前回の続き → 寝食時間は聖なる時間 … 命の基本をおろそかにしてはならない

 

【今回のもくじ】

 

・ 心を縛る宝物……
・ 真の神のみを神とする
・ とはいえ、ものには順序がある
・ 心の弱い者はさいわいである
・ 真剣に求めれば、与えられる

 

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■ 心を縛る宝物……

 

今年の元旦に、神様から答えをいただきました。

 

 寝食時間を聖としなさい。

 それが習慣づくまで わたしはこの手をゆるめない。

 次の仕事も与えない。

 

というわけで、食事時間が来たらアラームが鳴るようにしたのですが……

「食事時間を聖とする」これがうまく守れない~((+_+))

初日から12日連続黒星です……

 

アラームは守れる。

アラームが鳴ったら、何をしていてもそこで中断して、

キッチンで食事の支度をし、食事をする。

これは意外にも、初回からかんたんに実践できている。

 

問題は、食事の後。

 

私は食事の最後の一口を食べた瞬間に立ち上がり、

食器をシンクへ運んで皿洗いを始めてしまう。

最後の一口をモグモグしながら皿洗いをして、飲み込んだらゴチソウサマと言う。

 

この一連の動作を、すべて無意識にやってしまってる。

……ということに、はじめて気がついた次第。

 

ちゃんと最後まで飲み込んで、ゴチソウサマと言ってから立てばいいのに。

どうしてもゴチソウサマを言う前に、無意識に皿洗いを始めてしまう。

皿を洗いながら、「あっ、しまった、また食事の最後で立ってしまった」と気づく。

 

お行儀が悪いですね。

 

でも、神様は、私のお行儀の悪さを改善するという、

表面的なことを望んでいるのではなかったのでした。

 

どうしてそういう悪癖が身についてしまったのか、

その根っこにあるものを探っていくと……

私の心を縛っている観念にたどりつきました。

「私は身体が弱いから○○できない」という、年季の入ったネガティブ観念です。

 

どういうことかというと。

 

食事を終えたとたんに、私の目の前の食器は、

さっさと洗って片づけるべきものとなります。

どんなことであれ、私は片づけるべきタスクがあると落ち着かないので、

一刻も速くそれを処理してしまいたい。

 

どうしてそれほどせっかちに処理したがるのかというと、

後からやろうとした時に、体調が悪くて片付けられないリスクがあるから。

 

体調不良の予定日時がわかればいいんだけど、そうもいかないから、

だったら体調が良いうちに、片づけるべきタスクはできるだけ前倒しでやってしまいたい。

 

学生時代の夏休みの宿題も、7月中にほとんど全部片づけるタイプでした。

毎日少しずつやるという計画を立てたって、体調が悪い日はそうもいかないから、

だったらやっぱりできるうちに、できるだけ速く一気に片づけてしまいたい。

 

仕事を選ぶときも、選択基準は「私の体力で続けられるかどうか」です。

やりがいや給与などは二の次です。

だって、身体が資本、身体がついてこなければどうしようもないでしょ。

で、そういう仕事の選び方をするから、仕事にはコミットできないし、楽しくない。

身体を壊さずに最低限の生活費が稼げれば御の字だとしか思っていない。

 

この、「私は身体が弱いから……」という観念が、

今も私の生き方の第一の基準となっていて、

しかも大きな足枷になっているのは間違いないです。

 

神様は、私のこの観念を取り除いて、癒したいと望んでおられるのですね。

 

それにはまず、私がそれを自覚しなくちゃいけない。

この観念が、私の心を支配する宝物になってしまっているという事実の自覚。

 

イエスが山上の説教で、宝物(富)について、こう語っています。

 

 あなたがたは地上に富を積んではならない。

 そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、

 また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。

 

 富は、天に積みなさい。

 そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、

 また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

 

 ――新約聖書 『マタイによる福音書』 6章19-21節

 

一般的には、地上の金品への執着をいましめる説教として読めばいいのだけれど、

イエスがいう「富」は金品だけでなく、精神的価値のあるものも含むと思います。

 

なんらかの観念、習慣、儀式、文化など、無形のものでも、

そこに「あなたの心もある」という状態なら、それがその人にとっての「富」です。

 

