性本能と原爆戦 ~核戦争と無秩序な世界~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

1945年、二発の原爆投下に拠り、日本は降伏を決定し、太平洋戦争は終結した。実際には、もっと様々な要因も有るだろうが、原爆投下が決定的な出来事であったのは間違いないだろう。この原爆投下を行ったアメリカでは、「間違いではなかった」もっと言えば「正しかった」と言う意見が未だ根強く存在している。その見解の是非はここではひとまず置いておくとして、敵国に対して行うのは問題無いが、自国に落とされるのは非常に脅威に感じる様である。「自分がされて嫌な事は他人に対して行うべからず」と言うのは当たり前の事だと思うのですが、世の中ではそのルールを無視する事も当たり前に行われている。そりゃあ、子供同士のイジメだって無くなる訳は無いわなぁ、などと嘆き節の一つもこぼしたくなると言う物である。

 

話が少し横道に逸れてしまいました。日本の原爆被害の大きさが知られ、同様の爆弾が自国に投下される恐怖から、特に東西冷戦時代には、核の恐怖を描いた映画がたくさん制作される事となった。その恐怖を「怪獣」に託し、遠回しに描かれた作品も多かったが、中には直接的に核戦争の恐怖を描いた作品も存在する。『原爆下のアメリカ』#1 もその一つである。アメリカが某共産主義国家に拠る侵略を受け、全米各地にバンバン原爆を落とされると言う内容である。落下傘部隊の降下や、戦闘機への集中砲火等、戦争に関するシーンの大半は、実際の記録フィルムを使用しているので結構生々しい。クライマックスのビルの爆破シーンはミニチュア特撮で撮影されている。当時としてはなかなかの出来なのではないでしょうか。「自国を護るには我々一人一人がしっかりしないといけないのだ」みたいな主張がなされており、侵略の恐怖を描いているのは間違い無いのだが、どちらかと言えば国防色が強い作品である。この手の作品の多くがそうなのだが、この作品でも原爆の被害が過小評価されていると思う。瓦礫の下敷きになる位近くで原爆落ちたのに、瓦礫に当たった怪我だけで済む訳無いだろうよ、と当事観た日本人も思ったのではなかろうか。

 

今回紹介するのは、核戦争の恐怖と言うよりも、核爆弾が落ちた後の人々の恐慌状態を描いた作品『性本能と原爆戦』( 『 Panic in Year Zero! 』 1692年 アメリカ )であります。まず、その素晴らしい邦題に惚れ惚れしますね。原題の「パニック・イン・イヤー・ゼロ」が、当時配給をした大蔵映画に掛かれば御覧の通り。一気にエクスプロイテーション映画感が全開。これぞ大蔵マジック。「何を気取った題名付けてやがんだ」と言う大倉貢の声が聞こえてくる様である。1

 

監督・主演はレイ・ミランド。前回紹介した『悪霊』#2 の監督、ジョージ・マッコーワンの『吸血の群れ』#3 で、偏屈ジイさんを演じていた人である。勿論、本業は役者だけど、主演作『白昼の対決』#4 を監督した事を皮切りに監督もする様に。テレビシリーズ中の一話を監督、と言うのが多いけども、劇場用作品も5本程監督している。監督としての代表作は本作だと思います。

 

イギリスはウェールズ出身。イギリス陸軍近衛騎兵隊の元軍人で、射撃手、騎手、飛行機のパイロットとして鳴らした。などと書くと、それなりの年齢で役者に転向したみたいだが、俳優デヴューは22歳である。1907年生まれ、日本で言うと明治40年。昔の人は今よりも早熟と言うか、うん凄いっすね。

 

しかし、役者となってからはそうも順風満帆とは行かず、デヴューからほどなくしてアメリカに渡るも結構苦労もした様である。1936年の『ジャングルの女王』#5 が好評だったお陰でギャラはだいぶ良くなったが、演技力は左程評価されてはいなかったみたいである。

 

役者としての転機は『失われた週末』#6 に主演した事で訪れる。この作品でのアル中演技が評価され、アカデミー主演男優賞、カンヌ映画祭主演男優賞、ゴールデングローブ主演男優賞他、幾つもの賞を獲得。苦節15年強にして栄光を掴んだのだった。他の代表作としては、アルフレッド・ヒッチコック監督作で、グレース・ケリーと共演した『ダイヤルMを回せ!』#7 を挙げておきます。

 

