なんで道徳なんか、教育するんだろうな?
「道徳」が必要なのは小学生より中高年だ
子どものマナーは良くなっている
政治・社会 2018.10.12 #教育 #道徳
https://president.jp/articles/-/26399
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命を大切にする、弱いものに対しては自分のできる範囲で助けていくといった考えは、思想信条の壁を越えて、ほぼ、人間の守るべき規範として共通理解を得られるかもしれない。だが、「親を大切にする」とか「国や郷土を愛する」「集団のなかで決まりを守って生活する」といった規範については、すべての人に理解を得られるとは限るまい。子どもが素直に親を大切にできる家庭は幸せだが、世の中にはそういった関係が築けない家庭も現実的にはたくさんある。国や集団に対する考え方も同じだ。何が全員の共通理解となるか、それを国民全体で議論してみる価値はある。
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うーーーーーん。
いや
「弱いものに対しては自分のできる範囲で助けていく」
なんてのは、日本で共通了解なんか取れるわけもない。
「最も社会的に力のない存在から暴力的な収奪を行うのは人として当然のことだ。」
これが日本国民の「強固な信念」であり、「総意」ではなかろうか。
この国の世代間格差は
「まだ生まれていない将来世代は生涯所得の50%の純負担を背負い、生まれる前から生活が破綻している。」
「孫と祖父で生涯における社会保障の受益と負担のギャップは、生涯賃金3億円としても1億2千万円にのぼる。」
と世代会計の分野で既に計算されてから10年くらい経過している。
まだ参政権もない、有無もいえない非力な存在を、政治に巻き込み、毎年30兆円以上も将来世代に借金を着せて大人は好き放題やっている。
いわゆる、「財政的幼児虐待」の問題である。
世界一、世代間格差がぶっちぎりで大きい日本で、これが指摘されてからもう10年くらい経過はしているだろうけれども、
選挙の際に「世代間格差是正」を公約に掲げる政党は今もひとつもない。
なぜか?・・・・そんな公約を掲げたら国民に支持されず、票を入れてもらえなくなるからである。
国民の多くが世代間格差が問題であると是正を訴えるような状況になれば、自然とそれを公約に掲げる政党が出てきて得票を伸ばすはずだ。
それが民主主義国家というものである。
しかし、実際は、世代間格差是正に関しては多くの国民が望んでいないということだ。
つまり、日本国民の強固な信念というのは
「有無もいえない弱者を数の力で虐げ、最も社会的に力のない存在から暴力的な収奪を行うのは人として当然のことだ。」
ということである。
さて、そんな日本の大人たちに、道徳を説く資格などあるのだろうか?
不適格であることは、言うまでもない。
この国では、子供をつくった時点で、財政的幼児虐待の、虐待加害者になるということは、言うまでもない。
人殺しに人殺しと言って何が悪い。
泥棒に泥棒と言って何が悪い。
この国では、政府国民一丸となって、財政的幼児虐待を行っているというのは事実である。
事実を指摘して何が悪い。
事実を指摘する者が悪いのではなく、まず、自分たち自身の行動を、改めるべきではないのだろうか。
要するに、財政的幼児虐待をやめたらどうか、ということだ。
消費税に換算して40~60%相当の増税でも、年金に換算して1/4にするのに相当する社会保障のカットでも、いい。
まず、大人自身が襟を正すべきではなかろうか。
最も悪辣で不道徳極まりない、現在の日本の大人たちが、子供たちに道徳を説く資格など、これっぽっちも、あるわけがない。