昨日の兵庫県知事選挙で、新しいリーダーが誕生しました。

新知事は、私と同い年なんですねえ。

 

 

今回は、私の一票が報いられてうれしい!

 

北海道や大阪では、若い知事さんが活躍されています。

兵庫県もそうあってくれることを願います。

 

投票率は41.1%ですって。

 

なんとか4割超えたから、まあいいのかな。

せめて5割は越えてほしかったけど……

棄権する人の方が多いのは残念ですねえ。

 

そして毎回わいてくる謎。

 

なんで開票率ゼロ%で、当確が分かるのだろうって(^_^;)

出口調査で嘘つく人だっているでしょうに。

 

嘘回答を加味しても、一定数のサンプリング調査で、

全体の傾向が高確率でわりだせる計算式があるのだろうけど。

数字が苦手な私は、選挙のたびに不思議でたまりません。

 

 

現代日本の選挙制度は、「民意」を重んじます。

 

だから日本国籍を有していて、一定の年齢であれば、

基本的にはだれでも立候補できるし、投票できる。

 

身分、性別、収入、いっさい関係なし。

有権者はだれでも一人一票です。

 

当選者は、多数決できまる。

「民意 = 多数派」という前提があるんですね。

 

大日本帝国時代の選挙制度に比べれば、

現代の方が、神様の御心にかなう選挙制度だと思います。

 

ただ、多数決ベースの民意が、

正しい結果につながるとはかぎらない。

多数の民意が、神様の御心と一致しているかどうかは、怪しい。

 

イエス・キリストは、賛成多数で十字架刑になりました。

 

ユダヤ宗教者も、寄せ集めの民衆も、

こぞってイエスを十字架刑にしろと騒いだ。

 

裁判官のポンテオ・ピラトは、イエスの無罪を主張したけど。

多数決ではピラトの勝機はゼロ。

 

民意を重んじたピラトは、イエスを十字架刑にしてしまいました。

 

その結果、2000年後の現代にいたってなお、

「イエスを苦しめたポンテオ・ピラト」として、

世界中のキリスト教会でピラトの名が復唱されることになりました。

 

多数決の民意が正しいとはかぎらない。

少数派の民意も、聞くべき内容ならば、しかと聞くべきですね。

 

 

新約聖書の『使徒言行録』では、

使徒の補欠選挙がおこなわれます。

 

イスカリオテのユダが自殺しちゃったから、その補充。

急いで補充しなくても、欠員のままでもよかったと思いますが。

ペテロはこう主張します。

 

 

 そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、

 つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、

 わたしたちを離れて天に上げられた日まで、

 いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、

 わたしたちに加わって、

 主の復活の証人になるべきです。

 

 ――新約聖書 『使徒言行録』 1章21、22節

 

 

ペテロは、使徒の条件をこう定めています。

 

・ 主イエス、および12使徒といつも一緒にいた者

・ 主の復活の証人になれる者

 

いくら才能があって、性格が良くて、信仰熱心でも、

主イエスのリアルな生き方を知らない者はNG。

 

キリストの使徒は政治的リーダーではない。

「主の復活の証人」なんですね。

 

だから、

イエスの奇跡を信じていても、

イエスの復活を信じない者はNG。

 

現代におきかえるなら、

「霊的にイエス・キリストと出会った人」となるでしょうか。

 

現代人で、生身の人間イエスと出会った人はいません。

イエスの生まれ変わりを自称するのは10000%詐欺です。

 

しかし「復活の主イエス・キリスト」と、霊的に出会うことはできる。

イエスとの霊的な出会いを、「聖霊の満たし」などと表現する。

 

いくら神学校で優秀な成績をおさめても、

神学の大家としていくつもの研究成果をあげたとしても、

復活のイエスと出会っていないなら、ただの宗教教師でしかない。

 

宗教教師は、「聖書の説明」はとても上手です。

しかし現実世界の荒波にもまれて苦しむ人に対しては無力です。

苦しむ人に語れる神のメッセージをもっていない。

 

本人もそれをわかってるからか、宗教業界の外に出たがらない。

それでも宗教者としては大成できるかもしれません。

 

しかしイエス・キリストとの出会いは、ごく個人的な事件です。

マニュアル化はできない。

人間のテクニックで引き寄せるものではない。

 

キリスト教会で洗礼をうけたら聖霊に満たされる……わけがない。

洗礼儀式にそれほどの力があるなら、いまの欧米世界は

愛と平和に満ちたヘブンランドのはずです。

 

↑日本人は、この事実を冷静に見ているから、

なかなかキリスト教が根付かないのだと思います。

 

私は、「福音伝道」という言葉が好きではありません。

 

他人に伝道する前に、まず自分が福音を生きるべきです。

そうでなければ、福音はワンオブ思想哲学になってしまう。

 

福音思想の伝播ではなく、

福音的な生き方の伝播を。

それには、まずイエス・キリストと出会うこと。

 

すごい人と出会ったら、嫌でも感化されて、

自分が変えられていきますよね。

 

イエス・キリストは、究極のすごい人です。

イエスと本当に出会ったら、変わらずにはいられないはずだから、

強引な説得、勧誘などは不要だと私は思ってます。

 

 

2000年前に、キリストの使徒の欠員補充を望んだ一同は、

2人の候補者を立てます。

 

 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、

 マティアの二人を立てて、
 
次のように祈った。

 

 「すべての人の心をご存じである主よ、

 この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。
 ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、

 使徒としてのこの任務を継がせるためです。」

 

 二人のことでくじを引くと、

 マティアに当たったので、

 この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。

 

 ――新約聖書 『使徒言行録』 1章23-26節

 

 

使徒をくじ引きで決めるんかい!!