しかし、決して大御所然とした感じにならないのがレイ・ミランドの良い所。B級映画の巨匠ロジャー・コーマン監督の『姦婦の生き埋葬』#8『Ⅹ線の眼を持つ男』#9 にも主演しており、筆者としてはむしろこの辺りを代表作としたい位である。『Mr.オセロマン/2つの顔を持つ男』#10 などと言うヘンテコなコメディ映画にも主演していたりするが、その前後にはちゃんと話題作や大作にも出演していたりする辺りが素晴らしい。尊敬に値する仕事ぶりである。

 

早朝、釣りに出掛けるハリー一家四人。いつも行っているキャンプ場か何かに向かう様である。子供たちはまだ眠そうだ。ここ迄は極々平和な日常である。だが、その日はいつもとは違っていた。ロサンゼルス方面に、立ち上るキノコ雲が見えたからだ。急いでカーラジオを付けると、流れてくる緊急速報。ハリーは、平和な日常が終わった事を悟った。

 

と、この様に本作は始まります。勿論、低予算映画なので被害を受けた都市の映像なんか映りません。「原爆投下」の報せを聞いた人々のパニックぶりを描くのが本作だから、それでイイのです。

 

パニックとなった人々の車が、先を争い猛スピードで都市部へと向かって行く中、冷静なハリーはその一団を尻目に逆走、まだ事情を知らない人も居ると思われる郊外へと向かうのだった。事情を知らず、通常の値段で食料品を売ってくれる郊外の商店主。大量に現金で購入してくれるハリーに気を良くし、請われるまま金物屋を紹介するが、金物屋の店主はラジオで状況を知っており、既に手持ちの現金がなくなっていたハリーは小切手での支払いを拒まれてしまう。どうしても、道具類や銃を手に入れたいハリーは、店主を殴り飛ばし「後で払う」などと言い、大量の物資を持って行ってしまうのである。

 

極々真面目そうな親父のハリーですら、普段ならまず行わないであろう暴挙に出ている。都市部に猛スピードで向かって行った連中などは、絶対暴徒と化しているであろう。集団となっていれば尚更である。今だってちょっとした切っ掛けで民衆が暴徒化してるからねぇ。こんな非常時となれば、どんな事になるか想像すると恐ろしいね。

 

と、言う事で、法や秩序の無くなった世界では、生存本能の儘に食糧や物資は奪い、種族保存の為に男は女を襲うのである。これこそ正に、本作の邦題『性本能と原爆戦』の世界である。決して原題の「パニック・イン・イヤー・ゼロ」などと言う気取った世界では無いのである。とは言っても、この当時の映画ですから。全然、描写は大人しいです。海外のレヴューでも指摘されていましたが、女性が暴漢に襲われているシーンでBGMとして流れる音楽の能天気さはどうにかならなかったのだろうか?その音楽を手掛けたのはレス・バクスター。1950年代から数多くのB級作品に音楽を提供して来た人。その筋では有名です。『吸血の群れ』の音楽も手掛けてます。

 

ハリーの息子リックを演じたのは、1950年代から歌手として活躍し、1960年代には映画にも進出した、アイドル系の歌手兼俳優のフランキー・アヴァロン。所謂、「ビーチ・パーティ」モノと呼ばれる一連のシリーズで大人気を博した人。若い男女が恋の鞘当てをするコメディタッチの物語に若者向けの音楽を散りばめました、ってのがこの手の作品の特徴でしょうか。頭をカラッポにして観れる感じが素敵です。

 

本作には、クレジットされてはいないが原作と目されている小説が有る。ウォード・ムーアが発表した「ロト」(1953年)と、その続編「ロトの娘」(1954年)である。多少の違いは有るものの、設定や展開に似通った部分は多い。筆者は続編「ロトの娘」の方は未読なので何とも言えないが、まぁほぼ原作と言って良いと思われる。曖昧な書き方をしているのは、ウォード・ムーアと本作のプロデューサーで裁判沙汰になった、と言う話も有るからである。この話も実際の所、事実かどうかはハッキリしていないものの、原作者に無断でプロットをパクリ映画化、なんて事はこの当時の低予算B級映画では、さもありなんと言う気もする。

 

一応、原案としてクレジットされているのはジェイ・シムズと言う人物。主にテレビドラマの脚本をボチボチ書いていた人の様である。因みに、原作(と思われる)「ロト」の主人公のオヤジは、本作のレイ・ミランド扮するハリーよりも、或る意味でもっと思い切った行動を取ります。こちらを忠実に映画化して欲しい気がする。但し、今の世の中では非難ゴウゴウなのは目に見えるけどね。

 

本作は、核戦争の惨禍や、核戦争後の荒廃した世界を描いた作品では無い。秩序の保たれた世界が、呆気なく崩壊する恐ろしさを描いた作品である。実際、戦争そのものよりも、無秩序な世界の方が或る意味恐ろしいかも知れない。自分勝手な理論で傍若無人に振る舞う者も多い今日この頃。我々は常日頃様々な危険に身を晒されていると考えた方が良さそうである。

