正月の2日に、アラビア語聖書を読んでいて、

個人的な大発見をしました。

 

私の20年来の謎が解けました。

やっと辻褄が合って、すっきりした!ヾ(*´∀`)ノ

 

これだけでもう、

今年の大仕事を全部やり終えた満足感があります!

私の2021年は2日で満了!

2022年もよろしくお願いします。

 

ヨハネ福音書15章の冒頭、

イエスの言葉です。

 

日本語聖書では、

 

 わたしはまことのぶどうの木、

 わたしの父は農夫である。

 (ヨハネ福音書 15:1)

 

たぶん世界中のどの言語でも、

同じ翻訳になると思います。

 

しかしアラビア語訳で読むと、言語の特性ゆえ、

「ぶどうの木」に「高貴」という意味が掛けられます。

 

 

「ブドウの木」というアラビア語のベース(語根)は、

K R M という3つの子音です。

 

語根KRMは、ブドウ酒、ブドウの木という意味もあるけれど、

「高貴、寛大、親切、やさしい……」

という意味で使われる方が多いと思います。

 

アラブ圏の人名、カリム、カリーム、カリーマ……のスペルはKRM。

カリームさんは「高貴さん」「親切さん」。

 

で、ヨハネ福音書15章で、イエスが自己紹介している、

「わたしはまことのぶどうの木……」を、

アラビア語の語根で読むと、こういう意味になる。

 

 わたしはまことのブドウの木であり、

 まことに高貴な者である。

 

 そしてわたしの父は

 高貴をはぐくむ農夫である。

 

イエスの言葉はさらに、

「わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である……」

と続きますが。

 

木と枝のたとえ話をしたいだけなら、

ブドウの木じゃなくてもいい。

イチジクの木やオリーブの木と言ってもいいはず。

 

イエスは、わかりやすい例として

「ブドウの木」と言っただけでなく、

「真実に貴いもの=神」という意味も

掛けたのかなと思いました。

 

新約聖書はギリシア語で書かれてますが、

実際のイエスと弟子たちは、古アラム語で話してたんですよね。

 

古アラム語は現在使われてませんが、

同じ中東系の言語として、

ヘブライ語とアラビア語は、アラム語に近いようです。

 

もしかしたら、イエスが使ったアラム語の「ブドウの木」も、

「高貴、寛大……」と同じ語根だったかも?

 

私は聖書アラム語を調べるほどの根性はないから、

もしかしたら、と仮定するしかできないですが。

 

 

【追記 2021/01/06】

ywrqaさんが、アラム語系聖書と古事記で

↓目からウロコな解き明かしをしてくださいました! 感謝!(^^♪

 

 

これはとっても重要なことなんだけれど。

私の今回の発見が、

私の勘違いであってもいいんです。

 

「イエスはまことのブドウの木であり

 まことに高貴な者=神である」

 

という二重の意味で受け取れば、

イエス・キリストの言葉が立体化して、

イエス・キリストとより深くつながれます。

 

私は聖書教師でも研究者でもないから。

 

私の聖書の読み方が、

学術的には間違っていても、

それによって神様との絆がいっそう深まるなら、

神様と私の関係においては、それが正しいと思ってます。

 

もちろん、あなたには正しくないかもしれないから、

私の言うことを鵜呑みにしないで、

参考意見として聞いといてほしいです。

 

 

アラビア語でこの個所を読んだとき、

日本の神「大己貴/オオナムチ」がとっさに浮かびました。

 

私を神道、古文、日ユ同祖論の世界に導いてくれたのは、

大己貴神です。

 

いまから20年前、2000年11月23日、

大己貴神を祀っている某神社の境内で、

私の心(?)にイケメン神様の声と姿があらわれた。

 

そこの御祭神が大己貴神だったから、

「この神様は大己貴神?」と私は思ったわけですが。

 

その日から、私は霊的な存在といろいろ話をするようになりました。

その日を境に、私はふつうの生き方レールから外れる道を選びました。

 

それはアンタの妄想でしょ?

アンタの頭がおかしいだけでしょ?

 

そうだよね。

 

私も最初はそう思った。

いまもそういう疑いは常にある。

悪霊にだまされてるリスクもある。

 

しかし大己貴神と出会った結果をふりかえるならば……

 

間違いなく、「良い実」を結んでいます。
 
イエスは言いますよね。
 
「良い木は良い実を結ぶ。
 悪い木は悪い実を結ぶ。
 実を見れば、木の良し悪しがわかる」
 
20年前の大己貴神という木の正体がわからなくても、
大己貴神に導かれた結果が良いならば、
それは良い木にちがいない。
 
大己貴神の正体を知りたくて、
それまで興味がなかった神道を調べる過程で、
日本の古文、文化、習俗の面白さに気がついた。
日ユ同祖論を知り、旧約聖書は日本文化のルーツだとわかった。
 
それは悪いことでしょうか。
私には、とても良いことだったと思ってます。
(途中でスピリチュアルに傾倒したのは、私の身勝手です。)
 
この20年間、大己貴神の正体がわからなくてモヤモヤしてた。
だから毎日尋ねてきました。
「あの大己貴神は、いったい誰だったんでしょうか?」 
 
その答えが、アラビア語のヨハネ15章1節をとおして与えられました。

 

 わたしはまことのブドウの木

 わたしはまことに高貴な者

 わたしは大己貴
 
この、足長おじさんの正体わかった的な感動は、
誰にも通じないと思うけど、それでいいです。
私の中では、20年越しの謎が解けてハレルヤなのです!!
 
大己貴(オオナムチ)には、
「大名持」という表記もあります。
大いなる名を持つ神……
 
「わたしはまことのブドウの木」と語ったイエスの話は、
さらにこう続きますね。
 
 あなたがたがわたしを選んだのではない。
 わたしがあなたがたを選んだ。
 
 あなたがたが出かけて行って実を結び、
 その実が残るようにと、
 また、わたしの名によって父に願うものは
 何でも与えられるようにと、
 わたしがあなたがたを任命したのである。
 
 ――新約聖書 『ヨハネによる福音書』 15章26節
 
イエス・キリストの御名によって、神に祈る。
そうすれば何でも与えられる。
 
それはすごいことだ。
だからイエス・キリストは「大名持/オオナムチ」だと、
古代日本人は感じたのかな。
そうやって神を称える名前がひとり歩きして、
八百万柱の神が存在するかのような勘違いをひきおこしてるけど。
 

日本神話で大己貴が少彦名(医療神)とペアで登場するのは、

イエスの病気治しエピソードの反映なのかな。
 
他にも日ユ同祖論的にいろいろ思いましたが、
マニアックすぎるから今回はパスします。
 
キリスト教一筋の人からすれば、
神道、日ユ同祖論は邪道かもしれませんね。
要らない人には、要らないのだと思います。
 
しかし私にとっては、
神道、日ユ同祖論の要素を欠いたキリスト信仰は、
欧米文化のうすっぺらい真似事にしか見えません。
 
欧米文化の劣化コピーみたいなキリスト教はお断りです。
御利益乞食になりさがった神道も要らないです。
 
Anno Domini 主の年2021年。
 
20年前の大己貴神の正体は、
まことのブドウの木であるイエス・キリストだとわかった、
本当に喜ばしい年の始まりになりました。
 
これからも、王の王、主の主、
まことの大国主イエス・キリストに連なる枝として、
まことの神道を歩ませてください。
 
まことのブドウの木である主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 

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