私と娘がシンガポールから戻った翌日のこと。

父が朝になっても目覚めず、そして、それから10日、目を覚まさなかった。




前日、少し体調が悪いと言って寝た父。その時は肺炎を起こしていて、そして、持病の糖尿病から低血糖に陥り、寝たまま意識を失ってしまったとのことだった。




でも、奇跡は起きて…

もう目覚めないでしょうと主治医に言われたけれど、主治医の先生の予想を裏切り、父は私と姉が面会に行く1日前に、10日ぶりに目を覚ました。




主治医の先生から、驚いてます!と言われて、父は少しぼーっとしてたけど、姉を認識した時にハッとした顔をして、それから涙を流した。が、私のことは???顔が浮かんでたまーそこは二世帯で父の身の回りやってる姉に軍配です。




でも声は反応してくれて、帰り際にまた来るからね!って言ったら、おーと言うようなことを口にして、少し手を上げてくれたので、その手を姉と私で握った。




先生は、これからリハビリをやって行きましょう。すこし時間はかかるけど、良くなると思いますよと言われた…が、、




それ以降、

再び父は、ほぼ目を覚まさなくなった。




そして、次の面会の日、あの日から会っていなかった私たちは、きっと父はもっと話せるだろうと思ってた…でも、担当の看護師さんからは、あれから寝たままだと言われた。




そして、姉のところに担当の先生から連絡があり、非常に悪い状態ですと言われた。リハビリなどする状態ではもうない、と。




ここらへんが、

私たちの、心のどん底だったと思う。




翌日、姪っ子から、ママどうしたの?と、メッセージが来た。姉はどうやら、母の遺影の前で泣いていたらしい。それで心配になって連絡をくれた。




姉は、仕事中に連絡が取れない父を心配し、早退して帰り、ベッドで目覚めない父を発見し、救急車を呼び、病院へ連れて行った。




姉は仕事も忙しくて、1人で、いっぱいいっぱいになっていたのだと思う。




私も病院に駆けつけたし、病院からの連絡も受けるようにしていたけれど、一緒に住んでいた姉は、母も父のいない一階の部屋で、なにか、抑えきれない気持ちがあったのかな。




それを聞いて、私も泣いた。

つい父のことを真剣に考えることを避けてしまっていたけれど、姉の気持ちを考えると辛かった。




そして、二世帯を建てて、姉家族と両親が一緒に住み始めた頃を思い出した。あの時、両親は共にすごく元気で、新しい生活を楽しんでいた。もうあの頃には戻れないんだなと思うと、本当に悲しい。




生きていて欲しいと言う気持ちはもちろんあるし、話しをしたいし、家に帰れるなら、帰ってきて欲しいと思う。




でも同時に、父はここ数ヶ月、気分の沈み方が激しくて、母が亡くなって四年、なんとか1人で頑張ってきたけれど、寂しいというようなことや、生きてることの意味を考えるような、そんな発言もあって、




姉と私は、何が父の幸せなのか、正直分からなくて、父の様子や先生の言葉に一喜一憂しながらも、しばらくすると、本当に何が正解なのかと考え込んでしまう。




姉が父に、桜が咲いたよ…と声をかけた時、すぐに窓の外を見た父。桜、見たかったのかな?でももう、満開だった桜は青々とした葉っぱをつけている。




それから父は、目を覚ましたり、起きていたりを繰り返し、主治医から我々にできることは(治療できることは)何もないと言われ、次の病院に移るように言われた。




そこは病院ではあるけれど、療養施設で、手術などができる病院ではない。そこに移って欲しいと言われたことの意味は理解できるが、心の折り合いを付けるのが難しい。




父がもう、姉たち家族と住んでいる二世帯の、あの家に帰ることはないのだろうな。1人で起き上がることも、ご飯を1人で口から取ることも難しい。医療的ケアがなければ、今の父は生きてはいけない。




話はできるけど、どこまで理解しているのか、それもよくわからず、姉の名前と、うちの子の名前は口にしたけど、、(私と娘の名前がごっちゃになってしまってるらしい…)




だけど、会話ができるわけではなく、父が話せるのは、言葉のような言葉じゃないような、そんな言葉。長く意識を失っていた影響で脳に障害が残ってしまったと言われている。



父が見たかった桜。

私が撮ったものではない…春になる前、シンガポール行く前、戻ったら、久々に見る、満開の桜を楽しみにしていたのに。




あまり桜の記憶がない。桜が散った時に、桜をゆっくりと、見ていなかったことに気づいた。来年は、桜をどんな気持ちで見ているだろう?




今は、なんとか気持ちも落ち着いて来て、姉も私も、父が人生の最後を、苦しまずに済むようにどうしたらいいのか、冷静に考えられていると思う。




父は今、どうしたいだろう。

望むことがあるからば、その通りにしてあげたいな。母のところに行きたいなら、そうさせてあげたいと、思う。