そんな決め方でええんか?

 

ツッコミどころ満載の選挙制度ですね。

 

しかし、よく注意してほしい。

 

使徒の候補者を2人立てています。

 

立候補制ではない。

一同の賛成多数で選ばれた候補者です。

 

だから、2人の候補者、どちらが選ばれても、

一同の民意はしっかり反映されているのです。

 

現代日本の立候補制だと、

目立ちたがり屋の泡沫候補が乱立したり、

資金力と知名度のある人が圧倒的有利になります。

たくみな宣伝をすれば、民意はかんたんに買収できます。

 

そう考えると、2000年前の使徒選挙制度のほうが、
より神様の御心を反映できている気がします。
 
2人の候補者、甲乙つけがたくて、
どちらが選ばれても異存はない。
 
そういう場合は、くじ引きで決めるのが、もっとも公平ですね。
人為が入らないからね。
 
くじ引きの前に、一同は神様に祈っていますね。
 
すべての人の心をご存じである主よ、

 この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。

 
くじ引きという手段は、原始的で、いい加減に見えますが。
「神様がくじを選ぶ」という前提がある社会だから、それでいいんですね。
 
 
 くじは膝の上に投げるが
 ふさわしい定めはすべて主から与えられる。
 
 ――旧約聖書 『箴言』 16章33節
 
 
旧約聖書でも、大事なことをくじで決める場面があります。
土地の分配について。
犯人のあぶりだしに使われたこともある。
 
現代の警察が、くじ引きで真犯人を決めたら大変です。
しかし捜査能力の低い古代社会では、
真犯人を心理的に追いつめて自首させるために、
くじ引きという神聖儀式が有効だったのかもしれない。
 
くじ引きとよく似た、おみくじ、占いも、
本来は神託をあおぐツールです。
エンタメ消費財ではない。
 
ただ、占いは、占いそのものに心を奪われてしまって、
かんじんの神様から心が離れる結果になりがちです。
 
占い道具が、神になりすました邪霊にのっとられる。
占い道具が神格化されてしまう。
占いをするシャーマン自身が神として崇められてしまう。
現代でも事情は同じ。
 
占いはただのツールです。
 
でも人は、目に見えない神よりも、
目に見える占いを崇拝してしまうから、
神様は占いを禁止したのだと思います。
 

ルーン魔女として、実際に起こったこととして言いますが、

まことの神様は、占い道具をいつでも自由に乗っ取れます。

わざとでたらめな結果を表示させることもできる。

占い道具をとおして、

「占いを手放して神に従え」というメッセージを出すこともできる。

 

人気占い師! 稼げる占い師!

という立場にいる人は、何らかの理由で、

神様に泳がされているだけです。

肥やしてから屠る……くわばら、くわばら。

 

古代ユダヤ人が、神意を尋ねるためにくじ引きをしたのは、

神聖儀式として、神様に祈ったうえでのくじ引きです。

娯楽ガチャ感覚でくじ引きをしてるのではない。

だからOKなんだと思います。

 

 

 

 

多数決の民意が、神意と一致しているならそれでいい。

でもそうではない場合もたくさんありそうです。

 

神様の御心を知りたい。

神意を知りたい。

 

ならば、神様ご本人に祈るしかないなあと思います。

自称神の代理人や、天使などに祈ると間違う。

スピリチュアルメソッドや占いに頼るのも違う。

 

本物の天使は、人間から崇拝されることを厭う。

ヨハネの黙示録では、天使を拝もうとしたヨハネを、

天使がとがめます。

 

 

 ……わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。

 すると、天使はわたしに言った。

 

 やめよ。

 わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、

 この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。

 神を礼拝せよ。

 

 ――新約聖書 『ヨハネの黙示録』 22章8、9節

 

 

人間に崇められてヘラヘラしてる天使は、天使じゃない。

天使のなりすましです。

 

神様の御心は、天使や代理人ではなく、

神様ご本人に直接お聞きしましょう。

そのためには、神様に心を向けて祈るしかないです。

 

神様に祈った結果、

天使がメッセージを伝えてくれることはあります。

しかしいきなり天使に祈るのは順序を間違ってます。


すべてを益として働かせてくださる神様に信頼して、

各人がなにをなすべきか、祈り尋ねる。

 

選挙でもなんでもそう。

人の想い、考えは、不完全なものだから。

 

多数意見を信用しすぎないで、

まず神様に祈り尋ねる習慣をきっちり身につけたいです。

 

 

 

なお、個人の生活において、

神意を知るための、もっともかんたんな方法は、

 

「わたしは神様の前でも、堂々とそれを選択できるか?」

「いっさい言い訳をせず、

 どんな結果になっても受けいれる覚悟があるか?」

 

と自問することです。

 

ちょっとでも迷いを覚えたなら、保留した方がいいですね。

 

 

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 

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