「孤独の中にこそ」創世記28:1~22 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。


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おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

この火曜礼拝ブログは川奈聖書教会・火曜礼拝における

山口光仕牧師の説教をまとめたものです。

■「孤独の中にこそ」創世記28:1~22

1.イサクの素晴らしい信仰
族長イサクの家庭は崩壊寸前です。

イサクの視点から見れば

長男エサウは弟ヤコブを殺すほど憎んでいる。

次男ヤコブは母リベカの言いなりになって自分を騙し

後継ぎの権利を奪い取った。

妻リベカは長男エサウを嫌い、自分を騙し

ヤコブの妻を自分の兄の娘から娶らせようと

言葉巧みに誘導する。

全てを投げ出したくなる状況。

どのような行動をとるのか?

族長としての責任が問われます。

イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。

「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。

さあ、立って、パダン・アラムの、

おまえの母の父ベトエルの家に行き、

そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。」


自分を騙したヤコブ

「イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。」

そのヤコブに対して、正面を見据えながら祝福をする

イサクの信仰は本当に素晴らしいものです。

神に砕かれ、神に立ち返ったイサク

好みや感情ではない、神の選びの民の族長としての務めを

受け継いでいく使命感を持って、その責任を果たしていく

イサクの姿がそこにあります。

ヤコブがリベカの兄ラバンのところへ行くのは

リベカの企てでししたが、イサクがヨコブを送り出すのは

リベカに従ったわけではないことがイサクの言葉から

良く分かります。

妻リベカの意図、本音を見抜きながら

イサクは信仰をもって答えを出すのです。

リベカの思惑に乗せられることに対して抵抗感は

あったはずです。

しかしイサクはそういった思いを別にして

ヤコブにとって、家族にとって主の御前に何が良いかを

考え祝福の言葉をもってヤコブを送り出しました。

28:10
こうしてイサクはヤコブを送り出した。


2.ヤコブ初めての孤独

こうしてヤコブの一人旅が始まります。

叔父ラバンの家ハランまで800キロの道のり

今まで母親の過保護の中でぬくぬく育ったヤコブにとって

恐れを伴う困難な旅の始まりでした。

旅を始めて最初の日の夜、家を出て90キロ位の場所

異教徒の町ルズで野宿をすることになりました。

今まで衣食住に困ること経験などしたことがないヤコブに

とって、突如、親元から離れ一人旅、90キロもの距離を

歩いて、日が沈んでいく。

見たことのない異教徒の町があるけれど

自分は全くのよそ者であり、コミュケーションをとる術も

分からない。

深い孤独をヤコブは感じたに違いありません。

孤独の中で自分という存在に向き合い

直視せざるを得ない。

私たちが成長していくためには、このような孤独な

体験、時間というものが求めらるのではないでしょうか?

私たちすべての人間には神様から与えられた使命があります。

そして、自分に与えられた使命を果たすためには

孤独は避けては通れません。

なぜならそれがその人に与えられた特別な仕事であるからなのです。

SNSは良い意味で孤独を回避できるツールです。

SNSは人生の危機の中で非常に有益な助けになる場面が

あり大いに活用されるべきだと思います。

けれども、自分自身で向き合わなければいけない課題や

責任を安易に公開でして、「いいね!」と応援してもらったり

「大変だね~」と慰めてもらったり

「そうだ、そうだ」と同調してもらったり・・・

私たち人生には責任を持って向き合わなければならない

「必要な孤独」があります。

理解されない苦しみ

誤解される悲しみ

先行きの見えない不安

人の不条理

仕事や家事の苦労

身に覚えのない批判

様々な人生に「孤独」があります。

人に相談したり、助けを求めることが悪いことではありません。

しかし、それが、責任を回避するための相談ではいけない。

自分が神様から与えられた務め、使命を果たしていく。

そのために与えられた孤独を担っていけるように

そのために助けを求めることは悪いことではありません。

自覚的に「孤独」に向き合い生きることで人間は成長できます。

けれども、その場所を安易に無責任に扱っていると

人生はドンドン綻んでいきます。

豊かな家に育ち、母親の過保護もとに何不自由なく育った

ヤコブ、自分が何者であるのか?

