熊本地震 本震

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2016年4月15日(金)

 

 

熊本地震 前震

 

 

 

 

14日に起こった地震に驚きショックでなかなか寝付けず

朝方ようやく数時間寝たらぶーが起きてきました

 

 

真顔は大きめの余震で泣く右矢印抱きつくを繰り返すも

 

 

3歳児 

「地震」なんていう言葉すら初めて知った状態

 

あとはやはり子供... ぼちぼち1人で機嫌よく遊んでいました

 

 

 

おととい入園式があったばかりで、名前も覚えたての担任の先生から電話があり

 

無事かどうか、避難しているのか、自宅にいるのかなど聞かれ、とりあえず今日は休みで様子見になる

 

 

 

 

テレビでは

益城町が震源で大きな被害が出ていること

新幹線が脱線したこと

あとは熊本市内のマンションの2棟をつなぐ金属の板が分断されている映像が

繰り返し流れていました

 

 

 

とりあえず何をしたらいいのか、何をすべきか...

考えるけど

寝不足とショックでボーーーーっと頭は働かない

 

 

キッチン上に1つだけガラスのデザートグラスが割れているのを見つける

 

 

え??

なんでこんなところで割れてるの??!

 

 

 

後ろの食器棚から約1m30cm飛んできて、ここに着地した際に割れたもよう

 

そうか...

とりあえず、大事な器だけでもしまおう

 

 

新聞紙で包む時間は勿体無い気がして、引き出しにプチプチやキッチンタオルをかませながら入れたり、残りは大胆にも衣装ケースの洋服の間にどんどん入れていった

 

 

 

 

あとは、棚やテレビ台から落ちたら壊れそうな

花瓶や写真立て、音楽の機材関係、トースターなどさっとおろせる物はとりあえず床に置いた

 

 

昼過ぎにスーパーに行ってみた

人も多く、水を箱買いしている人もいた

 

 

防災の知識も経験もないので、正直何を買ったらいいかもよくわからず

カレーやカップ麺類、日持ちしそうな菓子類も買ってみる

結局本震後、菓子類なんて食べる気にもならず役に立たなかった

カップ麺も余震の嵐の中お湯を沸かすのが怖くて食べず...

最後は結局コメだな、と痛感。コメが生きる力になる

 

 

 

念のためお風呂に水を張り

フタをしていたのに本震後洗濯機のところまで揺れで水が飛び散ってきていた

 

 

恥ずかしながら今まで用意したことがなかった

避難リュックを準備した

夜は肌寒いのでとにかく寒さをしのげるような小物類(靴下や手袋、首に巻くもの-タオルで代用)、水、少しの食料、貴重品を入れた

 

 

 

夕方余震が小さくなってきて、間隔が空いてきた

 

きっと誰もがこのままこんな風に余震は小さくなって減っていくものだと思っていたと思う

 

 

 

怖いのでさっとそれぞれシャワーを浴び

夕食を済ませる

 

 

 

ご飯を多めに炊いておにぎりを作った

明日の朝食べるにしても、とりあえず今夜はリュックに入れておけばいいかと思い、そうした

まさか外で食べることになるとは...

 

 

 

寝室に、1つ子供の絵本棚だったカラーボックスを置いていたので

それが万が一倒れると私の頭に倒れてくる場所にあったので、布団をずらし床が傷つかないようにタオルケットを敷いた

本震後、見事に倒れて本が散乱していましたあせる

 

 

そして、私は万が一のために枕元には懐中電灯とスマホを置き、

ニコの横で同じ布団で寝たのが23時頃だった

 

 

 

 

 

 

 

そして16日(土)

 

 

 

 

家族3人並んで寝ていました

 

 

 

 

 

グラン

 

 

 

いきなりの大きな揺れ

 

 

 

その瞬間に全員目が覚めた

 

 

スマホの警報は鳴ったに違いないが、直下型地震なので揺れが先に始まったと思う

警報を止めたことも鳴ったことも全く覚えていない

 

 

 

 

とにかく揺れる

文字にするのは難しいけど、もはや

グラグラグラグラのレベルではない

 

 

 

マンションごと横に

 

 

 

グワァン グワァン

 

 

と揺らされる

 

 

 

ショックは私たちの間で目を開け硬直している

 

 

 

 

 

え?

 

 

え??

