出身地を聞いて、同じ出身地だと、その後の話がすごく盛り上がったこと、ありませんか?こんなふうに。
A「出身はどこですか?」
B「岡山です」
A「岡山のどこ?」
B「倉敷」
A「へー倉敷のどこ?」
B「水島」
A「えーー、わたし玉島」
B「ひゃーーー~~」
かなりローカルな地名ですが、水島と玉島は川をはさんだ隣街で同じ倉敷市内です。
同じ出身地。
ただそれだけで、分かった瞬間に距離がちぢんでしまう。
「土着」という言葉があるように、ふる里やルーツって、何才になっても人を根付かせている力があるんですねー。
実際に住んではいなくても、何かをそこに残しています。
少し前に書籍のインタビューで取材させていただいた方の、出身が広島県福山市でした。
私は「福山」って聞いただけで、なんか親近感。
福山は私の母の里であり、幼い頃の夏休みのほとんどを祖父母と共に過ごしたところ。
出身地や幼児期を過ごした場所が共通しているというだけで、「縁」を感じます。
話さなければ分からないし、「倉敷の玉島出身です」とは顔にも背中にも書いていないですよね(笑)。
そう、目には見えないもの。
そういうカゲもカタチもないけれど確かに存在するもので、人は感情が湧きあがってくるのです。
そして、一見華やかに見える世界も、そういう土着的な根付いた土台がしっかりとあるから、輝いていられるのでしょう。
物事は表面的なことだけでは、分からないことだらけ。
氷山の一角の下には、富士山の裾野のように、巨大な氷河が海に沈んで一角を支えています。
目の前に起こる出来事だけではなく、水面下の見えない部分を知ることで、自分の根っこを呼び覚ませてくれるのかもしれません。
目には見えないけれど、確かに存在して何かを感じているあなたの心も、静かに見つめる時間があると良いと思いませんか?
次回の侘び寂び茶会は、11月18日(月)午後@伊丹です。
週明けすぎたら募集を始めますね。