前回の続き。 → 聖書の悪用(1) 戦争を正当化できてしまう個所  

……【政治的に悪用されやすそうな聖書個所】……

【1】 イエスは地上に平和をもたらすために来たのではない

【2】 奴隷は主人に従順であるべきだ、それが神の御心だ

今回は【2】について。

■ブラック指導者の存在を正当化し、
ブラック指導者への従属を推奨しているようにすら読めてしまう個所が、
新約聖書の使徒たちの書簡(○○の手紙シリーズ)にちらほら見つかる。

使徒……イエスの直弟子たちを中心とする、初代キリスト教会の指導者、伝道者たちのこと。

前にも少し書いたけど、パウロ書簡はじめ、新約聖書の使徒たちの書簡は、
あくまで使徒個人が書いた手紙だということを念頭に置いて読む必要がある。
神の言葉をそのまま代言した預言書とはまったく趣が異なる。

使徒たちの書簡を理解するためには、当時の時代背景などを知る必要がある。
書簡の時代背景を無視して、字面通り現代社会にあてはめようとすると、
とんでもない曲解、極論、間違いが起こってしまうから要注意。

今回は、「どんなブラック指導者にも従順でありなさい」と曲解できてしまう個所を、
イエスの一番弟子だったペテロの手紙と、
元パリサイ人(ユダヤ宗教エリート)のパウロの手紙からみてみることにする。

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■まず『ペテロの第一の手紙』(第一ペテロ)から。

 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。

 それが、統治者としての皇帝であろうと、
 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、
 皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。

 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。

 自由な人として生活しなさい。
 しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。

 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい

 召使いたちよ。
 心からおそれ敬って主人に従いなさい。
 善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい

 不当な苦しみを受けることになっても、
 神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、
 それは御心に適うことなのです。 

 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。
 しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、
 これこそ神の御心に適うことです。  (第一ペテロ 2章13-20節)

さあ、どうするね?

神のために、すべて人間の立てた制度に従え」と聖ペテロ様が勧めていらっしゃる。
統治者としての皇帝であれ、皇帝が遣わした総督であれ、すべての人を敬えと。
しかも無慈悲な主人に対してもそうしろと。

上記の部分だけを読むなら、ペテロはこう考えていたらしいことになる。

・信徒のひたむきな従順さと善行が、周囲の人を感化する。
・信徒の従順さによって、イエスキリストの御心を周囲にあらわすことになる。
・信徒の従順さによって、キリスト教の批判者を恥じ入らせて黙らせることもできる。

まあ、高い徳と志をもつだけでなく、それを実行しようという勧め自体はすばらしいと思う。

が。

「人間の立てた制度」「無慈悲な主人」に対して、
何があっても従順に仕えることが、本当に神の御心にかなうことなのか。

仮に聖書の文字が全部神の言葉だったとして、
その言葉の真意を神に問うという作業は、ぜったいに怠ってはならないと思う。

神に問うことをせず、聖書というマニュアル本の字面ばかり見ていると、
とんでもない方向へ突き進んでしまうことになる。

■1930年代、ナチス政権下のドイツで、
プロテスタント系キリスト教会は二つの派閥に分かれた。

ナチスに従う派(ドイツ的キリスト者)と、従わない派(告白教会)。

ナチスに従わない派(告白教会)は、全体の3分の1程度だったとのこと。
過半数の教会は、ナチス政権を支持したことになる。

ドイツカトリック教会も、ナチス政権から迫害を受けていたが、
カトリック本部のバチカンとナチス政権が条約を結び、
「ナチス政権に反対しない代わりに、カトリック教会への迫害をやめてもらう」
という、すっきりしない対応に終わっている。

1) ナチスに従ったドイツ的キリスト者
2) ナチスに抵抗した告白教会
3) どっちつかずのカトリック

歴史の結果を見れば、ナチス時代の「人間の立てた制度」「無慈悲な主人」への対応について、
どれが神の御心にかなっているかは明らかだ。


しかし、↑こういう旗が町のあちこちで掲げられている中で生活をし、
問題の激流の中にいる人には、いったいどれが神の御心なのか、
確信をもって選ぶのはなかなか難しい……
(右側のシンボルはルーン文字のユル(エイワズ)かな?)