 

さて、少し話は変わりますが、今年2023年夏、アメリカでは、バービー人形を実写化?した作品『バービー』#11 と原爆開発の父とも呼ばれるオッペンハイマー博士を伝記的に描いた作品『 Oppenheimer 』#12 の二作品が映画界では話題の的だった。

 

この話題の二作品が同日公開と言う事で、コロナの影響で客足が落ちた映画業界としては「二作品とも劇場で観よう」とキャンペーンを打った。それが「バーベンハイマー」と言う言葉の元であったが、「バービー」の髪の毛を「キノコ雲」に変えたり、「バービー」の後ろで爆発が起こっている様なパロディイラストがネット上に投稿され、『バービー』のアメリカ公式ツィッターがこのパロディイラストに「イイネ」をしたものだから、大いに物議を醸し、制作会社であるワーナーブラザースが正式に謝罪をすると言う事態にまでなった。

 

唯一の被爆国である日本人の感情を慮っているのかどうかは定かでは無いが、クリストファー・ノーラン監督作『 Oppenheimer 』は、2023年11月21日アメリカではソフトの発売、配信の開始が始まったが、日本では劇場公開すら未定の儘である。しかし過去には、原爆製造の過程から広島への投下までを描いた作品が日本でも公開されている。それが『始めか終りか』#13 である。当然、オッペンハイマー博士も登場します。日本でも1950年に劇場公開されたこの作品でも、原爆の脅威、恐怖を描いてはいるものの、三日後の長崎への原爆投下を描いていなかったり、ナニヤラ原爆投下を綺麗事の様に描いている感もチラホラ。

 

前述した『原爆下のアメリカ』も、制作の翌年1953年には日本でも劇場公開されており、国民感情や世界情勢の変化、劇場公開に至るプロセスの違いなど、考慮すべき事も多いと思われるが、戦後間も無くの日本と較べて、現代の日本では『 Oppenheimer 』を劇場で掛けると暴動でも起きるとでも思われてるんでしょうか?それだとしたら、ちょっと心外ですな。

 

アメリカでは、「バーベンハイマー」が流行ったモンだから、「バーベンハイマー博士」を主人公にしたパロディ映画を制作しようといった話も出ているらしい。言っているのがチャールズ・バンドなので実現するかは限り無く怪しい物ではあるが。2

 

世界情勢がかなり胡散臭い感じの昨今だからこそ、戦争や核兵器と言う物にもう一度真剣に向き合うべきでしょう。その為にも日本での『 Oppenheimer 』の劇場公開見送りと言う事態は避けて欲しいと思います。

 

#1 (『 Invasion, U.S.A. 』 1952年 アメリカ )

#2 (『 Shadow of the Hawk 』1976年 カナダ )

#3  (『 Frogs 』 1972年 アメリカ )

#4  (『 A Man Alone 』 1955年 アメリカ )

#5  (『 The Jungle Princess 』 1936年 アメリカ )

#6  (『 The Lost Weekend 』 1945年 アメリカ )

#7  (『 Dial M for Murder 』 1954年 アメリカ )

#8  (『 The Premature Burial 』 1962年 アメリカ ) 

#9  (『 X: The Man with the X-Ray Eyes 』 1963年 アメリカ ) 

#10 (『 The Thing with Two Heads 』 1972年 アメリカ ) 

#11 (『 Barbie 』 2023年 アメリカ、イギリス ) 

#12 (『 Oppenheimer 』 2023年 アメリカ、イギリス )

#13(『 The Beginning or the End 』1947年 アメリカ )

 

1 大倉貢は子供時代より活動弁士として人気を博し、蓄財した金で映画館を買収。映画館経営から日活の常務、新東宝社長を経て、大蔵映画を設立。広く一般大衆向けの作品提供を標榜し、「エロ・グロ」路線を採る事で傾いていた新東宝を立て直した。とにかく、この時代の新東宝制作作品や、大蔵映画配給の外国映画の邦題は(筆者的には)素晴らしいセンスの題名が目白押し。

 

2 チャールズ・バンドはアメリカの映画プロデューサー兼監督。1983年にエンパイア・ピクチャーズを立ち上げ、B級のホラーやSF作品をメインに制作。設立時に4、50本位の企画を発表するも、多くの企画は実現しなかった。ヨーロッパのスタジオを買収したり、住居兼ロケ地として古城を購入したりといった事で財政難となりエンパイアは五年程で倒産した。その年の内にフルムーン・エンターテインメントを設立。今でも映画を制作し続けているのは大したものである。