こんにちは、Hareです。

 

昨夜、Rayサロンセラピストいくこさんと永森コーチングの永森さんがYoutube配信があり、視聴していました。

 

こちらのリンクから、配信アーカイブの開始時間(16分頃)に飛べます。

 

ゲストの永森さんのことを掘り下げていく内容で、とても学びが多かったです。

 

特に私の心に残ったのは、

・現状の外のゴールではない『甘い夢』(マルチ商法での)に囚われて抜け出せず、自己破産まで至ったこと

 

・ラジオやYouTubeで出会った苫米地博士の発信をきっかけに「現状の外に本当の夢があるのでは」という意識へ。

 

・借金で追い込まれて外に出ざるを得なかったが、実際に出ると「ゲームオーバーでもう先はない」「窮屈、生きづらい、地獄のような世界」かと思っていたら「世界が続いていて、良い意味で思っていたのと違う」となる。

(また、コーチングを知らなかったら良くない現状の外への出方をしていた可能性も)

 

・ヴィクトール・フランクル『夜と霧』について。

収容所で未来の講演を可視化(ビジュアライゼーション)することで生き延びたヴィクトールと、

「クリスマスには帰れるさ」という現状維持を肯定して耐えるだけのビジュアライゼーションをして死んでいった人々との違い。 

 

・(元々永森さんはまといのばで学んでおり)今年2025年1月に数年ぶりに復活させたブログ記事で先生に言葉を頂き、執筆継続をし、ランキング上位に駆け上がっていったこと

・もうすぐ毎日配信60回になる気功の動画配信は、いくこさん経由で先生に監修していただき「毎日」になったこと

・動画配信については過去にもオラクルがあったが「冗談かと思って」掴めていなかったこと

 

・風水(龍脈)によってサロンが閑散期にも関わらずV字回復したこと

 

です。

 

 

 

 どこへもいかない、酔っている、甘い夢

 

甘い夢に対しては永森さんと内容も辛さも違うにしても私自身も覚えがあります。

甘い夢の中にいた何年間かは、常に酔っているようで、進んでいないのに行動だけして、忙しくして心身をすり減らしていっていることに充足感がありました。

夢を追っていることを夢にしている、状態というのでしょうか。夢を追うことが目的化していて、達成することにコミットしていない状態です。

 

今だと高速移動していく人たちに繋がっていて会いにも行け、

その姿を観ながら引っ張られたり、ピリっとした空気や、目の奥にある狂気が伝わってきて背筋に冷たい柱が入って目を覚ますことができますが、

甘い夢にいたときはそれもなく停滞していました。

 

 

甘い夢の見始めの自分に、MOROHAの『革命』をぶつけたかったです。

 

 

ごめんな友よ 俺はもう行くよ

居酒屋だけの意気込みじゃゴミだ

お前も本当は気付いてるんだ

素面じゃ語れぬ夢は惨めだ

現実は辛い暗い 時に苦しい

それでも妄想よりは眩しい

 

(〜〜〜)

 

今年こそ?来年こそ?

何年生きれるつもりで生きてきたんだ

今日が終わる いや今が終わる

そう思えた奴から明日が変わる

 

(〜〜〜)

 

今まで恥ずかしかった事

夢や希望 真顔で語った事

いままで恥ずかしかった事

あいつ痛い寒いと言われた事

今まで恥ずかしかった事

身の程を知れって言われた事

何より恥ずかしった事

馬鹿にされない位に馬鹿になりたいよ

 

MOROHA 「革命」より

 

 

 

 現状の外に出ていった立場からの生きた言葉

 

また、

実際に出ると「ゲームオーバーでもう先はない」「窮屈、生きづらい、地獄のような世界」かと思っていたら「世界が続いていて、良い意味で思っていたのと違う」

というのが刺さりました。

 

私自身が今のままの生き方、働き方でいいのか、身体は悲鳴を上げて限界で倒れる寸前という時、

現状の外へ、今までのレールから完全に外れて、未知の世界へ入っていくことを決めた時に、永森さんに強く励ましてもらったことが移動時の支えになったのですが、

今回の話を聞いて永森さんが通過してきた移動の経験から出てくる生きた言葉であることを改めて感じたからです。

 

 

その時の相談しているメッセージから引用してきました。

    

泳ぎきったら、さらに向こう側に違うゲームがあるので、そちらをもっともっと楽しみましょう!!

 

 

    

今、渡りきれるか不安でも、絶対にできますから大丈夫!!!

というか、その先でどう生きるか、その先でどう渡り切るかの心配をしましょう!!

 

その時期の記事は、このあたりです。

自分のブログから引用します

not normalであること

内にある黒い炎を認め、エネルギーに身を委ねながら、永森コーチの記事を読んでいると、

前と違った様相が立ち上がってきました。
not normalとしての生き方、泳ぎ方の臨場感が伝わってくるようになりました。(キャッチできるようになりました)

 

過去、僕自身は何度も社会のゲームから脱落したけど、その度に、寂しさによってありもしない守られた世界(虚構)に戻ってきてしまっていたんだと。

向こう岸に泳ぎ切っていなかったことを理解しました。

 

 

 

 

 

抽象度が上がって、より純粋な自分へ移動していくことを繰り返す。

その時の経験から出るものには、言葉の表面上ではない重みが乗り、

後から登ってくる人に手渡せるものになると改めて実感しました。

 

 

私自身、小さくても変化していくことと、変化の臨場感を残すこと、していきますね。

 

 

他にも配信に関して書きたいことがあるのですが、今日はこの後、ビリヤニを振る舞う会の準備があるので、筆を置きます。

(是非、配信アーカイブをご視聴ください!)

 

読んでいただきありがとうございました。

Hare

 

 

 

ビリヤニ

 

リクエストもらってアーユルヴェーダで有名な香取先生のレシピ本のビリヤニにも手を出してみたところ、

(スパイスを揃えるなら)手軽にできて凄まじく美味しく、ハマっています。

 

鍋を開けた瞬間のシナモンやクローブの甘い香りがたまりません。

 

 

 

「米とスパイスの芸術」という言葉に納得です。

イスラームと南インドが合流したビリヤニ文化を引き継いでくれた方々、

日本の家庭で作れるレシピにぎゅっとしてくれている香取先生、

日本で米文化を維持してきた先人(これは半農ヒーラーいちさんの米配信で学びました、凄いことです!)、

感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

タイトルはぼっち・ざ・ろっくのカラカラより。

 

 

 

簡単な道も遠回り行止り振り返り

便利な方が確かに楽だけれど

どうせどこかの誰かみたいに生きれない

だから

私のことなら私が推せる

 

カラカラ騒ぐ思考飛ばして

前借りしているこの命を使い切らなくちゃ

今この時も

ダラダラすぎる日も愛して

きっと君に会いにゆく

いつか消えてしまう前に

 

いざ踏み出せ

自慢の武器など一つもないけれど

幼い心を明日に運ぶのさ

 

(結束バンド 『カラカラ』)

私にはこの曲が、ゴールsにいる未来の自分に会いに行く様子に感じます。

 

 

(ギターが、自然な弾き方で、奏でられるサウンドもかっこよいです!)