3月11日、東日本大震災から一年が経ちました。
被害状況はいまだに深刻で、例え来年になっても、5年経っても、10年経っても
たくさんのものを無くしてしまった、東北の方々の傷が癒えることはないと思います。
当時、私は大学4年生で卒業式を間近に控え、大学のほうにいました。
友達と一緒に、大きくゆっくりとした揺れを感じました。
帰宅してみたテレビの映像に、『いったい何が起こってるんだろう・・』とただそう思いました。
当日は被害状況がきちんとわからず、ただ押し寄せてくる津波の映像が繰り返し
流れるだけで、翌日になってそれはとてつもない被害をもたらして、一瞬で
たくさんのものを壊していったものなんだと実感しました。
仙台に大切な友達がいた私は、すぐに彼女にメールを出しました。
返事は一向に返ってきませんでした。すでにRINRINでアルバイトをとさせていただいていまして
店舗に入っても彼女が心配で、泣きそうでした。
あの黒い波に飲み込まれていたらどうしよう・・ただそれだけが頭の中にあって
テレビで被害状況を見るのが怖くて、しばらくは目を背けてしまっていました。
彼女からメールの返信があったのは、2週間くらい後でした。
『家族全員が無事』だというメールが嬉しくて、一時間くらいずっと泣いてました。
彼女が無事だったことが嬉しくて泣いて、たった一人の友達のことをここまで心配してしまった私。
きっともっと大切な家族や友達が被害にあって、悲しんでる人心配してる人がもっといるんだと思ったら
もっと泣けてきました。
RINRINでは店舗で『会社の取り決め』などではなく、スタッフさんが震災のニュースが流れてすぐに
募金を始めました。それは日本中がはじめた、誰にでもできる復興支援でした。
震災に基づいて、色んな方の支援の明るいニュースの傍ら震災を隠れ蓑にした暗いニュースも
流れていた。最初はそんなニュースを聞くたびに「どうしてそういうことができるのかな?」と
腹を立てたこともありました。
それでも自分が腹を立ててもしょうがないなと思い始めました。
メディアの情報に受け取る側がどう解釈するかは個人によりますが、それに対して
過剰に反応したり、先走る情報に焦ることは正しいことではないだろうから。
同じくメディアの受け売りになりますが、一人一人ができることは『忘れないこと』『風化させないこと』
なのではないかなと思います。だんだん減ってくる震災のニュース、募金箱の設置、それと同じくなくならず、
震災発生日が近づくと思いだすのはでなくて、つねに頭のどこかに考えていなければいけないことなんだと
いうことを忘れないことなんだと、一年経って改めて思いました。