上記ペテロの手紙をうまく悪用すれば、
ナチスのようなブラック指導者に積極的に従うことすら、
神の御心として正当化できてしまうのだ。

ちなみにナチス政権は、使徒たちの書簡を聖書として認めなかったようだけど。
(理由:使徒たちは全員ユダヤ人だから)

ともかく重要な選択をする際には、
聖書(権威あるマニュアル)のどこに何が書かれているか」ではなく、
今リアルに生きておられる神は何を語っているか」を知ることが最優先だと思う。

ペテロについては、今回記事の後半であらためて弁護することにする。

■次に、パウロ書簡を見てみよう。

『エペソ(エフェソ)の信徒への手紙』(エペソ書)の6章において、パウロはこう綴る。

話の都合上、A,Bの2パートに分けて見ていく。

【A】 5-8節

 奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい

 人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、
 キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、
 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。

 あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、
 善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。  (エペソ6章5-8節)

ここでパウロが勧めている内容は、ペテロの手紙とだいたい同じ。
『コロサイ人への手紙』3章22節~にも、同じようなことが書かれている。

ようは、不信者である上司・主人であっても、キリスト様に従うようにして、
心を込めて仕えなさいと勧めているのだ。

ただ、上記に引用したエペソ書には続きがある。
パウロは奴隷たちに対して「主人に従え」と勧めた直後に、こう記してある。

【B】 9節

 主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。
 彼らを脅すのはやめなさい。

 あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、
 人を分け隔てなさらないのです。  (エペソ 6章9節)

【A】【B】を総合すると、パウロが言いたかったのはこういうことだろう。

・奴隷は主人に従いなさい。
・主人は奴隷を酷使せず、同じように(キリストに従うように)奴隷を扱いなさい。
・人間世界の身分がどうであろうと、天の神はすべての人を公平に扱われる。

ああ、これならわかるね。
キリスト信者ならばお互いに、キリストに仕えるようにして、
それぞれの身分での仕事をまっとうせよってことね。

しかし聖書を悪用して、純朴な信者をコントロールしようとする人は、
【A】だけを持ち出して、【B】を隠す。
聖パウロが聖書で【A】と語っているのだから、これを神の御言葉として従いなさいと……

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■次に、ペテロやパウロの書簡が書かれた時代背景を見てみよう。

彼らの時代背景と思想がわかれば、
使徒たちの書簡にしばしば出てくるブラック的な勧めの真意が見えてくる。

まず、パウロ書簡の『コリントの信徒への第一の手紙』(第一コリント)から。
ちょっと長いので……重要な部分に(A)(B)のタグをつけさせてもらう。

 おのおの主から分け与えられた分に応じ、
 それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。(A)
 これは、すべての教会でわたしが命じていることです。

 割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。
 割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。

 おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。(A)

 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。
 自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。(A)

 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。
 同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。

 あなたがたは、(イエスキリストに)身代金を払って買い取られたのです。
 人の奴隷となってはいけません。(B)

 兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。(A) 

    (第一コリント7章17-24節)

ここでパウロは、
(A)キリスト信者になった(召された)時の身分状態にとどまっていよと、繰りかえし勧めている。

しかも、もし奴隷が自由人となれる機会があったとしても、
あえて奴隷の身分にとどまっているようにと勧めている。

パウロは人権意識が希薄だったのか。
奴隷が解放されて自由の身となるのは、神の御心に反すると考えていたのか。

あるいはそうかもしれない。

しかしその一方でパウロは、
(B)「人の奴隷になってはいけません」とも言っている。

(A)(B)の内容が矛盾するわけだが、パウロはここで何を言わんとしているのか。

■この一文が、パウロを含めた使徒たちの書簡を理解するうえで、重要な鍵となると思う。

 あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。
 人の奴隷となってはいけません。   (7章23節)

