春分の日の胎内記憶②
私が育った家は
祖父母と同居していて、農家をやっていた。
母の話によると
何にもしなくていい
居てくれるだけでいい
と言われて結婚したものの、毎日仕事づけ。
赤ちゃんの私が夜泣きをするたびに、「うるさい。どっかいけ」と父から言われていた。
私の父と母は、
よく喧嘩をしていた。
言い合い、怒鳴り合いは普通だったし、
父が母の髪の毛を引っ張って引きずったり
お茶碗をなげつけたりってこともあった。
父は私たち子供を殴ったり怒鳴ったり
なんては、普通だった。
弟は勉強しろと、鼻血が出ても殴られ続けたこともあった。
母は、疲れた。が口癖で、祖母や父や小姑の愚痴をわたしに言うのが普通だった。
そこの場所で、唯一の話がわかる自分の味方は、長女であるわたしだけだった。
わたしは、なんでこんな家に生まれちゃったんだろうってずっと思ってた。
あそこの家の子供だったら。と、幼い頃は、何度か想像を巡らせたこともある。
他の平和で、子供を大事に育てているお家がすごく羨ましかった。
子供は金がかかる
と、言われて育ったので、なんで産んだんだよ。なら、責任とって殺せ。と思ったこともあった。
だから、私はお母さんの胎内にいた頃から、周囲に気を遣って生きている母を感じ
喧嘩の声を聞きながら過ごしていた。
とばかり思っていた。
だから、この世に誕生してからは、お母さんを守らなくちゃと自分を殺して生きてきたんだとばかり思っていた。
でもそれだけじゃなかった。
もしかしたら、テレビの音だったかもしれないし、他の人の話声だったかもしれないけれど、
母の心臓の音と共に外の楽しそうな世界を感じ、聴いて、
生まれたい
と、自分ではっきりと思った。
それを思い出したら、
嗚咽が止まらなかった。
(春分の日の胎内記憶①〜④)
というわけで、
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