 

 

これ、余震???

 

 

 

 

グワァン グワァン


 

こんなに大きい建物がこんなに揺れるって...

 

 

 

え??

 

 

 

 

グワァン グワァン

 

 

 

長く

 

激しく揺れ続けます

 

 

 

隣の部屋でカシャーン、カシャーンと食器が割れる音がしたのを覚えています

 

 

 

 

グワァン グワァン

 

 

 

揺れる

 

 

 

コワイ!!

 

 

コワイよ!!

 

 

 

 

こんなに大きな建物がこれだけ揺らされるってどんな力...⁈

 

 

潰れたらどうしよう

天井落ちてきたらどうしよう

 

 

 

ていうか

 

 

潰れたら、絶対私たち死ぬよね

 

 

 

え、

 

もしかしたら死んじゃうの??!

 

 

 

途端に恐怖がこみ上げてきました

 

 

 

 

一旦揺れが止まります

 

 

 

みんな固まって...

 

一瞬シーーーンと静まりかえります

 

 

 

当時マンション前では大きなビルが建設中で、アームを伸ばせば30mもあるような巨大クレーン車がベランダの目の前に止まっていました

(前震でアームはたたんでねかせてましたが)

 

 

 

そのアームに金属のロープが

 

 

カァーン  

 

カァーン  

 

カァーン

 

 

 

と規則的に当たる金属音と

 

工事現場の警報音が鳴り響いています

 

 

 

 

 

私、

 

身をかがめたまま

 

「ね、ねぇ....   今のどう考えても最初のより大きかったよね?」

 

 

夫がうなずきます

 

 

 

 

すると

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴゴォーーーー

 

 

 

 

地鳴りがして

 

 

再び大きく揺れ出します

 

 

 

また揺れるーーーーーー!!

 

 

恐怖しかありません

 

 

 

ねぇ!!

もう外に出よう!!! 

崩れてきたら

死ぬってっ!!!

 

 

 

夫に言いました

 

 

その地鳴りを聞いて

 

 

 

ち、地球が怒ってる...

 

 

 

そう思ったのを覚えています

 

 

 

 

夫は

 

「揺れてるからまだ今外に出れんよ、危ない!」

 

 

 

危ないって...??

 

今この瞬間崩れてきたら死ぬのに??

 

 

 

 

大きな揺れの後は、

 

 

 

シャシャシャシャシャーン

 

 

 

と、まるで人間がブルブルっと身震いするときみたいに

 

 

地球が身震いするような、ズレたプレートを調節するかのように小刻みな揺れが長くありました

 

 

 

 

夫を見ます

 

 

「行こうよっ!!」

 

 

 

ここで初めてリビングに移り、懐中電灯で照らしながら子供に靴下をさっとはかせ

 

赤ちゃんの時から使っているベビー毛布で肩をおおい

 

 

「大丈夫よ、大丈夫だからね!外に行くからね」

 

 

と平静を装い、声をかけます

 

でも声は震えていました

 

心臓もバクバクしています

 

 

 

 

ここで限界に達したショック

 

 

うわぁーーーーーーーんえーんえーんえーん

 

 

と泣き出します

 

 

「鬼さんコワイーーーーーー!!」

 

 

 

 

え??!鬼???

 

鬼さん、いないよ!大丈夫よ!

抱っこしていってあげるからっ!!!

 

 

 

 

避難バッグは夫が背負い

 

私は毛布ごと子供を前に抱き、

 

 

バッ

 

 

と玄関を開けます

 

 

すると、横の家族も

 

階段で降りると下の家族も

 

同じタイミングで避難開始しています

 

 

「大丈夫ですかっ!」

 

 

互いに声を掛け合いながら階段を駆け下りました

 

 

 

 

 

すぐ近くの学校の運動場に避難しました

 

体育館の安全が確認できないので、何百人という人が運動場で避難しています

 

 

親も合流

一緒にいた方が何かと安心です

 

 

そして、友達とグループラインで

 

〇〇に避難している

子供と車中泊する

 

とそれぞれの避難場所と無事を確認

 

 

 

その中の1人が

 

「生きようね!!」

 

とみんなを励まします

 

 

 

恐怖と

 

子供を守れるのかという不安と

 

とりあえずは外に出て、この後ものすごい地震でこの運動場に地獄のような地割れが起きさえしなければとにかく明日までは生きられる!

