「アンパンマン」歌詞の謎~なんのために生まれて 何をして生きるのか | 原元美紀 オフィシャルブログ 「原元美紀のミキペディア」 Powered by Ameba

「アンパンマン」歌詞の謎~なんのために生まれて 何をして生きるのか

「アンパンマン」の作者であるやなせたかしさんが
94歳でお亡くなりになりました。

人生の道しるべを失った悲しい気持ちと感謝の気持ちが込み上げ、
涙がこぼれました。

実は、数年前、やなせさんご自身が作詞をされた
「アンパンマンのマーチ」の歌詞が不思議でならなくて、
調べてみました。
 

photo:01


「アンパンマン」は、

2009年に「世界でもっとも登場キャラクターが多いアニメ」として、
ギネスに認定されました。

1988年の放送開始から2009年まで、
登場キャラの数は、なんと1768点!


でも、アンパンマンにはそんなにたくさんの仲間がいるのに、
どうしてともだちは「愛と勇気だけ」なの?


それが最初の疑問でした。

歌詞を全部知りたくてCDを聞いてみると、
さらなる謎にぶち当たりました。
 

photo:02



あの有名なアニメ主題歌の出だし、

「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ」

これは、実は2番だったのです!


アニメでは決して流れない歌詞が存在するのです。

幻の1番とは、

「なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!」


という重くるしいものでした。

(実際、子供向けアニメには重過ぎて、
テレビでは1番はカットされてしまったとか)

 

他にも、

「時ははやく過ぎる 光る星は消える

だから 君は行くんだ ほほえんで」

など、明るいメロディーに乗せて楽しく歌われる

暗く重い歌詞の謎は、私の心をとらえて離しませんでした。


 

この歌には、特攻隊で亡くなったやなせさんの弟のことを

書いたものだという説があります。

 

また、やなせさんご自身が

「これはアンパンマンのテーマソングであり、

ぼくの人生のテーマソングである」
と著書「アンパンマンの遺書」(岩波書店)に記されています。

 

では、やなせさんの人生とはどのようなものだったのでしょうか。

 


 

1919年、高知県に生まれ、

父親を戦争で亡くし、母と弟の三人で暮らす幼少期。

 

弟は見た目も良く、勉強もスポーツもでき、誰からも愛される。

 

一方、自分は何をやっても劣等生、おまけにニキビ面の

「可愛そうなお兄ちゃん」。

 

学生時代は、出来の良い弟に対して

自慢の気持ちを持ちつつコンプレックスが葛藤となり、

さぞ苦しんだことでしょう。

 

「このまま人生の落伍者になりたくない!」

 

自分の存在意義を模索する青年・やなせたかし。

 

将来の夢として、漫画家や挿絵画家に憧れ、

工業大学に進み、図案を学ぶようになりました。

 

これが人生を切り開く一歩となったようです。

 

しかし、やがて戦火が激しくなり、

やなせさんも兵隊として時代の渦に巻き込まれていきます。

 

中国大陸で敗戦を迎え、

生き延びて日本に帰ったやなせさんを待ち受けていたのは、

弟の訃報。

 

弟は特攻隊に志願し、

22歳で海に沈んだというのです。

 

「まったく見えないところで弟は消えてしまった。」

 

あれほど家族の自慢だった弟が死んでしまい、

取り得のない自分の方が生き残ってしまった・・・。


 

そして、ほんとうの苦しみは戦争が終わってから訪れました。

焦土と化した日本には、「食べ物」がなかったのです

 

そのとき、

「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」

「正義はある日突然逆転する」

「逆転しない正義とは献身と愛だ」

 

と悟ったといいます。

 

この戦争体験がアンパンマンの原点となったのです。


 

その後、がむしゃらに働くやなせさん。

 

デザイナーとして三越デパートの包装紙ロゴを手掛けたり、

NHKの番組で司会を務めたり、

ラジオの脚本やら作詞やら・・・、一体何が本業なの?

