ふ マツコ・デラックスがテレビである時
「生きづらくない人なんているの」
と言っていた。極めて常識人で含蓄のある方だけに重みある言葉である。

 🏳️‍🌈LGBT法案が可決されたが、よく言われるのが、全ての人が生きやすい社会。差別のない社会。異議が唱えにくいスローガンだが、法案可決の際に反対は参政党1人だけ。反対も退席すらない、奇妙な光景。前後してジェンダートイレなるものが女子トイレを廃止して作られた。海外ではジェンダー女性(男)が女子のスポーツ大会で無双する事態が発生。反対の声を上げれば差別者といわれてしまう。

 このブログの立場で言いたいことは

『ある程度の年齢以上の童貞は、差別、侮辱、揶揄されて生きにくいんですが、何か』

 ということ。

 経験で言わせてもらうと、大学生活も半ばになると、男同士の恋バナ、下ネタになる時、経験者が主体になる。話についていけないばかりか、童貞であることをネタにされ嘲笑される。社会人になっても説教のついでに経験の有無に言及される。パターンとして「だから駄目なんだ。」と続く。

 余談だが、働き始めた頃、仕事上でも人物的にも尊敬出来る、師匠と呼びたくなる30台の方がいたが、この方が100人切りを達成したのを自慢していて、私は自己矛盾を起こして、自分軸をぐらつかせたこともあった。英雄色を好む。ああ自分はだから駄目なんだ。それなりの階級の男に二号さんがいた昭和の名残もあったのだろう。心ならずも、「モテる男は仕事出来る」という伝説に影響を受けてしまう。

(今なら分かる。正確には「仕事が出来る人はパートナーがいることが多い。モテない男が仕事頑張っても、仕事できるだけ。仕事出来でもモテないやつはいる」である)

 時代とともに、こういうハラスメント的なことは大分抑制されたと思うし、女性ならどうなのかは推察する他ないが、『瓜を破る』では、主人公が同僚との会話で度々、傷ついてしまう場面が描かれている。ハラスメントが受けて側の感情で判定されるものなら、ハラスメントになる案件だろう。

 同性の恋バナや下ネタは盛り上がるし、それを禁止するなどSFレベルでもあってはならないと思う。つまり、昭和の極端な蔑視、嘲笑はなくとも、現代でも

  【高齢DTや高齢処女は間違いなく生きづらく屈辱に耐えている。】

のだ。

 今は職場で結婚や交際相手を話題とすることはNG

な時代であり、これって我々、弱者に配慮が望んでいたことであり、やっと時代が追いついて、とてもいい時代になった?何か小学校の運動会で手を繋いでゴールするのと似た感覚がある、ビリになる見せしめはなくなっても何か大切なものを無くしてしまわないか。 悩みを揶揄されたり、鈍足を見せ物にされるのはごめんだが、話題にならずとも残念な事実は変わらない。足が早くなる訳でもない。

 事実を目立たなくさせる方向と、もう一つは文頭にある、少数派に対する過度な保護と配慮の違和感である。

 童貞、処女の中である程度の年齢以上。かつ、ノンセクシャルや、同性愛の方を除いて、残りノーマルで、性体験を求めている人と限定してもマイノリティと言われるほど少数派にはならない。だから保護しない、差別に耐えよ。さらに男に関しては東大の上野千鶴子教授の暴言にマスコミも声を上げない。自己責任で終わり。

 国会議員で性的マイノリティが「生産性がない」発言を切り取られ、未だ収束していないが、限られるリソースを結婚したいのに躊躇する人にも向けるべきとの意見で、素晴らしい意見だと思う。ちゃんと前後の文脈で判断すべき。

 女性トイレに生物学的男性がはいることに反対すると、違憲判決がでてしまう。その為の教育げ必要?

 政府や世界的な空気が、何か多数派に辛抱を強いる方向にいく違和感か拭えない。

 実感で言わせてもらう。 

【高齢童貞、処女は多数派である。しかし弱者でもある。少子化対策というなら、未着手の資源として、早急に援助すべき対象である。】

 LGBTの法案を通すエネルギーの半分くらいは注力すべきと思うがいかがだろうか。