 

というよく分からない束の間の安堵感とで

 

涙が溢れてきました

 

その言葉が力になりました

 

 

 

 

 

それから私達は1週間、避難所にいさせてもらいました

 

余震がすごく、2度もあったのでまたもっと大きい地震がくるんじゃないか、とみんなそれが一番不安だったと思います

 

いつでも飛び出せるように、夜もずっと子供と共に靴を履いたまま寝ていました

 

 

 

 

 

 

あれから2年

 

短いようで、やっぱり長かったかな

 

私たちのように、家も仕事もある人たちは少しずつ復興していく街とともに進んでいることを実感できます

 

 

でも、

 

家を失った人

 

職場がなくなり仕事を失った人

 

今から再建なんてできないお年寄り

 

 

そして

 

命まで失わなくてはいけなかった人たちと残された家族

 

そういう人たちに思いを馳せ、想像して、決して忘れていないよ、と

 

できることは微力かもしれないけど

 

いつもそう思っています

 

 

 

そして

 

 

全国の人たちからの支援も忘れません

 

全国どころか、海外に住む友人たちも募金活動してくれたりしました

 

親のマンションの部屋は、本震でもうそれはそれはひどいことになりました

 

ありとあらゆる棚は倒れ

 

リビングダイニングに下げていたガラスシェードの3つのランプは、本震で

 

ブンブンと振り子のように揺れ、天井に当たって全て砕け散ってしまいました

 

 

ずっと大事に集めてきた思い出の詰まった食器も全て割れてしまいました

 

 

でも、ペットも親も命は助かりました

 

その片付けを高齢の親だけではできないから、全国から来ていたボランティアの方達に手伝ってもらいました

 

親のところには東京と名古屋から4人の方達が来てくれました

 

あれだけ余震があっていたのに、本当にたくさんの方達が来てくれたことが今でも信じられません

 

 

 翌日から順次各都道府県の名前の入った救急車や消防車が到着して町中を走り回ったり、

 

 

避難所には派手な柄の入った大型トラックが、物資を届けてくれカタギ風のお兄さん達はお礼を言っても恥ずかしそうに目をそらしてまた去っていくのです

 

 

 

うちのガスを開栓しに来たのは、大阪ガスの応援の人でした

 

 

こちらは丸1週間洗髪できてない出で立ちで、緊張の面持ちで開栓の作業を見守っていると

 

 

築浅なので

「おしゃれなガステーブルですね〜」と関西のイントネーションであえて地震とは全く関係ない話題でふと和ませてくれました

 

 

保険会社の査定に来た応援の人も阪神淡路大震災を経験した神戸の人で、強面だったので緊張しっぱなしでしたが、

 

最後に「分かりますよ、怖かったでしょう。僕も神戸なんで」とポツリ

 

 

 

 

 

今年のオリンピック後に小平奈緒さんの特集で

 

   永遠に

生きるように 

学べ

 明日死ぬように 

生きろ

 

 

という言葉を見ました

どうやらガンジーの言葉のようですが、胸に響きました

 

 

 

思いもしないことが突然降りかかる

 

現実にありました

 

明日は、死んでしまうかもしれない

 

今日を絶対後悔のないよう、1日1日を大切に生きたいです

 

 

 

子供を叱ってしまうことも当然あります

大人気なく喧嘩することもあります

 

でも、あの日以来

絶対に次の日に持ち越さないようにしています

 

お風呂で、寝る前に布団で、

必ず仲直りするようにしています

叱りすぎたら、ごめんねと謝ります

まだまだ未熟な母ですがあせる

 

 

 

 

 

感謝の気持ちを忘れず

 

前を向きつつ

 

後ろも振り返りながら、寄り添いながら

 

生きていこうと毎日を過ごしていますおねがい

 

 

 

 

 

 

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地震から5ヶ月後

東北から熊本城にきてくれた復興ねぶた

観光地も映画館もどこもかしこも被害で閉まっていて、地震以来初めてといっていい娯楽

周りをふと見るとみんな久しぶりに笑っていて、本当に励まされました

 

 

 

 

 

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ちょうど1年前 (2017年4月)

ブルーインパルスもきてくれました
下ばかりも見ていられない
これでもか!という晴天の中、上を見上げて元気をもらいました