私の場合は、「私は身体が弱いから……」という観念が私の心を支配しているから、

その観念が私の地上の富、宝物ということになってしまっている。

 

ベツレヘムの星を追って来た東方の三博士は、宝物をイエスに捧げたとあります。
 
この宝物は、当人にとっての宝物です。
物品とは限らないし、金銭的価値のあるものとも限らない。
神をさしおいて当人の心をひきつけ、心を奪っているあらゆるものが「地上の宝物」。
 
私がイエスに捧げるべき宝物は、
「私は身体が弱いから……」という観念なのですね。
この観念が、私と神様とを隔ててしまう「罪」でもあり、神様の恵みの邪魔をしている……
 
 
■ 真の神のみを神とする
 
神ヤハウェをさしおいて人の心を支配するものを、
旧約聖書では「偶像」または「バアル」とよんでいます。

 

私は「身体が弱いから○○できない神」の奴隷になってしまっています。
でも、そんなしょぼいバアルに支配されるのはもう嫌です。
真の神にのみ従いたいです。
 
モーセ十戒の冒頭、
 
 わたしは主、あなたの神、
 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
 
 ――旧約聖書 『出エジプト』 20章2-3節
 
旧約聖書の「エジプト」は、真の神をうけいれない生き方のシンボルと考えてください。
諸々の偶像に縛られて苦しむエジプトから、魂を解放してくれるのが神。
真の神のみを神と認めて従うのが、モーセ十戒の大前提。
 
またイエスも、『申命記』を引用して、もっとも重要な神の掟はこれだと語っています。
 
 第一の掟は、これである。
 『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、
 あなたの神である主を愛しなさい。』
 
 第二の掟は、これである。
 『隣人を自分のように愛しなさい。』
 
 この二つにまさる掟はほかにない。
 
 ――新約聖書 『マルコによる福音書』 12章29-31節
 
まず第一に、唯一の主である神を愛しなさいと。
隣人愛はその次。
(神を土台としない隣人愛は、人間的な偏愛か、不毛な犠牲をするだけに終わる)
 
心を縛っている観念=偶像を自力で取り除くのはたいへんむずかしい。
少なくとも私にはどうやってもそれができない。
 
でも、やっと神様にコミットできはじめた昨年秋ごろから、
長年のつっかえが取れはじめた実感があるから(枕無で寝ただけで背骨痛が消えたり)
 
ひきつづき、神様に信頼してお任せしようと思います。
「真の神を第一としたいです、それを阻むものを取りのぞいてほしいです」
という願いは、必ずかなえられるはずです。
 
■ とはいえ、ものには順序がある
 
「ネガティブな観念、悪習慣などを手放しましょう」と言うのはかんたんです。
誰だって、そうしたいに決まってます。
 
でも、なかなか自力ではそれを実現できませんね。
それを実現するためのメソッドは無数にありますが、
それでうまくいったかと思ったら、また別の偶像が浮上してきてしまいますね。
 
ものには順序があるんですね。
 
まず当人の自覚がいります。
心を占領している宝物、偶像を手放し解放されたいと心底願う必要があります。
 
そしてここが重要なのですが、
宝物、偶像を手放した後に生じた心の空白を、真の神で満たしてほしい
と祈ることが必須です。
(祈り方は自由、真の神に対して心でそう願うだけでよい)
 
そうしないと、悪観念Aを撤去した後に、悪観念Bが入り込む……
というループからは解放されません。
 

 汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。

 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。

 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。

 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て

 中に入り込んで、住み着く。

 そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 11章24-26節

 
マグダラのマリヤは、7つの悪霊に憑かれていたのを、イエスに救われたとあります。
彼女は心の空白を満たしてくれる神を見失っていたために、
諸々の偶像A、B、C……をとっかえひっかえして心を満たそうとしていた人であり、
今もそういう状態にある人のシンボルだと思います。
 
真の神を受けいれる(受けいれたい)という願いなしには、
根本的な解決はえられないです。
マグダラのマリヤは救いを望んで、イエスをメシアとして受け入れたから、
7つの悪霊を祓ってもらった後もリバウンドすることはありませんでした。
 
不本意にも私の宝物になってしまっている観念「身体が弱いから……」というのも、
前々から私の足かせになっている悪霊なのだという自覚はありました。
この観念から解放されたいという切なる願いもありました。
 
