「罪を覚え、許しに生きる」創世記27:41~46 | ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

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ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。


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おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

この火曜礼拝ブログは川奈聖書教会・火曜礼拝における

山口光仕牧師の説教をまとめたものです。

■「罪を覚え、許しに生きる」創世記27:41~46

川奈聖書教会火曜礼拝では、アブラハム、ヤコブという二大族長の狭間にある

二代目イサクを学んでいます。

1.先週まで

イサクは妻リベカと息子ヤコブに騙される屈辱・怒りの中で

それ以上に自分がいかに神を騙し、軽んじたという

深い罪に目を向け、そのイサクの信仰が家族の崩壊を

ギリギリのところで防ぎました。

2.エサウの怒り

27:41
エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。

それでエサウは心の中で言った。

「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」


母リベカはこの言葉を聞くや、ヤコブを自分の兄ラバンのもとへ

逃がします。

最近では兄弟や親子の殺人事件というのは決して

珍しくありませんが、聖書においては

最初の人アダムとエバ、その息子であるカインとアベルが

もう兄弟殺しの関係になっている。

兄弟だから、家族だから仲良くて当然ということが

人類の歴史の始まりから言うことができないということです。

むしろ、肉親であるから、距離が近いからこその難しさがあるのです。

箴言17:17
「兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」


この言葉は兄弟の模範として教えられるものであり

兄弟は放っておくと、苦しみを押し付け合い

財産を奪い合う関係となるのが人間の兄弟なのです。

ですから、聖書は兄弟とは一緒に苦しみを重荷を担い合う

ために生まれるのだ。そのことを志してまず自分が率先して

苦しみを担うこと、そういう愛の主体性を兄弟・家族の

関係性に働かせなさいという神様からの警告なのです。

エサウとヤコブはそういう意味からすると

悪い見本のようなものです。

長子・相続の権利を騙して奪い取る

相手に成りすまし父親を騙す。

そんなことをしたらどんなことが起こるか他人との関係なら

容易に想像がつく。けれどのヤコブはそこまで深刻に考えなかった。

一方の兄のエサウも料理と引き換えに、長子の権利を交換する

他人であったらありえないことを軽々しくやってしまう。

こうした両者の兄弟ゆえの油断、配慮のなさ、乱暴さが

深刻な事態を巻き起こすのです。



兄エサウの怒りは激しいものでした。

「殺してやる」

弟に騙され母に見捨てられたエサウの激しい怒りは

分からないことはありません。

もし、私たちが同じ状況にあったら?

