以前、ムチウチで病院に通っていた頃、

全盲のマッサージ師の方に長いことお世話になっていた。

 

痺れや、痛みや、以前のように全く動かない自分の体の状況を受け入れたくなくて、そして、それがいつまで続くのか、全く分からなくて、もう、目の前が真っ暗だった時期だ。

不安と恐怖と憤りと、何が何だかわからなくて、マッサージをしてもらいながら、その方に話を聞いてもらいながら、何度も泣いた。

顔は見えてなくても、声でわかっていただろうな。

 

 

 

電気自動車は音がないから怖い。とか、自分の家の体重計はしゃべるから、家族に体重がバレる。とか、娘さんがバイトを始めて、心配で見に行った(その場所まで行ってしまったらしい)。とか、今日の帰りに新作のカップラーメンを買うのが楽しみだとか、そんな話をしてくれた。

 

目が見えないことを普通に受け入れて、普通に生活しているようにわたしには感じて、だからこそ、相手が全盲だからという感覚はなく付き合うことができていた。

 

その分、聴覚や触覚が、見えるわたしよりも鋭いのだろうなとも感じた。

 

できる。できない。ある。ない。

人は、凹凸があって、その人だからこそ、持ってるものやないものがあるのは頭でわかっているけれど、それを受け入れられなくて、

あるのに、他のが欲しかったり、当たり前すぎてあることに気づ気もしなかったり。

 

 

んーー何が言いたいか分からなくなっちゃったけれども、

 

平均すると、みーーーーーんな平均(一緒)なんだろうなと思う。

 

と言いたかった。

 

凹凸はあるんだけれど、それが個性で、それがなきゃ自分じゃなくて他人だし、それなのに、他人ができることができないと嘆いたり、他人が持ってるものを持ってないと嘆いたり、

 

 

文章で書くとありきたりだけれど、、、、

 

全盲のマッサージ師さん、今、何してるんだろな。

奥さんがいて、娘さんがいて、仕事があって、カップラーメンを食べるのが楽しみで、淡々と生きていて、幸せそうだったな。

また、おしゃべりしたいな。