それでも私がこの観念を手放せなかったのは、
その観念を吹き払ってくれる光が見つからなかったからです。
 
スピリチュアル本や自己啓発本を数百冊……もしかしたら千冊以上を読みあさり、
いろんなワークやメソッドに首を突っ込んでみましたが、ダメです。
たしかにイイコトもたくさん言ってくれますが、一時しのぎの栄養ドリンクと同じです。
いずれも私が心底頼れる土台にはなりえず、心がモヤモヤするばかりです。
 
宮本武蔵のように、「神仏は尊し、されど頼まず」と言いきれる人なら、
自分の強さを頼みとする自力救済もできるかもしれません。
 
しかし私のように心身ともに弱い者は、宮本武蔵の真似はできません。
真の神を命の土台として受け入れない限り、
自分を縛ってしまっている諸々の偶像から解放されないです。
 
自分の意志、決意、知識、テクニック、心の強さなどでは、
依存対象があれこれ入れ替わるだけのパラダイムからは抜け出せないです。
 
■ 心の弱い者はさいわいである
 
『マタイによる福音書』の、イエスによる山上の説教の冒頭。
 
 心の貧しい人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである。
 
 ――新約聖書 『マタイによる福音書』 5章3
 
心の貧しい人というのは、感性が鈍くて浅薄な人という意味ではないです。
心が満たされていない人という意味です。
心が弱い人、心が挫けている人のことです。
 
私も本当に心の弱い、貧しい者だなという実感が深まるにつれて、
「心の貧しい人々は幸いである」の意味も、体感できるようになってきました。
 
心が貧しければ貧しいほど、つまり魂の飢饉がひどい状態であるほど、
その人は必死で心を支えてくれるものを求めます。
 

 求めなさい。

 そうすれば、与えられる。

 探しなさい。

 そうすれば、見つかる。

 門をたたきなさい。

 そうすれば、開かれる。

 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 
 ――新約聖書 『マタイによる福音書』 7章7,8節
 
求め続けると、最終的に、真の神にしか心のよりどころがないことがわかります。
それは本当に幸いなことです。
 
「神」は人間が創った観念でありません、何よりもリアルな実在です。
 
私のように、自分の心の弱さを認めるしかなくなって、
救いを求めてあれこれ依存対象を変えている人には、
真の神と聖書にしか、魂の飢餓を満たす糧はないということを伝えたいです。
 
きっと、自分の心の貧しさを自覚することと、
真の神にすがりつくことは、セットになっています。
 
神様は、魂の空腹をうったえるすべての人に、
無償の大盤振る舞いを約束してくれています。
 
 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
 銀を持たない者も来るがよい。
 穀物を求めて、食べよ。
 来て、銀を払うことなく穀物を求め
 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
 
 ――旧約聖書 『イザヤ書』 55章1節
 
世には多くのスピリチュアル、自己実現、心理学、ビジネス成功メソッド等があります。
それらは口には美味しいけれど、魂を支える栄養にはならないから、
食べても食べても霊的にやせ細っていきます。
 
たとえば、万物を創造した神が、人の幸せをかなえるという段になって、
特定の霊能者だけに特殊な手法を授けて、
それを伝授された人だけが幸せになれるとか、そんなシステムはおかしいでしょ。
そういうやり方は天地創造のスケールと比べてあまりにもしょぼいし、ケチ臭い。
それは真の神とは関係ないし、そんなものが魂の糧になるわけがない。
 
 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
 飢えを満たさぬもののために労するのか。
 
 わたしに聞き従えば
 良いものを食べることができる。
 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
 
 耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
 聞き従って、魂に命を得よ。
 
  ――旧約聖書 『イザヤ書』 55章2、3節
 
で、私の場合、聖書の神と、スピリチュアリズムの神のギャップに納得がいかないまま、
それをどうしてよいのかわからず放置していました。
そして、いよいよ魂が空腹で死にそうなってはじめて、
預言者エリヤの問いかけの意味がわかりました。
 
 あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。
 もし主が神であるなら、主に従え。
 もしバアルが神であるなら、バアルに従え。
 
