前回記事を書きながら、ふと思ったことを、

今回は掘り下げてみようと思う。

 (前回) 伝統行事よりも大切なもの … 小さい者の声を聞くこと

 

【今回のもくじ】

 

・ 「神の言葉」の種をまいた結果
・ 神の言葉を伝道する悪魔
・ 誰が蒔いても、神の言葉は神の言葉である
・ 神のダークホース
・ 種は外に蒔くもの

 

 

■ 「神の言葉」の種をまいた結果


イエスのたとえ話の中に、神の言葉を「種」にたとえている話がいくつかある。

共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に、ほぼ同じ内容で収録されている。

 

ひとまずここでは、ルカ書8章から引用してみる。

 

 種を蒔(ま)く人が種蒔きに出て行った。

 

 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、

 人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

 

 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。

 

 ほかの種は茨(いばら)の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。

 

 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。

 

 …… このたとえの意味はこうである。

 種は神の言葉である。 

 

 道端のものとは、御言葉を聞くが、

 信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、

 その心から御言葉を奪い去る人たちである。

 

 石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、

 根がないので、しばらくは信じても、

 試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。

 

 そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、

 途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、

 実が熟するまでに至らない人たちである。

 

 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、

 よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。

      

 ――『ルカによる福音書』 8章4-8、11-15節

 

人の心に、神の言葉という種がまかれる。

しかし同じ神の種であっても、種の運命には少なくとも4つのパターンがあるという。

 

(1) 忘却、無感動 ―― 空の鳥(悪魔)に、種(神の言葉)が奪われてしまう。

 

(2) コミット(覚悟)不足 ―― 根気が無いのですぐ挫折する。

 

(3) エゴ優位 ―― エゴの茨にふさがれて、神の言葉が成長できない。

 

(4) 勝利者 ―― 試練に遭っても神の言葉をよく守り、実を結ぶことができる。

 

もはや聞き飽きた感のある寓話だけれども、今になって、私はふと思った。

 

空の鳥、すなわち悪魔に食べられてしまった種は、どうなったのだろう?

 

イエスは、悪魔に奪い取られた種の行方については何も語っていない。

 

せっかく人の心にまかれた神の種を、悪魔鳥が横取りした。

それはわかるとして、じゃあ、悪魔鳥は、奪い取った種をどうしたのだろうか。

 

悪魔鳥は、神の言葉を飲みこんで、それを消化できるだろうか。

 

もし悪魔鳥が、横取りした「神の言葉」という種を消化吸収できたなら……

その悪魔鳥は悔い改めて、神の僕になってしまうね(笑)

それはそれで、神の目論見どおりなのかもしれないね?

 

■ 神の言葉を伝道する悪魔

 

今夏のNHKラジオで、『夏休み子ども科学電話相談』をやっていた。

 (参考) すべてのことには時がある … 神はナマケモノの時間基準を良しとされた

 

番組の中で、植物のセンセイが語っていた。

植物は、おいしい実をつけて、鳥や動物に食べてもらうことで、

 種を遠くに運んでもらいたいのよ☆

 

鳥は、植物の種を消化できないで、ウンコと一緒に出す。

鳥のウンコと共に、植物の植生範囲が広がってゆく。

種を土にまくのは人だけではない。

鳥や動物もまた、そうとは知らずに種まき人の役割を果たしている。

 

だったら、神の種を横取りした悪魔鳥もまた、

その種はウンコと共に、どこかへまき散らしているのではないか?

 

そうして悪魔鳥がポイ捨てしたつもりの神の種が、

思いがけない所で発芽して、人知れず花実をつけるケースもあるのではないか?