「身代金」とは、神の子であるイエスの命のこと。
イエスは十字架刑で神に命を捧げることで、イエスを信じる人々の罪を贖った(買い取った)。

そのようにして人々を罪の重荷から解放する救い主を、ヘブライ語で「メシア」といい、
その原意「油そそがれし者」がギリシア語に翻訳されて「キリスト」と呼ばれる。
イエス・キリストは「キリストであるイエス」という意味。

キリスト信者は、
「イエス・キリストが身代金を払って買い取った人=キリストの奴隷」ということになる。

だから、キリスト信者は「人の奴隷となってはいけない」のである。
神の子イエスが己の命という身代金を払ってまで買い取ったキリスト信者は、
人間世界でどのような身分状況にあろうとも、
キリストこそがあなたの第一の主人であることを忘れるな」ということ。

人間界では、人間の主人に仕える奴隷・サラリーパーソンだったとしても、
あくまでキリスト信者の主人はイエスキリストである。

だから、もし人間の主人が、神の御心に反することを命じてきたならば、
キリスト信者はそれに従わないで、キリストに従うことを選ばなければならない。

■使徒たちの伝道活動を記録した『使徒行伝(使徒言行録)』を見てみよう。

イエスが復活~昇天して間もない頃に、ペテロたちがさっそく迫害される。
エルサレムのユダヤ宗教法廷で、ペテロたちはこう語っている。

 彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。

 「あの名(イエス)によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。
 それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、
 あの男の血(イエスの血)を流した責任を我々に負わせようとしている。」

 ペテロとほかの使徒たちは答えた。

 「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。

 わたしたちの先祖の神は、
 あなたがたが木(十字架)につけて殺したイエスを復活させられました。

 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、
 救い主として、御自分の右に上げられました。

 わたしたちはこの事実の証人であり、
 また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」

 ――『使徒行伝(使徒言行録)』 5章27-32節

『使徒行伝』のペテロは、まず第一にこう言っている。

人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません

ところが、『ペテロの第一の手紙』ではこう言っている。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい

さあ、どちらが正しいのか。
神に従うのか、人間制度に従うのか。

ペテロたちは、ユダヤ法廷と大祭司の命令を無視して
イエスキリストの福音をエルサレムで語り続けた。
 これは「人間の立てた制度」を無視している行いではないか?

ペテロは自分で「人間の立てた制度に従え」と命じておきながら、
自分自身はその命令を守らない……ペテロはブラック指導者だったのか?

■私はペテロもパウロも、ブラック指導者だったとは思わない。

使徒たちにとって、まず神が第一
これがぜったいに揺るがぬ大前提。
モーセ十戒の第一戒、基本中の基本でもある。

 あなたには、わたしをおいて他に神があってはならない。

 ――旧約聖書『出エジプト記』 20章3節

ナチスドイツに抵抗したキリスト教会(告白教会)も、
この第一戒を根拠に、ヒトラー崇拝を否定した。
人間の指導者を敬うのはいいが、神として崇拝するのはNGなのだ。

で、神を第一として考えた結果、場合によっては、
あえて人間制度に従順な者となり、無慈悲な主人にもけなげに仕えることが、
キリストの福音を広めることにプラスとなることもある

2000年前のペテロ、パウロ……キリスト信者どうしで、そういう共通認識があったうえで、
使徒たちの書簡が記されたのだと思う。

手紙というのは、個人的な内容を書いたものだから、
手紙の差出人と受取人の間ですでにシェアされている事項について、
わざわざ手紙の中で説明したりはしない。

現代の手紙でもメールでも、部外者が読んだら意味不明ということは少なくない。
まして使徒たちの書簡は、2000年前の東地中海エリア、キリスト信者の手紙である。

使徒たちの書簡、とくに生活指導的な個所については、
当時の特殊事情を割引して読む必要があると思う。

パウロが言う、「奴隷であったときにキリスト信仰をもった者は、そのまま奴隷でいなさい」
というのも、パウロたちの人権意識が低かったからではなく、
そうすることでキリストの福音宣教が進むと見ていたからだと思う。