 ――旧約聖書 『列王記上』 18章21節
 
やっぱり聖書の伝える神が本物で、命のパンだと実感できました。
 
 また、天の国は次のようにたとえられる。
 商人が良い真珠を探している。
 高価な真珠を一つ見つけると、
 出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
 
 ―― 新約聖書 『マタイによる福音書』 13章45、46節
 
ようやく見つけた真珠を、いまさら他のものに換えたいとは思いません。
私はこれからも真の神に依存します。
 
宮本武蔵が「神仏は尊し、されど頼まず」と剣の道を選んだ真剣さにならって、
私は「神は尊し、わが頼みの岩」と真剣に神に依存する道を選びます。
それが本来の「神道」だとも思っています。
 
そして、ここまで書いて、ふと思ったことですが……
宮本武蔵には、真剣に神仏を尊ぶ気持ちがあったからこそ、
決闘前にいい加減な神頼みをしようとしているエゴを退けて、
「神仏に頼まず」と言ったのかもしれないですね。
 
私には剣豪の気持ちは分かりようがありませんが、
神仏に対して真剣だからこそ、神仏に頼まないという生き方もあるのかもしれません。
表面的な態度や言葉だけでは、その人と神との関係を知ることはできないですね。
 
ただ一つ、今の私でも断言できるのは、
神様は、神に対して真剣である人を、必ず正しい道に導いて下さるということです。
神に真剣な敬意を抱いているがゆえに「神に頼らず」と言うのであれば、
神はそういう人も、その人に合った方法で導いてくれるはずです。
 
逆に、神に恨みつらみがある人は、
真剣に神を恨み、真剣に神に怒り、真剣に神を罵り、真剣に神に挑むべきです。
神は人の真剣さを真正面からうけとめてくれます。
私のように心が弱い者は、真剣に神に泣き言をいうべきです。
 

神との関係では、真剣で正直であることが第一だと思います。

心が弱くても、神に真剣になることはできます。
 
■ 真剣に求めれば、与えられる
 
で、神様は、どうして今頃になって、
私に「寝食時間を聖としなさい」という、シンプルな回答を与えてくれたのか……
もっと早く教えてくれていれば、もっと早く生活習慣を改善できただろうに。
 
うん。
私が神様にコミットしきれていなかったからなんですね。
 
「神と聖書と日ユ同祖論」のブログ記事を書くことには毎回真剣だったけれど、
神に対する真剣さがまだまだ浅かったってこと。
木刀レベルのコミットだったのでしょう(笑)
 
 
神様にコミットしきれていない私に、寝食習慣のメッセージを伝えても、
私はそれを表面的な生活習慣の事だとしか理解できなかったでしょう。
その本質……私の心を支配してしまっている観念の深刻さを自覚できなかったでしょう。
 
神様は、私の生活指導をしたいのではなくて、
私の心を縛っている「宝物」を取り去って、癒したいと望んでおられるわけで。
それには私の自覚と、宝物を真の神に献上したいと願う心が必須。
 
神様は、人の「宝物」を無理やり取り上げることはなさらない。
人の自由意志をとことん尊重される。
 
ただ、神様も黙ってその状況をながめているわけではなくて。
その「宝物」がジャンク品でしかないということに気づかせるために、
今も様々なメッセージや出来事、トラブルなどを通して、
一人ひとりに語りかけてくれているのだと思います。
 
私の食事態度が悪いという表面的なことや、その他の自覚なき悪習慣は、
その根っこにある観念を神様に癒してもらうことで、芋づる式に解決するでしょう。
 
神様は、根本的な癒しと救いを与えたいと望んでおられるから、
この件ではずっと沈黙されていたのですね……
 
神様に尋ねたことの答えがすぐに返ってこないのも、何年も待たされることも、
ちゃんと意味のあることなのですね。
 

 何事にも時があり

 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 

 生まれる時、死ぬ時

 植える時、植えたものを抜く時

 殺す時、癒す時

 破壊する時、建てる時

 泣く時、笑う時

 嘆く時、踊る時

 石を放つ時、石を集める時

 抱擁の時、抱擁を遠ざける時

 求める時、失う時

 保つ時、手放す時

 裂く時、縫う時

 沈黙する時、語る時

 愛する時、憎む時

 戦いの時、平和の時      

 

 ――旧約聖書 『伝道の書/コヘレトの言葉』 3章1-8節

 
 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』

 

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