 

実は使徒パウロの書簡の中に、それらしきことが書かれている。

 

非ユダヤ人地域で、熱心にイエス・キリストを伝道していたパウロは晩年、

ローマ帝国に拘留&処刑される。

その獄中で書いた『フィリピ(ピリピ)の信徒への手紙』の最初の方に、

神の言葉を横取りする悪魔鳥の動向が記されている。

 

 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、

 かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

 

 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、

 兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、

 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、

 わたしの捕らわれているのを見て確信を得

 恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。 

 

 キリストを宣べ伝えるのに、

 ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、

 善意でする者もいます。 

 

 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、

 愛の動機からそうするのですが、

 他方は、自分の利益を求めて、

 獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機から

 キリストを告げ知らせているのです。

 

 だが、それがなんであろう。

 口実であれ、真実であれ、

 とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、

 わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。

    

  ――新約聖書 『フィリピ(ピリピ)の信徒への手紙』 1章12-19節

 

パウロは投獄されたことで、かえってキリストを伝えることに成功したと語っている。

 

看守A 「アンタ、いったい何をやらかしたんだい?」

 

パウロ 「実はキリストを伝道していたら……かくかくしかじか」

 

看守B 「……何それ、マジで? 俺、キリスト信じるわ」

 

看守C 「じゃあ俺も、家族に勧めるわ」

 

という感じの展開があったのだろう。

最終的に、ローマ皇帝の一族にもキリストを信じる人が現れ、

パウロの味方になってくれたようだ。

この書簡の最後にこう書き添えられている。

 

  すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。

     ―― 『フィリピ(ピリピ)の信徒への手紙』 4章22節

 

パウロを罪に訴えたのはローマ人ではなく、パウロを妬んだユダヤ人である。

ローマ人は、そもそもユダヤ教にもメシアにも興味がない。

だから先入観なく、イエスが救い主メシア(キリスト)である話を聞いて、

受け入れることができたのだと思う。

 

イエスを十字架につけ、パウロを追いこんだユダヤ人グループは、

その粘着力でもって、パウロのネガティブキャンペーンを続けていたようだ。

パウロを貶める目的で、熱心にキリストを告げ知らせている者があるという。

そしてこれは炎上商法、スキャンダル商法と同じ効果を発揮したらしい。

 

アンチ勢力 「あのパウロって奴は、ナザレのイエスをキリストだと信じてるアホだ」

 

ローマ人 「ナザレのイエスって誰? キリストって何?」

 

アンチ勢力 「イエスはこうで……キリストはこうで……」

 

ローマ人 「何それ、めっちゃステキやん。キリスト信じるわ」

 

アンチ勢力 「えっ……」

 

パウロの悪口を触れ回っていたユダヤ人は、

神の言葉の種を横取りしてしまう悪魔鳥である。

たしかに、悪魔鳥のせいで、神の言葉を受けとれなかった人もあるだろう。

 

しかし悪魔鳥は、パウロの悪口というウンコと共に、

パウロが伝えたかった神の言葉の種をも、各地でばらまいていたのである。

 

パウロはその結果を「喜んでいます」と綴る。

強がっているのではなく、本気で喜んでいたのだと思う。

獄中のパウロの代わりに、キリストを伝道してくれているようなものだから。

動機はどうあれ、「キリストが告げ知らされている」ことには変わりない。

 

人間の皮肉な性である。

「愛のために、神にために」という善なる動機で何かをする人よりも、

「アイツをやっつけてやる」という悪意で動く人の方が熱心かつ粘り強いことが多い。

 

善い評判はなかなか広まらないのに、悪口はあっというまに広く伝わる。

これも人間界の悲しい事実ではあるけれど、

神はそんなことは十二分にわかったうえで、それを逆手にとって、

神の言葉の種をどんどんばらまいてゆく。

 

■ 誰が蒔いても、神の言葉は神の言葉である

 

悪魔鳥が蒔いた神の言葉には、悪魔鳥のウンコがくっついている。

それでも、神の種の品質には影響がない。

 

不本意にも、聞きたくもない悪口を聞かされたとしても、

もしその中に神の種が混ざっていたならば、

神の種は当人も知らないうちに心の中で芽吹き、

いつの間にか良い実ができてしまうこともある。

 

イエスはこういうたとえで語っている。

 

 また、イエスは言われた。

 「神の国は次のようなものである。

 人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、

 種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 

 

 土はひとりでに実を結ばせるのであり、

 まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 

 実が熟すと、早速、鎌を入れる。

 収穫の時が来たからである。」    

 

 ――『マルコ福音書』 4章26-29節

 

意識的に受けいれた神の言葉なら、その人の心で発芽して実る確率が高いだろう。

 