エサウのような怒りを持つことでしょう。

しかし、先週学んだイサクの反応を私たちは思い起こさなくては

いけません。

イサクはエサウと同じように妻と息子に騙される屈辱を味わった。

「殺してやる」という感情を持ちかねない状況の中で

イサクは自分の罪、失敗、神を騙していた

自分の過ちに目を向けていったのです。

これは本当に優れた信仰です。

私たちは自分に対する悪だくみや裏切り嘘については

激しい怒りを燃やします。

けれども、自分がどれだけ人を悲しませているか

特にも神様をどれだけ裏切り悲しませているかの

罪には本当に疎いものなのです。

私たちが人から被る酷い扱い、理不尽な目にあったとしても

私たちが神様に対して犯してしまう罪の大きさに比べたら

本当に小さいものなのです。

神様が私たちを愛して下さるのは当然、

私たちがあの人、この人を憎み怒るのは当然と

考える都合の良さがあるのです。


2.自分の過ちを真摯に認める

エサウはヤコブに怒りを向けながら、自分の過ちには

一切、目を向けることをしませんでした。

これまでのエサウの生き方が祝福の継承者として相応しくない

ことは明らかでした。

それゆえ、リベカ・ヤコブの騙しごとがなくても

神様はエサウから長子の権利、祝福の相続者としての権利を

はく奪されたのです。

戦後ドイツはナチス・ヒトラーという負の歴史の反省をしてきました。

ナチスを思わせるポーズをとってはいけない

ドイツ国内での厳しいルールから

手を振って写真を撮ることも

町でタクシーを手を挙げて止めてはいけない

学校で子供たちも人差し指だけで挙手をします。

これは自分たちがユダヤ人や諸外国に対して悔い改めの

心をもっている。

そのことを自分たち自身で証しし続けているのです。

難民を無制限に受け入れ、アパートの斡旋と毎月4万円の

生活費を渡す。少数民族を迫害した反省を今もそうやって

示し続けているのです。

「もういい加減、許してくれてもいいだろう」

そういう卑屈な感情ではなく

私たちは加害者なのだから、そのことを痛切に覚えながら

悔い改めに生きるのです。

マルチン・ルター95条第一条
「私たちの師であるイエス・キリストが「悔い改めよ」と

言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めである

ことを欲したもうたのである」


この言葉が歴史の中で生き続けています。

松沢信広という牧師先生がいらっしゃいました。

松沢先生は若いころ、散々悪いことをして

ヤクザの世界に足を踏み入れ、その世界で出世された方でした。

松沢先生のお母さまは敬虔なクリスチャンで

先生のために祈りに祈っていました。

しかしその祈りと敬虔さが煩わしく

「俺の人生だから、俺の好きにさせてもらう。

親子の縁を切ってくれ」

とお母さまに言ったそうです。

お母さまは

「分かりました。ただ最後にひとつだけ私の願いを聞いてほしい。

沖縄の○○という先生の教会に行ってきてほしい、そうしたら

親子の縁を切りましょう」

とそうお答えになり、松沢先生は母の望み通りに沖縄の

教会へ行き、そこで見事に回心されたそうです。

回心し洗礼をお受けになった松沢先生にお母さまは

聖書の言葉をお与えになられました。

その言葉に先生は言葉を失ったそうです。

イザヤ書51:1
「あなたの切り出された岩、掘り出された穴をみよ」


回心すれば、悔い改めたら、昔のことは全て帳消し

そういう調子の良さを私たちはもっている。

神様はお前が犯した罪を許し、無かったことにして下さった

のではないよ。

ご自身の一人子、イエス・キリストを犠牲にすることで

お前の罪は許されたのだ。

それほどまでに重たい愛と許しをお前は抱えてお前は

生きて行くのだよ。

そう、お母さまはおっしゃりたかったのです。

人の罪を数えるのではなく

自分の罪と神の愛の大きさを味わう

それがキリスト者の人生なのです。

3.思い通りにはいかない

このままではヤコブの命が危ない

リベカはヤコブを守るために自分の兄のもとへ

ヤコブを逃がします。

27:44弟ヤコブを呼び寄せて言った。

兄さんの憤りがおさまるまで、

しばらくラバンのところにとどまっていなさい。

兄さんの怒りがおさまり、

あなたが兄さんにしたことを兄さんが忘れるようになったとき、

私は使いをやり、あなたをそこから呼び戻しましょう。

一日のうちに、あなたがたふたりを失うことなど、

どうして私にできましょう。」


リベカだけでなくイサクもエサウの二人のヘテ人の嫁の

ことで苦しんでおりました。

同情を引きやすい言葉を選んで巧みにイサクを説得していきます。

リベカはイサクに言った。

「私はヘテ人の娘たちのことで、

生きているのがいやになりました。

もしヤコブが、この地の娘たちで、

このようなヘテ人の娘たちのうちから妻をめとったなら、

私は何のために生きることになるのでしょう。」



リベカはこうしてイサクを説得しながら

愛するヤコブが自分の信頼する兄ラバンの娘の中から

嫁とりができるように策を練ります。

結果としてリベカの思惑はすべてその通りとなりました。

しかし、結末は彼女が思い描いていたものとは

全然違うものとなりました。

ほんのしばらくと思ったヤコブとの別れは

母と子との今生の別れとなった。

ヤコブは叔父ラバンに騙されレアとラケルという二人の姉妹を

娶ることになり、そこからまたヤコブの困難・痛みが始まります。

全てを思い通りに動かしたようでリベカは

自分自身がした事柄においてもっとも大切なものを失ったのです。

自分の思惑通りに事は進みません。

家族とは一体何か?

家族のつながりとは?

幸いなる家族とは何であるのか?

「まだ遅くない」と神様はおしゃって下さる。

神様に委ね、献げ、祝福にあずかるものとして

私たちは招かれているのです。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!

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