人としてのアイデンティティを獲得するには至っていませんでした。

それは、両親の豊かさや力の保護のもとにあって

自分が問われるという経験がなかったからです。

それが突然、これまであった保護が取り除かれ

生身のヤコブという人がさらけ出されたときに

これまで培ってきたと思われた様々なことが意味を持たない

ただ無力な何もできない自分がそこにいること気づきます。

厳しい孤独の体験、それはヤコブがどうしても通らなければ

ならない道筋でした。

自分とは一体何者なのか?

この孤独な問いに向き合わなければいけなかったのです。

親に貸してもらっている借り物の人生ではなく

この厳しい孤独体験から、ヤコブの本当に生涯が始まるのです。

3.天に届く階段

ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、

そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、

それを枕にして、その場所で横になった。


石を枕にして休んだヤコブの心の痛みや不安、恐れは

いかほどのものであってでしょうか?

そうして丸裸にされたヤコブの前に神様が現れて下さった。

そのうちに、彼は夢を見た。見よ。

一つのはしごが地に向けて立てられている。

その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、

そのはしごを上り下りしている。

そして、見よ。

主が彼のかたわらに立っておられた。




「ヤコブのはしご」と呼ばれている有名な箇所です。

ヤコブと神様をつなぐ階段

父イサク、母リベカは関係ない。

ヤコブ、その人が、その階段によって神様と繋がっている。

そこを天使たちが行き来している。

神様の御前にある私、何の手がかりもない丸裸と思える自分

けれども、何者であるか分からない私に神の御前にある私

という最初の手がかりが与えられるのです。

正に人のアイデンティティというのはこのように始まるのです。

人は自分一人では自分が何者であるかを知ることはできません。

人として生まれ出て、両親をはじめ周囲の人たちとの関わり合いで

自分が何者であるかに気付いていくのです。

けれども、そこで今度は今まで自分の支えとなってきた

両親や周囲の人々の評価を離れて、いわば丸裸で

生まれた赤ん坊のように、もう一度経たなくてはいけない。

その時に、私たちが大人として生きていく手がかりは

「神の御前にある私」であります。

ヤコブに神様は力強い慰めに満ちた言葉を下さいました。

「見よ。わたしはあなたとともにあり、

あなたがどこへ行っても、あなたを守り、

あなたをこの地に連れ戻そう。

わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、

決してあなたを捨てない。」


「私はあなたと共にいる。」と語り掛けて下さった。

これからのヤコブの歩みは

「決してあなたを捨てない」という主の言葉に

貫かれています。

一方、兄のエサウはというと

父イサクに気に入られようと父方の叔父イシュマエルの

の娘を娶ります。

イサクの子として家に残り、父からの借り物の私として

生き続けるエサウ

イサクのもとを離れ、裸で一からスタートするヤコブ

非常に対照的な二人

後にこの二人の生き方の差が決定的になります。

ヤコブは目を覚ますとここは「天の門」だと叫んで

ベテル「神の家」と名付けました。

「天の門」、ここから天の御国に向かう彼の真の人生の道が

始まったのです。

ヤコブにとって、最も苦しく寂しい恐ろしい

その時にヤコブは天の門を見出したのです。

ヤコブのように、本当の自分に向き合う

ありのままの自分に向き合う機会というのは

人生の中でそう多くはありません。

家族がいて、友達がいて、同僚がいて

人生の終わりまでそうやって人に囲まれ

本当の自分に向き合うことを誤魔化し生きていきても

私たちは必ず一人で死ななくてはいけない。

家族に看取られようと、死は一人です。

そのときにヤコブのような境遇に置かれるのであれば

それはあまりに厳しいこと。

「日本文化は二人称、あなたがそうであるのならば私はこうです。

そうではなく、一人称、神と私の関係における縦軸での

自己の確立を通して、”私は”という言葉を手にしていく」
(森有正)

関係性の中に存在の落ち着き場を求めるのが日本文化。

個々の人がどんな思いをもっていても、和を乱さない。

そうであればコミュティが個々の責任を負ってくれる。

だから和の中に入れれば、こんなに心地よい場所はない。

そうやってここと良さに包まれると

もう自分の意見を言うことが出来なくなる。

そういう借り物の私ではなく

神の御前にある縦軸としての「私」としての言葉をもって

いる人がこの時代、求められる。

私たちも石を枕にして眠るような孤独の中で

そこに天の梯子を備えて下さる神様に出会うことができます。

その私が、この世に遣わされているのです。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!

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