しかし神の種を育てるのは人ではなく、神だから。

いつどこで聞いたかもわからないような神の種でも、

いったん心にまかれたなら、無意識のうちに大きく育っていることがある。

そして、ある日とつぜん、神の言葉をポンと思い出したりする。

もちろんそれは聖書の言葉に限らない。

 

■ 神のダークホース

 

「振り子が極端に振れる」という。

使徒パウロはユダヤ教エリートの極右だったのが、

目からウロコ事件によって、振り子が極端に振れた人だ。

パウロは保守的なユダヤ教徒から、キリスト信者の急先鋒となり、

世界史に名を残すこととなった。

 

パウロ(サウロ)は当初、キリスト信者を激しく迫害していた。

 

・ その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり……

 ……サウロ(パウロ)は家から家へと押し入って教会を荒らし、

 男女を問わず引き出して牢に送っていた。

    

  ――新約聖書 『使徒行伝/使徒言行録』 8章1、3節

 

・ さて、サウロ(パウロ)はなおも主の弟子たちを脅迫し、

 殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、

 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。

 それは、この道に従う者を見つけ出したら、

 男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

    

 ――新約聖書 『使徒行伝/使徒言行録』 9章1、2節

 

このパウロが、ダマスコに向かう途上で、いきなりイエスに呼びかけられ、

目が見えなくなる事件が起こる。

その後キリスト教徒に祈ってもらうと、目からウロコのようなものが落ちて、

再びパウロの目が見えるようになる。

この一件がきっかけで、パウロはキリスト教の迫害をやめただけでなく、

熱心なキリスト伝道を始めるのである。

 

パウロはもともと旧約聖書に精通していた上に、

体育会系の熱血マインドでユダヤ教の律法をきっちり守り、

神ヤハウェを崇拝していた人だったから、

振り子の振れ幅も超ワイドだった。

パウロを知っている人々は皆、彼の変貌に困惑したようだ。

 

 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、

 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 

 

 これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。

 「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。

 また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、

 祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」 

 

 しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、

 ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

  

  ――『使徒行伝/使徒言行録』 9章19-22節

 

パウロは番狂わせのダークホースといってもいい。

ここぞという時まで、神はパウロというダークホースを隠していた。

パウロ当人ですらそれを知らず、神に泳がされていた。

 

現代にも、多くのパウロ予備軍がいると思う。

 

不思議なことに、善良なキリスト教会信者でありながら、

聖書を通読していない人が多くある一方で、

むしろアンチキリスト教な人が、聖書をしっかり通読して、

神の言葉に精通している場合がある。

 

アンチキリスト教者は、アンチであるがゆえに、キリスト教のあら探しをするため、

聖書を熱心にすみずみまで読むのである。

 (参考) 聖書には人間的エラーも含まれている … 権威を鵜呑みにしてはならない。

 

学問や仕事の都合で、聖書を読んでいる人もいる。

学習資料として……西洋文化、美術、文学、音楽……を研究するには、

どうしても聖書とキリスト教の基礎知識が必要になる。

 

歴史学、考古学、心理学、政治学……そういう学問を深めるためにも、

やはり聖書という関所は避けて通れない。

 

日ユ同祖論を研究する人もそう。

日ユ同祖論を肯定するにも否定するにも、旧約聖書を知らなければ始まらない。

 

そして神は案外、そういうアンチキリスト教者や、

学問的必要から聖書を読む人を、喜んでいる気がする。

なぜなら、動機はどうあれ、神の言葉である聖書に強い関心をもって精読しているから。

神の言葉の種は、しっかりまかれているのである。

 

こういう人の場合、心の中で神の言葉の種が発芽していても、本人は気がつかないと思う。

ある程度大きく成長してから、初めて気がつく。

 

元がアンチキリスト者だったなら、アンチであればあるほど、

振り子が極端に振れて、パウロのような伝道者になる可能性もある。

ただし彼らは神のダークホースなので、いつどこで誰がそうなるのか、誰も知らない。

 

■ 種は外に蒔くもの

 

神の種について、イエスはこういうたとえ話もしている。

 

 天の国はからし種に似ている。

 人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、

 成長するとどの野菜よりも大きくなり、

 空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。   

 

 ――『マタイ福音書』 13章31、32節

 

当人も知らないうちに、小さな神の種がまかれていて、

大きな木にまで成長してしまうケースもあるという。

 

