりしてしまう


という、感情の二次災害が起こる。




まあ、痛かったり、苦しかったりするのは
実際辛いものですが、

だからって

ダメでも、不幸でもなんでもない。
痛い苦しいが事実なだけ。

まあ、不幸でもダメでも良いんですが。単なる個人の感じ方なので。


ダメではいけない
不幸ではいけない
楽しくなくてはいけない


これもかなり、当たり前になる縛りですね。

この辺はまた今度🍀


今現在、肩脱臼して術後なので
この辺のインチャをじっくり考察中。


身を持って長年受け継いだ価値観を昇華させられるか、


寝たきりの祖父が自分自身を責める気持ちや、後悔や罪悪感の想いを赦していけるといいな。



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あー、綺麗だな〜〜





















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命のこと

テーマ:
去年から

死というものが隣に感じられて、
もう逃げる事をやめた。

いや、以前からすぐ側にあったのに
怖すぎて考える事から逃げて来たんだけど、

去年、友人の病、死
友人のお子さんの死
患者さんのご家族の死、、、

友人の死は受け容れる事がなかなか出来ずに
悲しむ事もなかなか出来ずに 
何もやる気が無くなってしまった。
彼女とのギリギリまでのやり取りは誰にも話したくない。

彼女の命から発起して、私も手術をしてみた。
怖かった。死にはしない手術だけど
すごく怖かった。
私は生きていた。命に近づいていた。


そこから、ずっとずっと
死について、側にいる。


それは、

命にずっと近づいた感覚だ。


今、いることが奇跡なのだと思い知る。
思い知らされる。

子供が笑っていること

風が心地よいこと

食べ物が美味しいこと

それが、奇跡の連続なのだと思いしる。

時々、聞いてみる。

私の、今の生き方はどうだい?と。

なんか違うかい?嘘くさくないかい?と。


こんな大切な命を毎日生きているのに

つい、人と比べたり、人を批判してみたり、
自分が正しいと主張してみたり、
自分はダメなんだと、卑下してみたり
誰かを変えようとしてみたり、


なんて、もったいない
なんて、愚かなんだ、、

愚かなんだな、人間は、、、、。

と、死を思う時に思う。
彼女を思う時に思う。


死が怖い
死にたくない弱い自分
誰の死にも会いたくない
本当に、本当に弱い自分。

理屈では、
悲しい事ではない、自然の摂理

そんな事はわかっている。

でも、それは本当の理解ではない。
頭でわかっている振りをしている、現実逃避。


死有りきの命

だから嘘にまみれず、
インチャにまみれず

ただ、ただ、何物にもならずに

近づいて生きたいな


今日は何もせず、

ずっとその事を考えていた

振り返っていた


知人から
「今日は彼女の命日」と知る


彼女がお力添えくれたかな。


逃げないで考える力を。

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娑婆なればこそ。












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