す興味深い記事。拗らせてメンタル

 前回は、モテないで困ってる人、DT 処女を卒業できない人に向けて、

「モテたいでしょうが、本当は大切な人1人に出会えれば幸せですよね」

という主旨の内容を書いた。


 その前には、小説『傲慢と善良』を読んだ内容から、

「普通の人でいいんです」と言いつつ

【年収500万の星野源】を求めてしまう弱者の性みたいなことを書いた。


 元高齢DT、拗らせた体験で言わせてもらうと、

   「失恋もほどほどにしないと病んでしまう。」

ということ。

 ダメージに対する耐性が個人差があるのは当然だが、リミッターを超えると冷静な判断ができなくなってしまう。『拗らせ』という表現は的確ながら、病的なレベルになった場合は保護する必要があるのでは?

というのも、仕事や学校で、病んでしまった場合は、フォローする体制がかなり整ってきて、マネジメントの基本化している。

 原因が、失恋や非モテであってもケアすべきだと思う。なぜなら「異次元の少子化対策」とやらをやる気があるらしいからである。


 自分の話をさせてもらうと、連敗続きで高校卒業間際の失恋は、かなりのダメージだった。いつになく未練を引きずり、今ならストーカーと言われる行動をとってしまった。

 大学生になっても連敗が続き、その中で、周りも協力的になってくれる相手がいた。希望が見えたがやはりダメで、その後、目に映る風景の色が変わったのを覚えている。

 この辺りから、執着が酷くなり、視野が狭まってまずい状態になるが、当の本人にはそれが見えない。どちらかといえば、恵まれた環境(周り女多い)なので、傷ついても回復し、分をわきまえて動けばチャンスはあったろうが、本人はもうまともな思考ができないのである。

 リンクの投稿者のように医者にかかる時代でもなかったが、かなり病んでいた。困ったことにまた誰かを好きになるが、成功のイメージが持てない。まるで、苦しみ、悲しむために好きになる感じか。おまけに『傲慢と善良』のごとく、自信がないのに理想が上がる。負のスパイラルだが、本人は気づかない。恐らく、彼女ができることで今までの傷も癒されたいと考えていたと思う。まあ「重い」という状態でもある。

いつのまにか、一方的に思いを募らせつつ、相手に与えてもらうことばかり考えてしまう。

 膠着状態から抜けるには、悲しいがしっかり振られて、仕切り直して進むしかないのだが、それができない。可能性はゼロとの意識で、諦めるか、振られるか。とにかく次に進まないと歳を食う。でも動けない。

 最近は、不登校の学生に、学校へ行け、とか、仕事を休んで引きこもった人に、仕事行け、ということはタブーになった。そんな理性的なアドバイスは、リスクの方が大きく、解決にならないことが一般化されたからだろう。失恋や非モテを拗らせた場合もメンタル的ダメージを受けた場合もあり、経験からのいって、声をかけることもできない状態は、十分病的といえる。この方面で拗らせると、ケアしてもらえることもなく、自助しかない。

 私とて、具体的なアイデアは思いつかないが、決して少なくないであろう、非モテメンタルともいうべき男女を、救済したり活性化する方法はないだろうか。大抵は、性交、結婚、子作りをしたいと思っている。ジェンダーの方々への支援は大いに結構だが、ノーマルで苦しむ人の救済も考えるべき、と思うのは、元高齢DTのヒガミだろうか。