■使徒たちの書簡を読む際には、気を付けなければならないことがあと2つある。

1) 使徒書簡のほとんどが、ローマの暴君ネロ帝の時代(AD60年前後)に書かれた。
2) 使徒たちは、キリストの再臨が間近に迫っていると本気で信じていた

書簡が書かれた年代は、だいたいがAD60年前後らしい。
イエスの復活から30年ほどたった時代。

AD60年前後、ユダヤ人たちを支配していたのはローマ帝国。
暴君として悪名高いネロ帝の時代。
ネロ帝はキリスト教徒を激しく迫害している。
ヨハネ黙示録の「獣の数666」は、ネロ帝のことだといわれている。

そして当時の使徒たちは、「キリストの再臨が間近に迫っている」と本気で信じていた。

「キリスト再臨」とは、ようするに世界の終末、最後の審判を迎えること。
自分ひとりの寿命が尽きるのではなく、この天地すべてが滅びること。

ミケランジェロの『最後の審判』がわかりやすい。
世界が滅びると、全ての人間はイエス・キリストによる最後の審判を受けることになる。

「その日」は盗人のように突然やってくると、イエス自身も語っている。
キリスト再臨の予兆は、世相の乱れ、自然災害と、キリスト信者への迫害。

当時のキリスト信者たちは、ネロ帝の圧政下で迫害を受けていた。
ネロ帝の迫害を「キリスト再臨の予兆」と受けとるならば、
もう間もなくこの世界は終わることになる。

「ひょっとしたら今夜にも、世界が滅びるかもしれない。
そういうときに、人権啓発運動や奴隷解放運動をしても意味がない。」

おそらく、当時の使徒たちはそう考えていた。

『ペテロの第一の手紙』で、ペテロはこう書いている。

 万物の終わりが迫っています。
 だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。
 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。
 愛は多くの罪を覆うからです。    (第一ペテロ 4章7,8節)

万物の終わりが迫っているゆえに、
主のために、すべて人間が立てた制度に従いなさい(2章13節)」という発想になる。

万物の終わり、最後の審判の日が迫っているのだから、
間もなく滅びてしまう人間界の社会制度改革をするよりも、
現体制の中でキリストの福音を伝えることに尽力する方が重要なのだ。

なぜなら、最後の審判を無事に通過するには、
生前にキリストを信じて罪を赦してもらうしかないから。
キリストの福音を伝えて地獄行きを回避させることが、最善の人助けということになる。

 
パウロもまた、キリスト再臨を強く意識して焦っていたらしいふしがある。
たとえば『コリントの信徒への第一の手紙』では、こう語っている。
 
 今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。
 つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。

 ……兄弟たち、わたしはこう言いたい。
 定められた時は迫っています

 今からは、妻のある人はない人のように、
 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、
 物を買う人は持たない人のように、
 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。
 この世の有様は過ぎ去るからです。   (第一コリント 7章26、29-31節)

キリスト再臨の日が迫っているゆえに、「人は現状にとどまっているのがよい」と、
パウロは考えたのである。
「人間が立てた制度に従いなさい」というペテロと同じ発想だ。

■2000年前のキリスト信者たちは、キリスト再臨が間近に迫っていると信じていた。

しかしイエスキリストの昇天から2000年たった今も、まだ世界は滅びていない。
今夜に滅びるのかもしれないし、あと1億年は続くかもしれない。
とりあえず人間にはその日時がわからない。

 その日、その時はだれも知らない。
 天使たちも子(イエス)も知らない。
 父(ヤハウェ)だけがご存じである。   (マルコ福音書 13章32節)

であれば、当面は今の世界が続くことを前提に、
改善すべき人間制度は改善していくのが、神の御心だと私は思っている。

「どうせこの世界は滅びるから何をやっても無駄だ、
あっちの暴君も、こっちのブラック指導者も、好きにさせておけばいい。
今日も明日も、この世界が終るまでは、人間の立てた制度に従おう。」

そういう考え方は、好きになれないし、神の御心でもないと思う。

2000年前の使徒たちは、当時の彼らにとって最善と信じることを記したまでである。
使徒たちの信仰と熱意は見習うべきだとしても、
書簡の内容を「神の言葉」として、そのまま適用するのはどうかと思う。



※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』

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