大きな神の木に、空の鳥が巣を作る……

100年前の日本で、キリスト教の無教会主義を旗揚げした内村鑑三によると、

この鳥は、神の種を横取りする悪魔鳥なのだそうだ。

 

神の種が大樹となる……つまりキリスト教会を形成すると、

すかさず教会内に悪魔鳥がもぐりこんできて、教会が伏魔殿になってしまうという。

いじわるだが一理ある解釈かもしれない。

十字軍、異端審問、魔女狩り、ガリレオ訴追……

世界史には、キリスト教会が悪魔の巣窟としか思えない事件が多く記録されている。

 

内村鑑三は、熱心なキリスト者であると同時に、

熱烈なアンチキリスト教会者でもあった。

(参考) 日本の天職&日本人イスラエル説/日本の精神性が世界を感化する … 内村鑑三の小論より

 

内村鑑三の著作は、キリスト教会への私怨成分がめちゃめちゃ濃いので、

相応に割引しながら読む必要があるが……

大方において内村鑑三の指摘が正しく、彼が神の預言者だったのは間違いない。

 

パウロや内村鑑三のように、「とんがった人」でなければ、

異境の地に神の言葉を蒔くことは難しいだろうと思う。

 

キリスト教という枠内に籠城している信者からは、魅力ある伝道者は出てこない。

彼らは「いい人」だとは思うが、小さくまとまりすぎて、魅力に欠ける。

内輪どうしで信仰オリンピックをしていても、枠外の人には何も伝わらない。

 

かつて楠木正成が籠城した際、城内で「もやし」を栽培して食糧にしたそうだ。

神の種を、キリスト教の内輪で蒔いていても、もやしにしかならないだろう。

もやしの栄養価値は認めるが、もやしばかり育てていても、花実は咲かない。

 

枠外の人に何かを伝えたければ、枠外へ出ていく必要がある。

安全なお城の中からメガホンで叫んでいてもダメだ。

これは宗教に限らず、どの分野でも同じだと思うけど。

ビジネス企業も、スポーツ界も、枠内にとじこもっていると、内部から腐敗して倒れる。

 

(……と書いていたら、貴乃花親方が相撲協会に退職届を出したという速報が。

 きっと貴乃花親方も、とんがり過ぎていて、

 協会の枠におさまりきらないタイプの人なんでしょうね。

 これからは枠の外で、相撲の魅力を伝えていってほしいなあと思います……)

 

そして何より、イエスこそが、神の言葉の種をまくために、

枠外へ出て行った最上のお手本ではないかと思う。

 

 キリストは、神の身分でありながら、

 神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

 人間の姿で現れ、へりくだって、

 死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

      

 ――新約聖書 『フィリピの信徒への手紙』 2章6-8節

 

イエスは神の身分という枠の外へ出て、人間の姿で現れた。

イエスはもやしの栽培はしなかった。

神殿の外で、こつこつと神の言葉の種をまいた。

 

神が悪魔鳥の存在を許しているのは、

種まき人としての利用価値があるからかもしれない。

善良な信者が、なかなか枠外に出て行こうとしないのに対し、

悪魔鳥は、神の言葉をはるか遠くへまき散らしてくれる……ただしウンコと共に。

 

あたりまえだけど、神の種は、きれいな状態でまかれるのがベストだ。

悪魔鳥の助け(?)を借りずにすむなら、それがベスト。

 

そのためには、神の言葉であれ、その他の善い種であれ、

種を持っている人が、一歩でも枠外へ出ていくことからだと思う。

枠外に蒔いた種が悪魔鳥に取られても、気にしない。

それはたぶんムダにはならない。

 

 風向きを気にすれば種は蒔けない。

 雲行きを気にすれば刈り入れはできない。

 

 妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるのかも分からないのに、

 すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。

 

 朝、種を蒔け、

 夜にも手を休めるな。

 実を結ぶのはあれかこれか

 それとも両方なのか、分からないのだから。 

  

  ――旧約聖書 『伝道の書/コヘレトの言葉』 11章4-6節

 

 

以下、次回に続く……と思う。

インシャーアッラー(神の御旨ならば)。

 

■続き → 神から出たコト(言・事)は必ず成就する … ただし神が意を翻すことはある。


 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』

 
※イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
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