ロックな税理士 原 眞人の「プロ社長を目指せ!」 伊豆夢(イズム)の日記

ロックと聖書でマーケティングを語る、ロックな税理士 原 眞人の伊東市から発信する中小零細企業の社長のための、「経営」「財務」「税務」のお役立ち情報です。


テーマ:
おはようございます。伊東市・中小企業元気アドバイザー、

伊豆夢(イズム)こと

ロックな税理士、原 眞人(ハラマサト)です。

この火曜礼拝ブログは川奈聖書教会・火曜礼拝における

山口光仕牧師の説教をまとめたものです。

■「イシュマエルの責任を担われる神」創世記25:12~18

川奈聖書教会火曜礼拝では、

アブラハムの生涯を中心に創世記を学んでいます。

1.イシュマエルは十字架

9節のアブラハムの葬儀にイシュマエルが列席した。

ここに神様が信仰者アブラハムに与えて下さった祝福

家族の和解・平和がありました。

これはサラの女奴隷エジプト人ハガルが

アブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。


神様の御心に反して、不妊であったサラが後継ぎを得るために

女奴隷であったハガルをアブラハムに差し出し

生まれたイシュマエル。

人間の浅はかな考えによって生み出されたものが

その後、どうなっていくか?

このことは良く考えなければいけないでしょう。

イシュマエルの子孫は、アラビア東北部に遊牧民

として展開していき、今のアラブ人の先祖となりました。

4000年以上にわたってパレスチナで続く

ユダヤ人とアラブ人の争いの根底にあるのが

シュマエルの存在だということが分かります。

私たちが短絡的に、その場しのぎで

何かを作ったり、何かを手に入れたりするときに

そうしたものが最後の最後まで私たちを苦しめ

周囲の人たちを苦しめる存在となってしまう。

神様を軽んじた人の愚かさによって生じた傷は

どこまでもついて回るようなところがあります。

そしてそれは神様が私たちにあえて残して下さる傷跡

という側面があります。


教会には十字架が高く掲げられています。

この十字架は何を意味しているのか?

十字架は、私たちにとってのイシュマエルなのです。

毎週、十字架を仰ぎみることによって

私たちが自分たちの罪ゆえにイエス・キリストを十字架に

かけてしまった。

もう消すことができない

罪、不信仰の結果を見せつけられるのです。

十字架の前に立つときに誰も誇ることなどできない。

アブラハムも同じであったでしょう。

偉大な族長として人々の尊敬を集めても

目の前にはいつもイサクとイシュマエルの問題が

ちらつき、自分の栄光に浸る思いにはなれない。

私たちも一週間の歩みの中でときに傲慢になりますが

イエス・キリストの十字架の前においては

身を低くさざるをえない。

今なお残されている痛み・傷は、私たちの傲慢を

打ち砕くために神様が残して下さった恵みの意味があります。


2.神に寄り頼むための恵み

4000年間引きずるの泥沼の争いとしてある

イサクとイシュマエルの関係、罪の実として

歩き始めたこの問題、アブラハムはお手上げ状態

だったことが分かります。

21:9
そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、

自分の子イサクをからかっているのを見た。

 それでアブラハムに言った。

「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。

このはしための子は、私の子イサクといっしょに

跡取りになるべきではありません。」

このことは、自分の子に関することなので、

アブラハムは、非常に悩んだ。



自分の手に負えない問題

このようなところに神の助けが与えられます。



21:12^13
すると、神はアブラハムに仰せられた。

「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。

サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。

イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。


神様はもう悩まなくていい

「わたしがハガルとイシュマエルの責任を負ってあげよう」

とおしゃった。




21:13

「しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。

彼もあなたの子だから。」


なんと慰めに満ちた言葉でしょうか。

25:16
これらがイシュマエルの子孫で、

それらは彼らの村落と宿営につけられた名であって、

十二人の、それぞれの氏族の長である。


イシュマエルに対する約束が成就したことを記しています。

自分の手で守ってあげることができない存在があるからこそ

アブラハムは神に寄り頼みました。

私たちも目の前にある十字架から目をそらさずに

歩んでいかなくてはいけません。

負いきれない十字架のうちにこそ、神様の恵みが

またご介入が見出される。

委ねるしかない困難の前でこそ、委ねたときに祝福の大きさを

私たちは体験することができるのです。


3.荒井基先生のこと

先日、荒井基先生の葬儀が執り行われました。

人は生きたように死んでいくものです。

ですから、葬儀においてこそ、その人の生様が現れるのです。

先生が入居されていた施設で二つのエピソードが

心に残っています。

一つ目は先生の5月のお誕生日でのこと。

先生が入居されている方々を前にご挨拶されました。

「私は皆さんより歳を取っていますから、先に天国に行って

皆さんをお待ちしております。天国は素晴らしい場所だと

聖書は書いてあります。ぜひ皆さん、天国に来られるように

神様を信じて歩んで下さい。」

二つ目は、お世話をして下さった若い職員さんが

いよいよ荒井先生が何も召し上がらなくなり

やせ細っていかれる様子が痛々しく精一杯の声をかけたところ

先生が

「あなたこそ若いのだから、体を大事にしなきゃダメよ」

と励まして下さったそうです。


キリスト者の生と死は

「私を見て欲しい、私を評価して欲しい」と

私に目を向けさせるのではない。

「神様を見て欲しい。神様を知って欲しい」

そのようにして、神を証しし、神の愛を行うものである。

キリスト者であろうが、牧師であろうが

叩いて埃の出ない人はいません。

だから、「私を見て」と生きるなら

結局、人の目に映るのはシミやシワでありましょう。

けれでも、神様を見るように勧めた人の人生は

仰ぎ見られるイエスキリストの十字架により

シミやシワは取り除かれ、神の栄光のもとに輝くのです。



大事なことは、いつも聖書とロックが教えてくれた。


ラヴ&ピースKeep on Rock’n


今日も楽しく、誇りをもって行こう!

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