 

40歳を越えてもまだ自分の進む方向がわからず、

漫画の代表作も生み出せていませんでした。

 

くすぶっていたやなせさんは

すでにプロなのにプライドを捨てて

「週刊朝日」の漫画コンテストに応募。

 

結果はグランプリ受賞!

漫画家として実力と才能が認められ、

見事自分でチャンスを切り開いたのです。


 

また、サンリオに企画を持ち込み、

「詩とメルヘン」という雑誌の編集長も務めます。

 

ここで得た経験が

絵本作家・やなせたかし誕生につながったといいます。

 

最初のアンパンマン絵本は、不評でした。

 

貧しくてぼろぼろのつぎはぎだらけのマントをまとい、

顔を食べさせて、顔の無いアンパンマンが空を飛ぶが

エネルギーを失って失速する…

 

そりゃあ、グロテスクですよね(汗)

 

しかし、やなせさんには譲れないヒ-ロー像がありました。

 

「子どもたちとおんなじに、

ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、

いつも不思議に思うのは、

大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、

誰のためにたたかっているのか、よくわからない」

 

「ほんとうの正義というものは、

けっしてかっこうのいいものではなく、

そのためにかならず自分も深く傷つくものです」


 

そして、アンパンマンは

決して敵を完膚なきまでに叩き潰しません。

 

「バイキンを死滅させると、人間も絶滅する」から。

 

正義なんてものは、

お互いが自分たちにこそあると思っているのです。

 

「これ以上はダメ!」と懲らしめるだけにして、

『共存』を図るのがやなせさんが戦争で学んだ知恵。


 

さて、「アンパンマン」は程なくしてかわいらしく描きなおされ、

子供が気軽に手に取りやすい作品になった頃、

テレビアニメ化の話が持ち上がりました。

 

そこで、主題歌を自身が作詞したのです。

 

時は1989年、つまり平成元年。

 

やなせさん、すでに69歳!


 

アニメ「それいけ!アンパンマン」が大ヒットとなり、

やなせさんは遅い絶頂期を迎えるはずでした。

 

しかし、その時、ずっと自分を支えてくれていた最愛の奥様が

ガンに罹って余命3か月を宣告されたのでした。

 

多忙を極めながらも、やなせさんの必死の看病で、

奥様は6年後、75歳でお亡くなりになったそうです。

 

アンパンマンを自分たちの子供代わりに大事にして・・・。



 

「『なにをして生きるのか』

自分に問いかける時が来た」

 

自分に何ができるのかという若い頃からずっと抱えてきた疑問、

「なにもせずに終わりたくない」という心の叫び。

 

人生を通して自分自身に投げかけたテーマに

やなせさんは負けませんでした。

 

奥様を失い独りになって20年、

アンパンマンの物語を生み続けました。

 

そしてこう語っています。

 

「ひとはひとを喜ばせることが一番うれしい。

ひとはみんな、よろこばせごっこをして生きています。

それが、このいかにもさびしげな人生の

ささやかなたのしみになります。」



 

「アンパンマンのマーチ」

作詞:やなせたかし

 

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

 

なんのために生まれて なにをして生きるのか

答えられないなんて そんなのはいやだ!

今を生きることで 熱いこころ燃える

だから 君は行くんだ ほほえんで

 

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢 守るため

 

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ

わからないまま終わる そんなのはいやだ!

忘れないで夢を こぼさないで涙

だから 君は飛ぶんだ どこまでも

 

そうだ 恐れないで みんなのために

愛と勇気だけが ともだちさ

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢 守るため

 

時は はやく過ぎる 光る星は消える

だから 君は行くんだ ほほえんで

 

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ どんな敵が相手でも

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢 守るため


 

90歳を過ぎ、一度は引退を決めたやなせさん。

 

2011年3月に東日本大震災が起き、

被災した子供たちが「アンパンマンのマーチ」を聞くと

勇気が出るという声を聞いて、

「死ぬまで現役!」と復帰を果たされました。

 

みんなの夢を守るため戦ってくれたやなせさん、

あなたはアンパンマンそのものでした。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。