もうすぐ七夕だ。



私が27の歳の七夕に母は死んだ。




10年近くお母さんはうつ病を患ってて

たくさん薬を飲んでた。


どんどん笑わなくなるお母さんを見るのが辛くて実家にもあまり帰らなくなってた。




亡くなる1年くらい前から唾が止まらないと言うようになった。

たぶん薬の副作用だと思う。


それが亡くなる少し前から今度は唾がでないと言ってた。

口の中をタコに吸われてるみたい、と。




日に日にお母さんから表情が消えていって、お母さん自身がそれを1番気にしていてマスクをするようになった。

お母さん可愛くて好きだったし全然素敵だったから悲しかった。

『こんな顔でお父さんに申し訳ない』って言っていた。



亡くなる1週間くらい前にお母さんから電話がかかってきた。

『医者に連れて行ってほしい』と。


お母さんはいつも弱音を吐かなかったし、人に頼るということをしない人でいつもひとりで抱えてた。


そんなお母さんが私を初めて頼ってくれた。

今思えばそれくらい限界がきていたんだ。




実家に行ったら

『お母さんみんなに迷惑かけてる、もう死にたい』

と言われた。



姉からは時々お母さんがそんな事を言っていることは聞いていたけど、私に直接言うのは初めてだった。

私が三姉妹の末っ子だから私だけにはずっと言わないでいたんだと思う。




死にたい、と言われて私はお母さんの肩をさすって

「迷惑なんかじゃないよ、そんな事言わないで?」

としか言えなかった。

それが精一杯だった。



抱きしめてあげられなかった。

抱きしめ方を知らなかった。


大好きだよって言ってあげられなかった。




その一週間後にお母さんは自ら首を吊って死んだ。




その日、ほとんど食事もできていなかったお母さんが、お父さんに『りんごが食べたい』と言った。

その頃のお父さんはお酒も辞めてお母さんに優しくなっていた。


お父さんがりんごを買って帰ってくるとお母さんはもう息をしていなかった。



そんな姿のお母さんを見つけた時のお父さんの気持ちを考えると今でも胸が張り裂けそうになる。

正確には胸が張り裂けそうで考えることもできない。




たぶん死ぬ直前に書いたであろう小さいメモが見つかった。

『みんなにこれ以上迷惑をかけられない』


お母さんが書いたとは思えないくらいぐちゃぐちゃな字だった。




迷惑なんかじゃなかった。

初めて頼ってくれて嬉しかった。

ちゃんと伝えればよかった。



家に帰る私を寂しそうに見送る顔が最後に見たお母さんの顔。

その顔が忘れられない。



なにもしてあげられなかった。



もっと実家に帰ればよかった。

たくさん電話すればよかった。

話を聞いてあげればよかった。

抱きしめてあげればよかった。

大好きだよって伝えればよかった。






お母さんはきっと、みんなに嫌われてると思いながら死んでいった。

私はお母さんを幸せにしてあげられなかった。



お母さんの人生ってなんだったんだろう。


私はなんのために生まれてきたんだろう。






今年も七夕のお願いごとは


どうかお母さんが天国で笑っていますように。


それだけ。