一見何も生まない時間こそ、これからの養分になる | 喜びで満ちた人生のために たまなまや

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たまなまやのブログ。自分らしい「喜び」に満ちた人生を生きるための試行錯誤から得たヒントをお届けしています。京都でどたばた子育てをする二児の母、物書き、お片付けコンサルタント。

「大人の夏休みだと前向きに捉えようと思う」

 

 

友人が言った。

 

このステイホームのことだ。

 

 

そういう考え方はいいな、と思いながら、いつもちゃんと働いてきた人しか言えない言葉だなあと思った。自分の人生は結構ずっと夏休みみたいなものだから、なんだかちょっと後ろめたくなった。

 

 

 

そうできてきたのは、恵まれていたとも言えるし、他のものを諦めたただの選択であるとも言える。

 

そして、性格上、手放しに楽しい夏休みをずっと過ごしているわけでもない。

 

 

だいたいに置いて、「何かしなければ」と焦っていた。

 

 

少し前に、スピリチュアルなセッションで、その焦りを指摘された。

 

そうか、焦らないという手もあるのか、と思った。

 

 

そして焦る気持ちもある一方で、どこか、どーーーーんと、

 

 

「まだ時期じゃないし。いつか勝手に進むときがくるし」

 

 

と、まさに「俺まだ本気出してないだけ」的な人格も私の中には確実にいる。

この人格はすごいビッグマウスで、機が熟して、私が本気出したらまじすごいし、って本気で思っている。我ながらすごい。

 

自信のない私と統合されるか、ずっとこの人格でいられたら楽そうなのだけど。

 

 

 

また別の人が、

 

 

「この自粛期間は自分のなかの満たされない部分を充足する最後の時間になる気がする」

 

 

というようなことを言っていたのをFBで見て、膝を打った。そう、それだ。

 

 

保育園も登園自粛になってしまったので、子どもを見るのがメイン業務ではあり、そもそもの引きこもり気質を生かしてほかにもやりたいことは沢山ある。「夏休み」と思うとつい張り切りそうになる。

 

 

 

だけど。

 

 

 

ただただ子どもと一緒に時を過ごし、沢山の愛の言葉を交わし(下の子は文字通り、愛の言葉のシャワーを毎日浴びせてくれる)、よく食べよく笑いよく眠る。

 

 

頭をかすめる将来の心配を脇において、ひたすら動物的にからだを寄せ合い、抱きしめ合う。

 

 

胎児~幼児期に得難かった愛や安心感、所属の欲求を満たすのに、最高の時間。

 

 

 

自粛できる状況にある多くの人にとって、必要以上の

 

 

「やらなければならないこと」

 

や、

 

「やったほうがいいこと」

 

 

が削ぎ落とされてきている今。

 

 

 

たぶん、私だけじゃなく、いまの社会全体に、多くの人にとって不足しているだろう、

 

こうした安心感や愛を感じる時間にできたらいい。

 

 

それは、子どもやパートナーや仲間がいればその人達とたっぷりと。

 

そしてたとえ一人だったとしても、

 

自分の痛みを受け止め、誰かにしてほしいこと(ハグやケア)を、自分が自分でしてあげる時間に。

 

人は自分で自分を癒せるのだ。

 

 

 

何も生まない。

 

何も役に立つことをしない。

 

ただダラダラ、穏やかに過ごす。

 

 

 

「有益」とか「効率」とか、この社会で重視されすぎてきたことから今だから距離を置いて、こんな時間が、これから先の自分や子どもたちを、根っこから支える大切な栄養になる気がしている。