「望みがある」創世記34章 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。


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おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

この火曜礼拝ブログは川奈聖書教会・火曜礼拝における

山口光仕牧師の説教をまとめたものです。

■「望みがある」創世記34章

1.はじめに
前回はヤコブとエサウの感動的な再会の場面を学びました。

神様との関係、罪の問題をクリアーすることによって

人生最大の困難を乗り越えることができました。

一件落着かと思いきや、今度はヤコブの家族に問題が起きます。

一難去ってまた一難

すぐそこに新しい問題が生ずるのです。

だから、いつも神様に寄り頼んで歩む必要があるのです。

2.結果が同じであろうと中身は異なる

 34:1~2
レアがヤコブに産んだ娘ディナが

 その土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。

 すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子

 シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。


 族長の息子シュケムがヤコブの娘ディナに乱暴した。

 しかし、シュケムは乱暴したあと

 34:3彼はヤコブの娘ディナに心をひかれ、

 この娘を愛し、ねんごろにこの娘に語った。


 とあります。

 心惹かれて愛して我慢できずに乱暴してのではなく

 乱暴してから改めてディナを見たら美しかったので

 気に入り、優しい言葉をかけた。

 そして
 
34:4
 シェケムは父のハモルに願って言った。

 「この女の人を私の妻にもらってください。」


 結婚できるように父親に頼んだ。

 順番がめちゃくちゃです。

 神様の律法がない世界というのは無秩序です。

 シュケムの父ハモルもまた息子と同じようなことをします。

 息子にせがまれ、族長ハモルはヤコブ一族にディナを嫁に

 くれるように話にいくのです。

 しかし、ハモルの口からは一切、謝罪の言葉はありません。

 「息子が大変なことをしてしまって本当に申し訳ない

 こんなことを言えた義理はないが娘さんを嫁に」

 というのではありません。

 何事もなかったかのように

 ハモルは彼らに話して言った。

「私の息子シェケムは心からあなたがたの娘を

 恋い慕っております。

 どうか彼女を息子の嫁にしてください。

 私たちは互いに縁を結びましょう。

 あなたがたの娘を私たちのところにとつがせ、

 私たちの娘をあなたがたがめとってください。

 そうすれば、あなたがたは私たちとともに住み、

この土地はあなたがたの前に開放されているのです。

ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」


ハモルとシャケムの発想は

結婚してしまえば、乱暴したことなど問題なくなる。

帳消しになるというものです。

「確かに乱暴したのは事実であるけれど

結婚してしまえば問題ないのではないですか。」

こういう発想は現代においても

しばしばあることではないでしょうか?

順番は前後でも結果が同じなのだから良いではないか?

結婚が先でも、赤ちゃんが先でも同じなのだから良い。

どうせ結婚するのだから、先に赤ちゃんができても

結果は同じだからどちらでもいいだろう。

しかし、聖書は違うと言っています。


コントラバスの弓につける松脂は温度が高くなると溶けて

しまいますが、冷えればまた何事もなかったように固まります。

溶けて固まっても見た目にはほとんど何の変化もありませんが

一度、溶けてしまった松脂は成分が分離し、それが固まった

ときには元の成分のバランスが崩れてしまっている。

見た目には何も変わらないのでだけれど中身はまるで違う。

中身が違うので、奏でる音色も変わってきます。


順番を間違えると、同じ場所に辿り着いているようで

ありながら内実は異なります。

結婚と妊娠の順序

男女が良く祈り覚悟をもって夫婦となり

そうして今度は新しい命を育んでいく準備を整えた中で

与えられる赤ちゃんと

どうせ結婚するつもりだからと、成り行きで妊娠して

「妊娠した、じゃあ結婚しよう」

そういう中で赤ちゃん生まれてくること。

生まれてしまえば、見た目には何も変わらない。

しかし、内実をみるならば

大きな違いがあるのではないでしょうか?

聖書は繰り返し教えています。

どこに至るのかではない。

どのようにしてそこに至ったのかが

その順序が大切なのです。



プロセスの中で私たちは必要な訓練を受け、整えられ

そして至った場所での責任を果たし、その恵みを喜ぶ

ことができる者となるのです。

ハモルとシェケム親子は神様の律法を知らなかったのです。

箴言
29:18 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。

しかし律法を守る者は幸いである。


神様の律法という指針がなければ、民は欲しいままに振舞う。

正にハモル親子は神の律法がないゆえに

自分たちの欲しいまま振舞った。

無理やり襲ってしまったけれど、結婚するから

帳消しになるだろう・・・。

でもそんなはずはない。ディナの立場になれば

生涯、そんなことをした男を夫して愛せないのは当然のこと。

しかし、この親子にはそれが分からないのです。

2.息子たちの暴虐

ヤコブの息子たちは、シェケムとその父ハモルに答えるとき、

シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、

悪巧みをたくらんで、彼らに言った。


ハモル親子を騙すために条件をだします。

「割礼を受けていないと妹を嫁にやれないな」

親子はこの条件を受け入れ、自分たちだけでなく

町の全ての男たちに割礼を受けさせることを約束します。

割礼は男性器の皮膚の一部を切る

激しい痛み伴うものです。

町中の男たちが激しい痛みに苦しんでいる中

ヤコブの息子シメオンとレビが町を襲い

男子を皆殺しにした。



ヤコブの息子たちもまた神の律法をもたない

自分たちが良いと思う解決策を選び実行したのです。

このような世界がもたらす悲劇が現代にも満ちているのでは

ないでしょうか?

3.ヤコブの沈黙

この章における最大の疑問はヤコブです。

息子たちの暴虐の限りを前に沈黙しているのです。

家庭の問題というものは非常に難しく、また深刻です。

ヤコブはこれまでの罪を悔い改め回心しました。

けれども、それでこれまで顧みなかった家庭内の失敗が

帳消しになるわけではありません。

ヤコブは神様の言葉より自分の都合を優先させてきた。

その父親の姿を見て育った子供たち

ヤコブが犯した過ちの種が子供たちの中に根付き

芽を出し、実りの時を迎えてしまった。

そのことが痛いほどわかるヤコブは感情的になって

息子たちを叱り飛ばし否定することをしなかった。

これはヤコブの信仰といえるかもしれません。

「お前たちなど、私の一族に相応しくない」

そうは言わなかった。

ヤコブは自分の蒔いた種の苦い実を黙って受け入れたのです。

そして、その苦みを口に含みながら残り人生を歩んでいく。

息子たちの問題はエスカレートし

遂には末の息子ヨセフを奴隷として売り渡すところまで

いってしまう。

ヤコブは息子たちの姿を黙って見続けていた。

しかしそれは諦めではなく、自分を救い出して下さった

神様はきっと息子たちも救い出して下さる。

そうやって望みを繋ぐヤコブの信仰があったのではないでしょうか?

私たちもしばしば生活の中で身近な人にイラついたり

絶望したりするものです。

「この人はダメだ」

そうやって結論付け、切り捨てることは簡単です。

しかし、私というどうしようもなく愚かで身勝手な人間を

救い生かして下さったイエス様を知っている。

他者に対して批判的、後ろ向きに考える人というのは

結局その人に絶望しているのではなく

自分自身に絶望しているのです。

自分自身のどうしようもないところに絶望しているがゆえに

他者に対しても望みを見ることができない。

自分が救われた、変えられたことを経験する人は

他者に対しても希望をいだくことができるようになる。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!!






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